【ドイツ在住ピアニスト】

2019年02月23日

ビュッケブルグ歳時記 197

注目するべきでは・・・

 先週開かれたミュンヘン安全保障会議では、アメリカが、1987年に米・ロ間に締結された中距離核戦力全廃条約を破約するとの意向を示したことから、この条約破棄は米ソ間だけではなく欧米間の安全も危ぶまれることになると、常に親米的であったメルケル首相も歯に衣を着せないテキストの演説をしたと報道されました。そして話題はこれまでおざなりになっていたこの国の軍備におよび、莫大な再軍備費が必要と昨夜の政治討論会で討論されていました。
 新年早々に、世界は又戦争に向けて歩んでいるのかと思わされ、人間と戦争は断絶出来ないものなのかと心配になるとき、希望となるのが今回のテーマなのです。


 1月は新年の希求として日本の素晴らしい若い人達のことを書きましたが、この例の輪を拡げたようなことが世界で起こっていることをお伝えしたいのです。 

 最初にフランスでの生徒デモについてお知らせしましたが、ドイツでも1月末の金曜日に、ベルリンで、数千人による最初の生徒デモが行われたのです。「気候変遷に対する、より真摯な政治対策を」がモットーでした。
 既述のとおりこの国では、1973年に決められた規律により、デモ参加のための授業放棄は許可されないのですが、同時に規律書には生徒に社会人としての教育をすることも教育の目的であるとも謳ってあるのです。ですからこの項目下で、今回の金曜日デモの授業サボリはうやむやにされたわけです。が、学期終わりの成績表には不許可授業放棄をしたとしてマークされるということです。
 「未来について学べといわれても、もしかしたら地球の未来は無いかもしれないのだから、無くならないように僕たちが今、努力しなくてはならない」「今の大人の人達が、健康な地球を次の世代の僕たちに継続するという義務観をよく考えていないのなら、子どもの僕たちが授業をサボってはいけないということも義務と考えなくてもよいのではないか」などが,参加者のデモ参加動機でした。
 そして新聞の解説では「なにかを信念を持って断行する勇気には、いつもなにがしかの支払いがついてまわる。これも教育の一つの目的、人生訓話を学ぶことでもあろう」とありました。


 次にドイツのメデイアを騒がせたのが、同じ地球温暖化に対する抗議意見を持って、ダヴォスで行われていた世界経済会議を訪れたスウェーデン人の16歳のグレタさんです。ダヴォスでは国際金融フォンズ会長のラガード女史に面接、直々に抗議をしたのです。
 「気候変化危機は人間皆が作り出したものだと云われているが、そうなると誰の責任かがわからなくなる。しかし実業家や公のことに決断を下す人達の中には、お金に換えられないような貴重なモノを犠牲にすることによって、天文学的数字の財産を作っている人達も居ると思うのです。今この地で行われている会議がそのような人達のためではないことを願います」との意見を公表したのです。
 報道から、彼女が10歳の時、授業で聞いた温暖化に刺激を受け、抗議を徐々に大きくし、自国のパーラメント前での生徒デモにまでにした行動が「金曜の地球救助生徒デモ」の起こりだと知りました。


 また、1年前に米国パークランドで17人の犠牲者を出した銃撃悲劇の後、18歳のダヴィットさんは自国の銃法をもっと厳格にとの運動を今も続けていることも報道されています。


 世界中で起こっているこのような若い人達の心意気を知って、それに注目を注ぐとき、初頭に書いた人間と戦争の不滅関係に少し揺らぎがくるような感じになるのです。このような若い人達の努力が戦争零世界の基礎になるかもしれないという思いからです。
 国を造るのは、変えるのは教育であるとよく耳にするのですが、ほんとうだと再認識させられます。


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2019年02月09日

ビュッケブルグ歳時記 196

自動車の国ドイツの今

 フォルクスワーゲン、メルセデス、アウデイ、BMW, ポルシェと銘柄の名に事欠かない優秀な車を世界に誇っていたこの国ですが、数年前に、各会社が行った排気ガス量、特にデイーゼル車の偽証問題が(排気ガスアフェアーと呼ばれたこの件は日本にも報道されたことと思います)が明るみに出て以来、製造も売れ行きもぐらついているようです。

 日曜の夜のTVに、女性司会による、数人の政治、経済その他の専門家によるトークショウがあるのですが、先週は「デイーゼル車運行禁止令の行方」がテーマでした。 また数日前の新聞の見出しが「未来の交通について争論している我が国」だったので、少し調べてみました。その結果をお伝えして、今メデイアを占領している、”人々の生活に無くてはならない行動性を持つ道具、車” がおかれているこの国の状勢を知っていただければと思います。

 住民,特に人口も交通も緻密な都市の住民に ”きれいな空気を”ということで、排気ガスに含まれている Stickoxid( 酸化窒素)は、空気1立方メートル に40マイクログラム以下でなければならないという規制が、すでにEUで発令されています。そしてドイツの大・中都市ではすでに、緑区間とか病院や施設などの多い街路でのデイーゼル車の通交は禁止されているにもかかわらず、交通局は最近、肺医者連盟にこの値の正否を問いかけたのです。
 結果は否の方が多く、前記のトークショウ出席の代表医者も「この化学物質は、人間が生きるために必要なガスで人間の身体が自動的に造るものでもある。喫煙者はもっと大量のこのガスを吐き出している。健康に直接大きな影響を与えるものではないので、デイーゼル車の運転禁止は必要ない」と力説していました。しかし、党によって支持する方向が違い、トークショウでは意見一致は見られませんでした。因みに、確答を避けるためか主要議員の出席はありませんでした。

 また、良い空気には有害物質が少ない方がよいということからか、ある党から、高速道路に新しいテンポ・リミットを置こうという意見が出てきて、議会で争論されていました。自動車がゆっくり走れば排気する有害物の少なくなるのかなと疑問に思ったことを覚えています。そして結局は既にある制限速度(130km)で充分だとの結論に至ったようです。
 
 このように排気ガス量を誤魔化したことがきっかけとなって、車・交通の未来が色々と討論されているのです。そして、空気をきれいにするということは、今世界中で問題となっている地球気温温暖化に繋がり、CO2を少なくする努力にまで至っているのです。2038年までに、現在活動している約140の火力発電所を無くすという、今までには考えられなかった政策実現にまで広がっています。
 
 このように、今の世の中に必要な”可動性”を持続するために広範囲に渡る考慮が為されているのは良いことだと思います。地球の健康のために、CO2を少なくするパリ条約をもっと重視することの重要さも学ばされます。
 そして交通の行く先とは、鉄道と近距離交通機関の充実に力を注ぐべきではないかとの意見にも頷けます。生産国では製品運搬にはもっと鉄道を使うべきであるし、通勤には電車、バスを格安にし、魅力的にするべきではないかとの意見です。


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2019年01月26日

ビュッケブルグ歳時記 195

素晴らしい若い人達 2                                  

 第2の例はスゴイ(!)意見だと思いますので全文を読んでいただきます。

”「代議士」に民意を背負わせよう” アルバイトの麦太君21歳の意見です。
「世論とは流され易いものだし多数意見が常に正しいとは限らない。そんな民意の不完全さを少しでも補うため、民主主義は熟議を前提としている。だから,出来る限り多くの人が意見を述べ、出来る限り多くの人の合意を得るのが基本だ。結論より、議論の過程を重視する。それが民主主義だ。
 しかし、わたしたちが選挙で代表を選ぶ時、その基準はどうなっているのだろうか。「決断」や「実行」という単語に、ついついひかれてしまいがちだ。閉塞した社会状況を「この政治家なら変えてくれるのではないか」と考えてしまう。その結果、当然ながら、強行採決や憲法を無視した政治が行われる。今の日本は、政治の暴走を止めるのも、スキャンダル頼みという、何から何まで人任せな民主主義になってしまった。
 議員を「政治家」と呼ばずに「代議士」と呼ぼう。彼らに社会を変える力などないし,持たせてはならないと思う。わたしたちが議論を尽くして、自分たちの代表を選び、彼らにしっかりとわたしたちの意見を背負わせるのだ。面倒臭いし、意見を言うのは勇気が要るけれど,一人一人が変わらない限り、決して社会は変わらない。」

 後先が間違っているかもしれませんが、このような考えを持ち、それを公にする若い人が居ることを知るととても嬉しくなります。日本の未来が光に包まれているような気がするのです。

 麦太君は彼の考える民主主義の在り方とそれへの国民の心構えを書いています。
 そこから思い浮かぶのが12月にあったフランスでの暴力デモのことです。隣国フランスのことを良く知らないわたしが云々するのは良くないと思うのですが、象徴とする黄色のチョッキを着て、税金と生活費に余裕を求める成人によるデモ群とともに、多くの生徒、学生ではなく高校生までの生徒がデモに参加したことが報道されたことが印象深かったのです。(ドイツでは生徒のデモ参加は未だに聞いたことがありません)因みに彼らは政府が発表した教育改革(学校教育は3歳から始める。一クラスは12人とするなど)の現実化を要求することが目的だったようです。そして彼らに対する警官の態度を非難する声が大きかったこともニュースになりました。

 これ等のことは余談で、記憶に残ったのはフランスでは政治的な自由が市民の、この場合は未成年の生徒にさえ近い所にあるということだったのです。
 昨年12月のパリでのデモは建物や道路の破壊が大きく、暴力デモとなり、決して良い行動とは云えないと思いますが、市民が政権に、直に、今自分たちの欲していることを示し、政府の再考を望むということは民主政治の真義ではないでしょうか。 

 麦太君はきちんとした意見を持っていて、それを言う勇気を持っています。そして彼の言うことを聞くと、彼の云う「人任せになってしまった民主主義」が、”話すこと教育!”が進むことによって熟議が可能になる議会となり、そこから市民と政治が近くなる将来社会が来ると信じられるように思えるのです。
 最近、選挙年齢が下げられたことなどを読むと、規制は緩和されているのに、肝心の政治を公的に話さない慣例は依然として続いているように思えるのです。
ある機会に「日本は自分たちで鎖国しているような気がする」という意見を聞いたのですが、政治話はしないという習慣は、この意見の表れのような気もします。
 自分の国の政治は何処ででも、誰でもが、公開して話せるものであるベきだと思います。そのためにも麦太君の意見を一人でも多くの人に読んでいただきたいと思うのです。


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2019年01月12日

ビュッケブルグ歳時記 194

素晴らしい若い人達 ! 1


 あけまして、おめでとうございます。今年も平和な年でありますように!

 新しい年の初めにはやはり明るいことを書きたいと思案していた時に、ひらめいたことがわたしの今回のブログです。

 日本のニュースは,毎朝の朝日、読売、日経新聞のデジタル版を見ることから知ります。その他には船便で送られて来る朝日新聞の朝刊があり、今は2017年の5,6月頃の版を読んでいます。
 朝日新聞に「声」という読者のオピニオンを載せる欄があります。そこに書かれている意見は、広範囲で、様々でとても興味深いので、いつもきちんと読んでいるのですが、この間から、おもわず「そうよ!そうよ!賛成!」と叫びたくなる意見があるのです。投稿者を見ると14歳から21歳という生徒、大学生のなのです。 

 新聞記事の借用は金銭に関係しない限り合法だと聞いていますので、2つの例を挙げてみます。
 「守るべきは学校の評判ですか」という題で、大学生の21歳の佑佳さんの意見は:「東京の6割の都立高校が『持毛証明書』を提出させている。私はこの証明書に大きな疑問を感じる。人は異なる遺伝子を持っているのだから、色々な髪の色の生徒が居て当たり前ではないか。髪の色一つで生徒は自分らしく生きることを阻害されるのではないか。学校側は『生徒の見た目で学校の評判が落ちては困る』と云っているそうだが、学校が本当に守るべきは『学校の評判』ではなく、生徒の『自分らしく生きる権利』ではないか」との問いかけです。

 これはわたしがかねがね思っていた個性教育と、制服規定との矛盾をきちんと形式立てて書いています。
 制服の用途もわかりますが、中高生の時代に自分の装いを育てるのも個性教育ではないでしょうか。
 独国では幼稚園から大学迄,服装は自由です。時折、制服云々の議論が起こるのですが、その起原はブランドものを着てこない、買えない級友を侮る傾向が強くなると貧富の差が瞭然となり、それがイジメになるおそれがあると杞憂することからその現象を避けるために制服規定論が出てくるのです。皆が同じものを着ていれば、較べることがないわけです。今でも提案だけで制服規定がないことは、イジメになっていないことと、やはり個人尊重の気風が行き渡っていることの証明のように思えます。
 日本のイタリアデザイナーの制服規定云々を聞くと、両国での制服に対する定義が全く違う事に気付き、驚きます。
 この国の学校は学年が上に行く程、生徒運営が多くなるように思えます。
 例えば、通学の服装に関しての校則を必要とする場合には、軍隊靴(底の厚い、ひもで結ぶ半長靴。このような靴は暴力喧嘩になった時に武器となるそうです)や開放的すぎる洋服などの着用禁止などは生徒達に決めさせるのです。上からの命令に従うより、自分たちで決めたルールの方が従い易いという見解からです。
 このようなやり方、教育法は、学校で学ぶのは知識だけではなく、社会の掟のようなものも学ばせるのではないかと思うのです。強いて云うと、将来、民主主義の政治とそこに生きる市民の生き方の訓練をしている教育という感じがするのです。                              

 投稿者の佑佳さんも、持毛証明書に不信感を持つことを通して、これからの学校の在り方を考えているように思われるのですが。そしてこのような若い人が日本の未来を担っていると思うと嬉しくなり、安心するのです。                              
                               

                                     つづく

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2018年12月22日

ビュッケブルグ歳時記 193

希望

 2018年も終わる時となりました。世界中に不穏な空気が多かったように思われる年の最後に、来る年への燭光がないかと探してみました。探すのはやはり身近なところ、住んでいる地、ドイツが属するヨーロッパ圏のことになってしまうのですが。

 この国では何かの拍子に「宿敵」という言葉を聞くことがあった(る)のですが、長く住む間に、この、少し恐ろしさを含む言葉は、隣の国フランスとの間柄に使われるということを知りました。
 独仏の両国は長年にわたりお互いに相容れることなく、敵愾心をもって対してきたということです。1600年代の30年戦争、その後に続く仏とプロイセンの闘い、両国の文化も関係したフランス革命など、二つの国の間には多くの争いがあったようです。その中でヨーロッパ大陸のほぼ真ん中に位置するエルザス地方の所属が大きな問題であったということです。
 1950年にEG同盟が始まり、その後ド・ゴールとアデナウアー両首相によって友好関係が奨められ、1963年にエルザスがフランス領となるエリゼイ条約が諦結されたことによって両国の好意的国交が固まったといわれています。このエリゼイ契約は、民間人の大きな協力(姉妹都市を多く造ることや、仏独語の学習施設を整備する、両国共通の歴史教科書使用など)無しでは成立出来なかったといわれる程、両国民の意志と努力で成立にこぎ着けられた条約といわれています。 

 EU圏が働きを始める前にはこのような経過があったわけです。そして現在、EUのモーターとなるのはやはり独仏の両国であることは誰もが認めることだと思います。
 今年は、英国のEU離脱に続きポーランドやハンガリーの法治国家違反やイタリーの借金問題があってEU結束が危ぶまれるようにも思われますが、EU体制の大きな業績は、同盟国同志の戦争がな(い)かったということだと思います。この状態を持続するためにはEU連合がしっかり一致団結していることが必要で、核となる
仏独の連携のためかと思われる次のような行事がありました。 

 ドイツでは今年が第一次世界大戦終了後100年の記念の年にあたり、これをきっかけに、11月の国民敬弔日の議会にマクロン大統領を招待したのです。歴史上最初のことだということです。そこでのマクロン大統領の演説は、わたしに判る範囲内でさえとても良い内容だったと思います。
 「このような場に招待されたことに感謝する。我々の2国は、これ迄にあった闘いでの犠牲者を忘れることなく、失敗と責任を反省し、歴史の流れを避けることなく、真実と目的のために、両国間に信頼と公明を育てようと努力してきた。長い間、我々は不倶戴天の敵であったが、今はEUの主核として持(永)属する平和のための努力を惜しまない」等々。続いて、戦争無しのヨーロッパ大陸の和平のために「ヨーロッパ軍隊」を立ち上げる案などが続きました。

 前置きが長くなりましたが、宿敵だったドイツとフランスが今和解をしようと努力していることに大きな感銘を受けたのです。
 どの国にも、主権を持ちたいとか、相手を服従させたいという欲求はあると思います。それを圧して、あるときそれを克服しようという行動に出るということにはどんなに勇気の要ることか。双方で、この国で使われる言い方、「困難に打ち勝つには自分の影を踏み越えなければならない」を実行に移して、平和を保とうとする両国に感心するのです。

 対象がEUにまつわったので国と大きくなりましたが、この教えは、個人としても人に対する態度などに応用出来ることだと思い、来年の目標にしたいと思います。


 皆様、今年1年読んで下さってありがとうございました。
 読者の方々、良いお年をお迎え下さい! 


aokijuku at 01:10|この記事のみを表示コメント(0)
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