2009年11月26日
【青木塾便り】No.24 「山元雄二郎博士」その1
「ノーベル賞を取り損ねた博士」
このブログの初めに技術評価において、医療関係はUSCの岩城裕一教授に御願いして、エレクトロニクス関係は留守番電話発明者の山元雄二郎博士に御願いしたと言いましたが、これからしばらく山元博士についてお話を進めさせてください。博士は昭和3年生まれで、麻布学園から早稲田大学の理工学部に進み卒業してすぐにアメリカに行きました。麻布時代に演劇部に所属して、フランキー堺、小沢正一、加藤武と同期で荷車を引っ張って都内、千葉県をどさ周りしたと想い出深く語ってくれました。先生どう見ても演劇派には見えませんと言いましたら僕は照明、効果を担当していたとのことで納得しました。
鯉がポーカーをするまで調教?したお話は博士から聞きました…続く
このブログの初めに技術評価において、医療関係はUSCの岩城裕一教授に御願いして、エレクトロニクス関係は留守番電話発明者の山元雄二郎博士に御願いしたと言いましたが、これからしばらく山元博士についてお話を進めさせてください。博士は昭和3年生まれで、麻布学園から早稲田大学の理工学部に進み卒業してすぐにアメリカに行きました。麻布時代に演劇部に所属して、フランキー堺、小沢正一、加藤武と同期で荷車を引っ張って都内、千葉県をどさ周りしたと想い出深く語ってくれました。先生どう見ても演劇派には見えませんと言いましたら僕は照明、効果を担当していたとのことで納得しました。
鯉がポーカーをするまで調教?したお話は博士から聞きました…続く
kiyoshi_kawabe at 00:00│コメント(0)│