小川 恵一

2012年03月17日

飛行機はなぜ飛ぶのか

 ジャンボジェット機の重さは400トンもあります。荷物を一杯積んだ大型トラック1台の重さは20トンです。ジャンボジェット機は大型トラック20台分の重さです。重さの塊のような飛行機がどうして浮き上がるのか不思議に思います。ジェットエンジンから勢いよく燃焼ガスが噴射していてもです。噴射しているのはたかが気体です。飛行機にくらべれば空気のようものです。

 ところが、空気は重いのです。たて、よこ、高さが1メートルの立方体の箱に空気を入れ、測るとその重さは1キログラムもあります。箱の中の空気を抜くと1キログラム軽くなることから分かります。でも私たちは空気の重さを感じません。どうしてでしょうか。

 お風呂に水を張って、バケツを水の中につけたまま少し持ちあげてみると軽いものです。ところが水の入ったバケツを一ったん水の外に取りだすと、ああ重い!ということになります。私たちは空気中にどっぷりとつかっているため空気の重さを感じないのです。

 ジェット機では燃焼ガスが空気を巻き込んで音速に近い速度で後方に噴射されています。飛行機の前方から後方にむかって流れる気体(風)は翼のところで上、下に分かれます。翼は上側の気体が下側より4割ほど早く流れるように翼の形が設計されています。この速さの差で機体は浮き上がります。空気が重いために大きな力が生じます。

 なぜ浮き上がるのでしょうか、それは噴霧器の原理です。噴霧器の吹き出し口では空気が早く流れるために容器の中の液体が吸い上げられます。吸い上げられた液体は空気の流れによって散り散りに噴霧化されます。液体を吸い上げる力が飛行機の場合の浮力です。(流れが速いほど圧力の下がる現象はベルヌーイの定理として知られています。)

 1903年にライト兄弟が初飛行に成功して以来、現在に至るまで飛行機にまつわる話は興味がつきません。どのような困難にぶつかっても道の開かれることを飛行機の歴史は教えてくれます。

一科学者の観点から飛行機を紹介しようと思います。


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2012年02月26日

お茶碗のもろさと地震――なぜ予知は難しいのか

東日本大震災が私たちに与えた衝撃は忘れることができません。

東北地方太平洋沖では二つの地球規模の大きな岩盤(プレート)が重なりあうようにしてぶつかり合っています。断層と呼ばれる二つの岩盤の境目で破壊が起きたためにこの大地震が発生しました。

お茶碗を低いところから少しずつ高さを増して床に落とすと、ある高さでお茶碗は割れてしまいます。この現象は破壊と呼ばれています。破壊の起こる高さを正確に予知することはできません。
なぜでしょうか。破壊はお茶碗がもともと抱えている小さな、小さな傷(弱いところ)から始まるためです。私たちはお茶碗の全ての傷を知りつくすことはできません。予知することができないのはそのためです。

地震も同じことです。重なり合っている二つの岩盤の境目にある傷(弱いところ)を全て知り尽くすことはできません。ぶつかり合っている力がどんどん大きくなったとき、境目がいつ破断するかを予知することができないのはお茶碗と同じです。

それでは予知は全くできないのかと言うとそうではありません。お茶碗なら、壊れる少し前の高さから落としたときには床にぶつかる音が鈍くなるはずです。もうすぐ割れるぞということになります。
地震の場合も破断が起こる前に岩盤から何らかの兆候が出ているはずです。しかし、たとえ兆候が察知できたとしても破断時刻を何年何月何日何時何分と予測することはできません。これはお茶碗の場合と同様、破壊現象の宿命です。
それでは大きな建物や橋や飛行機に使われている金属材料ではどうか。有り難いことに傷にかかる力が増すと金属材料では傷の周辺部が変形して、傷にかかる力が軽減されます。そのため金属材料は岩石や陶器と違って粘り強いのです。高い建物に居ても安心していられるのはそのためです。

傷にかかる力が拡大される現象は応力集中と呼ばれています。悪いことばかりではありません。お刺身についてくる醤油やワサビの入ったプラスチックの袋には小さな切り込み(傷)がついています。そこを引っ張ると簡単に破れて(破壊して)、口が開きます。切り込みは地震の破壊現象を応用したともいえるのです。科学は意外ですね。


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2012年02月19日

「太陽の恵み−エネルギーと風景」

まぶしく輝く太陽は核融合反応で生じた膨大なエネルギーを日々宇宙空間に放出しています。無料で、何の見返りも求めず。恵み深いお天道様です。

地球に届く光は太陽が放出する光のほんの一部です。地球に届いた光の、そのまたほんの一部を利用して37億年の長きにわたって生命活動が営まれてきました。

何の公害を引き起こすこともなく37億年も生命活動が維持できたのは光には重さがないためです。光は引力により地球上にたまることがないためです。

植物は光エネルギーを利用してデンプンをはじめとする必要な物質を光合成しています。ただ使えなかった緑色の光は廃棄物としてどんどん放出しています。  
あの美しい緑の山々の風景は実は木々が捨てたごみの山なのです。それでも公害が生じないのは光に重さがないため地球上にたまらないからです。

あの青い空も、あの美しい夕焼けも実は空気中に漂う小さな微粒子(ゴミ?)と太陽光のいたずらから生まれます。
持続可能な社会ではエネルギーと風景が一体になっているようです。そうでないと持続可能は不可能だからです。

地球に届いた太陽光エネルギーは太陽電池を使うと約15%の効率で電気に変えることができ、砂漠の面積の7%に太陽電池を張り巡らすと人類が必要とする全電力を賄うことがでるという試算があります(清水浩:脱「ひとり勝ち」文明論)。

光は風景とともに私たちを救ってくれるのではないでしょうか。


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