飯田 博

2015年05月20日

オリーブのクレタ島と海のシルクロード

今年もギリシャのクレタ島から有機オリーブオイル「バイオジョイ」が先月入荷した。待ちかねたオリーブオイル愛好の皆さんへの出荷が続いている。
そのクレタ島であるが、中国の李克強総理が昨年6月に訪問して州都イラクリオンでアルナウタキス知事と会談したことは、
日本ではほとんど報道されなかった。しかしその前の訪問地英国では、国家元首でもないNO.2の中国首相がエリザベス女王に会ったことが中国の力を示す外交としてメデアでは報じられた。
その帰り道に李総理はギリシャに3日間の公式訪問を行って、港湾・鉄道などの物流インフラ、造船・観光分野などで約50億ドル規模の経済協定を結んだ。すでにCOSCO(中国遠洋運輸総公司)が運営しているギリシャ最大の港ピレウスを訪問し港湾労働者と握手した李総理は、この港を“欧州への中国のGateway”,“地中海の真珠”と讃えて、ギリシャと協力して「世界で最も競争力のある港」にせねばならないと述べている。
現在、EUのギリシャ財政支援の瀬戸際の交渉が行われており、国有企業の民営化によるギリシャの債務軽減策の試金石としてピレウス港の67%民間売却(約8億ユーロ)が現実味を帯びてきている。買い手の最有力は言うまでもなくすでにターミナル運営を行っているCOSCOである。李総理の訪問によりその布石は打たれていると考えてよい。
では、李総理は超多忙の中なぜクレタ島へ行ったのか?それは、リビアの動乱時に中国政府が中国人を緊急避難させた時にクレタ島では知事が率先して迅速に救援の手を差し伸べてくれた友情への御礼とのことである。
しかしクレタに詳しい人によると,島の北西にあるSouda 湾の海軍基地の存在を中国は意識しているはずだという。この湾は
第二次大戦中にイタリアの小艇がイギリスの軍艦を攻撃して大打撃を与え海戦上有名な場所であり、地中海の海上戦略の要衝である。それとともに港湾として開発すればマルタ島のバレッタのように一大ハブ港となりうる可能性を秘めている。
中国と欧州をむすぶ海のシルクロードは、一歩一歩伸びているようである。


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2013年10月09日

伊勢のご遷宮と時代の変わり目

10月2日内宮、5日外宮―伊勢神宮は20年に一度のご遷宮を終えました。
神宮のお膝元に住んでいる伊勢の人びとの間では、ご遷宮につれて時代が変ると古くから伝えられています。遷宮は、東西対になった敷地に20年ごとに全く新しい社殿を建て替えて、西から東、東から西と交互に移ることで、内宮、外宮とも同じです。今回の遷宮は62回目で、東から西に遷りました。地元では、東を「米座」(こめざ、こめくら)、西を「金座」(かねざ、かねくら)と呼んでいます。そして、社殿が米座にある時代は世の中はわりあい穏やかで平和に賑わい、金座の時は戦争など物騒なことがおこり経済も大きく変動する、米座の間は心ゆったり、金座のときは心引き締めて、と言います。

古くは、幕末1849年の第54回遷宮で西の金座に移るや、3年後に黒船が来てやがて天下がひっくり返って明治維新。次に1869年(明治2年)、米座になり文明開化・鹿鳴館時代。そして1889年(明治22年)遷宮で金座になると日清戦争、日露戦争。
1909年〈明治42年〉に米座に遷り、欧州は第一次世界大戦だったが日本は大正ロマンの時代。第58回遷宮(1929年、昭和4年)で金座になると間もなく満州事変、日中戦争そして太平洋戦争と戦争の時代になる、戦争に負けて、1949年(昭和24年)には遷宮が出来ず宇治橋だけ架け替えて、4年後の1953年にようやく米座に遷った。それからは日本では戦争はなかったが、次ぎの20年間は戦後復興とそれに続く高度成長の時代を迎える。1973年の金座ご遷宮の年は第一次オイルショックで始まり、20年間の終わりはバブルとそれがはじけた経済の激動の時代であった。1993年(平成5年)米座になってから経済は停滞したが、地震・津波の天災を除き、大きな社会変動はなかった。

そして今年に西の金座に遷った。尖閣問題と言う戦争に繋がりかねない隣国との緊張もあり、安倍さんの舵取りで経済は大きく変るのか、伊勢人はこれからの20年は気を引き締めんとあかん、と言っています。


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2013年05月29日

出雲路の神社めぐり

5月18日の青木塾長のブログ「出雲大社」を読んで、私もちょっと書きます。5月10の遷座祭をおえた出雲大社に行ったのは5月17日。夜明け前に車で三重県の家を出て、出雲に着いたのは朝9時ごろ、どうしたわけかこれも青木さんが4月20日のブログで書かれている銅剣大量出土の荒神谷遺跡が出雲路での最初の訪問地でした。 
伊勢から出雲大社に行くと、神様・神社・しきたり・環境などが全くといってよいほど違って面白い。青木さんのブログにあるように、出雲大社のご神体は横をむいて(西向き)おられる。食べ物も、伊勢は伊勢うどんと赤福ですが、出雲はそばとぜんざいです。
玉造温泉のお湯にも入らずに、わずかの時間でひたすら神社をめぐる。出雲大社、日御埼神社、熊野大社、神魂神社(かもすじんじゃ)。後の二つは、出雲国造にゆかりある古社で、古代は熊野大社のほうが出雲大社より上位にあったとされている。なお、この熊野大社は紀州の熊野とは縁もゆかりの無いとのこと。神魂神社の本殿は、出雲大社の神殿を小ぶりにした大社造りで、新緑のなかに古さびた社殿の調和が美しい。室町時代の建造物で国宝。
夜は松江の居酒屋―隠岐の島の岩牡蠣、地酒「ヤマタノオロチ」「李白」よし。


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2013年02月27日

TPP交渉参加の日米共同声明

安倍首相は、2月22日オバマ大統領と会談し「TPPに関する日米共同声明」が発表された。
首相は「聖域なき関税撤廃は前提でないことが明確になった」と胸を張っている感がある。しかし共同声明をよく読んでみると冒頭の項が重要であり、その重みが伝わってくる。

「日米両政府は、日本が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉に参加する場合には、全ての物品が交渉の対象とされること、および、日本が他の交渉参加国とともに、2011年11月12日にTPP首脳によって表明された『TPPの輪郭(アウトライン)』において示された包括的で高い水準の協定を達成していくことになることを確認する」
キーワードは「全ての物品が対象になる」、「包括的で高い水準の協定を達成」である。

なるほど次項には、「TPP交渉参加に際し、一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する」と述べられている。この表現には日本が交渉に入る可能性を整えるための最大限の努力が伺える。しかし、「全ての関税を撤廃することを前提とはしない」と云っているわけではない。入り口を潜りやすい表現にはなっているが、入ってみたら全く様子が違っていたということもありうる。
その時に冒頭の前提条件が重みを増してくる。コメも例外扱ではなく「全ての物品が対象」である、現状のようなコメの輸入禁止的な高関税は許されない「高い水準の協定」となる。
声明の最後の項に、「自動車部門や保険部門に残された懸案事項に対処し、その他の非関税措置に対処し」とある。米側はきっちりと声明の中で自国の主張点を確保している。

日本の農業問題に触れないとTPPの議論にならないが、ここでは日米共同声明を読み解くだけとしたい。声明文だけでみると米側有利の姿勢は明らかであり、これからの交渉に際しては安倍政権には、なみなみならぬ覚悟が必要である。


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2012年12月19日

総選挙―民主大敗の原因

衆院総選挙は自民党圧勝と予想通りの結果となったが、民主党の大敗ぶりは想定以上の
ものとなった。「(頑張っている)野田さんには悪いが、民主にはまかせられない」という
声も多かったようだ。マスコミも今回の選挙は「懲罰投票」と分析するように、自民党の勝因は景気・雇用政策もあるが、「敵失」つまり民主党の失政といえよう。そしてその失政の最大の原因は党内の分裂にあった。

決められない政治は、ねじれ国会という政権構造によるものであるが、消費増税という誰が担当しても難しい課題を野田政権が自公民の3党合意で可決したことは政策の実行力としては評価に値する。しかしまとまらない党内が実行のスピードを鈍らしていた。

民主主義のもと自由に討議した結果、ルールにより採決すればその表決に全員が従わねばならないこと、またそうしなければ社会組織は保たれないことは、小学生でも判っている。そのことが、民主主義の権化ともいうべき民主党では出来ていなかった。党議拘束も不出来であった。
その元凶は鳩山、小沢の元トップ両者であり、国民もその状況をよく観察していた。その審判は、今回の選挙をまたず鳩山の退陣、選挙での小沢の未来党の敗北で下された。しかし、この3年間の政治の混迷、普天間、尖閣に見るように外交・安全保障の分野での問題拡大により国民の蒙った被害は甚大であり、わけても鳩山の愚政は後世の歴史にのこるであろう。

自民党は、大勝におごることなく「敵失」の教訓を冷静に受け止めて政権運営してほしい。


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