イク・リスマン

2017年08月12日

ビュッケブルグ歳時記 160

周りを見渡すと


 ふと気付いたことがあります。
 この地ーー1300年頃からの歴史を持つ、君主の居城のある、田舎の小都市での私の生活にはドイツ人だけではなく外国人との接触がけっこう多いということです。見回す隣近所には、様々な国の人達が住んでいるのです。数えて見ると、お隣はポーランドからの移住者、お向かいにはつい最近引っ越してきたスペイン人家族、その向こうには、Russland-Deutschと呼ばれる、大昔にドイツからロシアへ移住した民の子孫で、大戦後、ドイツに引き上げてきた引き上げ帰国者の数軒があり、それに、これは既述のシリアとコソボからの難民フッサムさん夫婦などです。
 教えに行っている学校でも教師の数人はロシア帰国者です。トルコ人の先生も一人います。そして午後からの教育保護者の大部分はギリシャ、イタリー、トルコなどの外国人です。ただ、この職業に就いている若い年代の人達は、両親が、外国者労働力導入時代にこの地に来た人達の子孫なので、ドイツ生まれで、ドイツの学校を出ているという点が少し違っています。この人達は、一応、ドイツ語に不自由がないということです。
 

 前置きはこの辺で止め、今日はお隣のポーランド家族のことをお伝えしてみます。ご主人は35歳で、工業機械の組立が職業なので、職場が全国に渡るため、場合によっては2、3週間留守になることもあるようです。奥さんは美容師で、自己経営をしています。6歳になるアレクサンドラは、先週、小学生になりました。
 半年前に引っ越してきたのですが、とても働き者という印象を受けます。ご主人は、出張の無い時は、勤めから帰ると直ぐ庭に出て庭仕事に励むのです。えっ、又といぶかるくらい芝刈りをします。わたしが、会社での仕事の後、又働くのは大変でしょうと云うと、気分転換になる、という返事がかえってきます。 そして、前の居住者が植えたいろいろな木を、半年間でほとんど伐ってしまいました。残っているのは塀の前に並んでいる数十本のヒノキの木なのですが、これも秋には全部切伐するそうです。そしてその後には、こちらで高床畑といわれる、板で作った脚のついた台床に、土を入れたものを3台作って、野菜を栽培するとのことです。この高床畑は地上ではないので、人参や大根などの地下育ちの野菜は土の中の虫に食われることがないので、一寸羨ましくなります。
 言葉数の少ない人なのですが、とても親切で、私宅の責任の垣根刈りもいつの間にかしておいてくれるのです。昔の居住者にはなかった親切です。そして、PCや電話器などのトラブルも、あれば見てあげると云ってくれています。
 奥さんは若さに輝いている人です。ポーランドとロシアの家族では、女性が美しく着飾るのが伝統だという話は、この地では有名です。生活を上回る着飾りをするということも聞きます。お隣の奥さんは良い意味できれいに装っています。
 この間は、ポーランド製の焼きソーセージをご馳走になりました。やはりドイツのとは違って、生地に特性があるのか濃厚でしっかりした味がしました。寒い風土向けなのかもしれません。違う味を味わせてくれたことに感謝しました。


 あるポーランド人ジャーナリストの書いた本には、ポーランド人は昔からドイツの良い移住者になろうと非常な努力をして、苦労をしてきた、とあります。人前ではポーランド語も話さないような。この裏にはポーランドを差別視するドイツの眼があるように思われます。
 外国人との接触が多いということから学んだのは、差別視の非について考えさせられたことです。多くの国が居並ぶ大陸であるからこそ出来る経験から、です。



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2017年07月22日

ビュッケブルグ歳時記 159

歴史に残る、ある可決一事実


 7月上旬に、これまで結末が引き延ばされていたある一つの事が、今回の選挙を前に新しい法律として、この国の市民の一部を幸せにすることになりました。この一事とは Ehe fuer alle = 短くて、良い訳が見付からないのですが、「誰れとでも出来る結婚」という意味で、この国の誰でもが、誰とでも結婚出来る、との法案が可決されたのです。


 ドイツではホモセクシュアルとかレスピッシュとか性変格者などについては、わたしの時代の日本に較べると、とてもオープンに話されることが多いように思われますし、この人達のジェンダー認識改革への声も大きく聞えて来ていましたが、今まで、同性者同志の結婚は不法でした。
 17年前に Lebenspartnerschat = これまた、良い訳を知らないのですが、(同性同志で)共に生きるパートナーシップ制度 との意味の制度が設定され、同性同志の愛情生活が解放され始めてはいたのです。しかし、この制度は普通の結婚制度とは違う、制限の多いものでした。
 その後、時代の変化とともに、又、民主主義の人間平等精神の解釈変化とその履行を新しく考えるとの気風から、同性同士の結婚を男女の結婚と同等にするとの動きが大きくなり、2013年には税金制度が普通の男女婚姻者と同じ扱いになり、大きな問題点であった養子をとって育成する制度が緩和されました。パートナーの子ども又は既に居た養子を二人で養育することが許可されたのです。しかし、パートナーシップの同棲者二人が養子をとることはこの時は未だ不許可でした。


 今回の可決、それに続く基本法の変改は、選挙前なので社会民主党SPD が、この同等案を通すことで票集めをしたいとの内幕噂もありましたが、ドイツの2大政党で現在大連党として司政しているCDU/CSUはキリスト教民主同盟ですから(聖書には、神は初めに男と女を創造した・・・とあり、そこから結婚は男女間のこととの解釈が普通)、この案には反対者が多いと予想されていたにもかかわらず、 6月30日の決議投票では議席数3分の2の票を獲得して可決されたのです。これで、同性同志の結婚が今までの男女間結婚と同じ権力を持つことになったわけです。以後は、同棲カップルも普通の夫婦と同じように養子をとれるようにもなったわけです。
 この結果に対してカトリック教派は、教えに背くものとして反対意見を、プロテスタント派は、共鳴と支持を表明していることを書き添えておきます。日本ではキリスト教をひとまとめに考えるようですが、新旧の差はここの結果でも判るとおり、はっきりした区別があり、両者の関係は決していつも平和的ではないのです。
 メルケル首相は、この問題は「その人の良心の問題である」として、反対票を入れたということです。


 この同性同志の結婚制度が確立したことは歴史的事実と言われています。宗教や歴史について不明なわたしには歴史的事実の本当の意味は判らないのですが、ここで判るのはやはり、市民の意見が通るという事実です。前回で度々お伝えしたとおり、音楽、美術などの芸術関係の意見も政治に大きな感心を持ち、宗教も今回の例のとおり政治に口を出すことを見ると、政治は市民のためにあるものということを、またしても強く感じます。政治が市民の近くにあるということが、市民の明日を作るのだと思うのです。


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2017年07月08日

ビュッケブルグ歳時記 158

民主主義にまつわり・・・


 今秋、この国では連邦議会選挙が行われることは、日本にも報道されていることと思います。各政党がそれぞれの政策プログラムを掲げて票集めに努めている今日この頃ですが、その中で、あるイヴェントが目に留まりました。ドイツでも初めての試みということですが、この国の、市民と政治とメデイア間の考えかたが示されているように思われますので紹介してみます。


 このイヴェントの名は「 Bundesleserkonferenz 2017」で、直訳では「連邦読者会議」となりますが、意味する所は、「全国の新聞愛読者と、各党最有力候補者5人との質問会談会」です。

 生き生きとした対話のある文化があってこそ民主主義は育つ、との意向のもとに、全国28の日刊紙のもつ「ドイツ編集局ネットワーク」が主催者です。特設のネットアドレスが作られ、選挙を前に、質問、希望などを持つ市民は、持つ問題をそこへ送る。集まった事項は編集者により厳選され、8月の末から9月の末に予定された、ベルリンのプレス会館で開催される5日間の会議日に、読者と有力候補者とが直接、質疑応答しようというイヴェントです。この会議出席希望者もネットで選出され、会議に招待され、政治家と直々に話し合う機会を与えられるというわけです。

 出席予定の政党は社会民主党、自由民主党、左党、みどりの党、ドイツのための選択肢党 の5党です。残念ながらメルケル首相は欠席です。
 

 現在、この国が向かい合っている一番大きな問題はEU圏の確保で、フランスとの連合結束から、EU 圏の国々を「ヨーロッパ連合国」のような形態にするまでの外交形成確立に関する問題です。その他、老年者社会となることからの介護問題、環境問題、年金問題、難民問題等々、数々の問題が浮かび上がっています。
 何処の国でも問題を抱えているのは同じだと思いますが、TVや新聞からはドイツは経済情勢も良、国としての安定性も良、民主主義も良く機能していると言われていることが耳に入ります。これは自国自賛だけではなく、外国からの声でもあるようです。 

 民主主義が上手く存在していることの原因は、議会が政府の意見に左右されること無く、一件を決定出来ることにあるようです。議員はその人の持つ意見に従って義務を果たせるわけです。政府からの拘束は皆無というわけです。これはメデイアに付いても同じで、報道することの内容も、報道先もその自由が確保されているわけです。意見の自由(日本では言論の自由と訳されています)と報道の自由が厳守されているわけです。


 このような民主主義を確保、持続するためには、これに対する市民の認識と、揺るぎの無い支持応援が必要とあります。そこから、このような国になるためへの筆頭行事として、今回ご紹介する「話し合い」イヴェントが施行されるわけです。これは、国も市民も絶え間無く、このような国を作ろうと努力していることを示していると思います。
 民による政治が行われるために、この国では人任せにせず、市民が率先して取り組むという感じです。このことは、いつも同じことになりますが、政治が国民に近いということから、国民も民主主義の意味を知っていて、それへの期待を自力で達しようとする気概を造っているように思われます。
 「話すこと」がそれへの第一の必要事項だということは云うまでもありません。 


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2017年06月24日

ビュッケブルグ歳時記 157

民主主義にまつわり・・・Documenta(ドキュメンタ)


 先回は年月とともに政治づいているソングコンテストをご紹介しましたが、今回はこれも政治が濃厚に息ずいている美術関係のイヴェントをご紹介したいと思います。
 

 標題の「ドキュメンタ」と名ずけられる展示会は、5年毎に100日間、地図で見るとドイツ国の真ん中に位置するカッセル市で催される、グローバルな前衛現代美術展示会です。
 この展示会の発祥は1955年に、ある美術教授が、ナチス時代には発表を許されなかった芸術作品を改めて社会に展覧することを目的としてカッセル市で始めたもので、現在はカッセル市とヘッセン州が主催者となっています。そして展示される作品の内容は文字通り時代を反映するテーマが自由に息づくアバンギャルド作品が多く、そのため屋内だけではなく、青空の下にも作品が展示されるのです。1922年に新築されたドキュメンタ・ホールだけではなく、市の公園や広場に、ある市民層の目には不可解で奇妙だと印象を与えるような作品が展示されるのです。
ですから、100日間に約百万人と予想される観覧者の殆どが1日中の予定で、リュックサックを背負い、市内を歩き回って美術芸術作品観賞を楽しむのです。
 今回は160人の芸術家が出品しているそうです。
 14回目の今年は「協力」を考え、4月ー7月の100日間、ギリシャのアテネ市で、同じ展示会が開かれたということを書き添えておきます。
 

 開会日にはギリシャとドイツ両国の大統領が出席し、独大統領は開会の辞で、
政治的展覧会であると明言し、「真相と欺瞞が格闘している現世」を映し出す展示会だと表明したそうです。文化大臣も、揺れている今の世界に狼狽しながらも、そのような社会を揺さぶり鼓舞していることがわかる展示会であるとして、社会的にも政治的にも有意義なイヴェントとしています。
 開会日の記者会見では、シリアからの避難民である一バイオリストの演奏があったということです。ここにもドキュメンタの政治性が見えます。


 このようにドイツだけでなく、ヨーロッパでは音楽、美術など芸術にまで政治が入り込んでいると感じるのです。こちらの人達にとって政治は特別なものではなく、生活の中にある「必然的なもの」となっているという感じです。そこから
自分たちの社会を、生活を少しでも良くしようということに、こちらの人は無意識になっているほど、積極的だと言えると思うのです。
 日本ではこれほど政治が市民の興味を引いていないように感じます。その理由をわたしなりに考えてみた結果は、大部分の市民の生活水準がとても高いので、現在の生活に満足している国民が多いことから、政治に対する感心が薄いのではないかという思いにたどり着きます。日本は衣、食、住のどれも非常に高い水準にあります。充分な食事もとれない貧困層の子ども達や、老年困窮問題なども耳に入るのですが、満足しきっている中級階層の国民の多数の影に隠れて彼らの声は薄くなっているように思えます。
 このように、国民の政治興味が薄くても高水準の国勢になると思うと、市民の政治への積極性は重要ではないのかとの疑問も出て来るのですが・・・
 民主主義には「平等」が謳われています。高低の差を出来るだけ少なくする社会を作るためにはやはり、庶民の積極性が必要なのではないかとも思うのです。

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2017年06月10日

ビュッケブルグ歳時記 156

民主主義にまつわり・・・


 日本では余り知られていないように思われますが、5月になるとヨーロッパでは
毎年、Eurovision Song Contest(ESC) = 流行歌(ポップ、ポピュラー・ソング)祭りと銘打つコンテストが催されます。判り易く云うと”シンガーとソングライター・コンクール”です。今年は62回目として5月13日に、42カ国参加の最終会がウクライナ首都キエフで行われ、その模様は全ヨーロッパに向けて、多分世界に向けても、テレビで実況されました。この土曜日の夜のゴールデンアワーは、舞台一杯の、輝く光と色彩と創意に溢れた装置の中で歌う、これまた眼を見張るような様々なステージ衣装のシンガー連の独占放送が深夜まで続くのです。


 ESCは1954年に創られたローロッパ放送組合が基で、1993年のEU圏設立とともに、スイスを主国として、ヨーロッパを、よりモダンに、より多彩に、否ソ連的に、放送網を通じて世界へ紹介しようと意図した中の一つとしてヨーロッパ・ポップ・フィクションを創ろうとしたことが起原だそうです。ですから対象はポップ音楽であったわけですが、ポップ音楽愛好者達が、ユーチューブとか ツイッターなどを用いて年々会合を続けるうち、市民運動や戦争反対などの様々な世情の影響を受け、微妙に政治性を帯びてきて現在の姿となったようです。


 例えを挙げてみます。
 1971年には「今ある世界は」と題する対環境の歌がドイツ代表となりました。10年後にはこれもドイツの歌手が、「少しでも平和を」と核反対を訴えた歌を唱って優勝しています。2009年のモスクワ市開催の際には同性者達の大デモがあり、2013年マルモー大会ではレスピアンの歌手とコーラース女性との舞台上でのキス・シーンが、自国での禁止令に対する反抗としてアピールを行っています。そして、その後、既述の女装した男性コンチータ・ブルストがウイーン市の会で同性者解放を歌い上げています。
 イスラエルからも参加していることも書き添えておきます。


 なぜ 民主主義にまつわること・・・というテーマに、ソングコンテストの模様をご紹介したかというと、ドイツ人だけではなくヨーロッパ人の「政治好き」が目に入るからなのです。流行っている歌を楽しむだけではなく、何かの集団が創られたり、人が集まる機会があると、その機会を利用して自分たちの住んでいる社会をよりよい社会にしようと声を挙げることに気が付きます。これは多くの市民が、自分たちの社会をもっと良くしたいという考えを何時も持っているということだと思います。そして外界に向けてそのための意志表示を忘れないということは、政治好きと云ってよいと思います。これは政治が身近にあることから出来ることで、よい社会作りが政府だけの仕事であると思ってはいない証拠ではないでしょうか。自分たちも参加しようという気を持っているように思われます。こう思うことから、政治を民がする、との民主主義を人々の考えに浸透させることは是非、必要なことで、それには政治が何時も傍らにあるような生活環境をつくり、子どもの時代から政治感覚を養ってゆくことが必要だと思われます。
 政治を変えるには社会を変えなければなりません。社会を変えるには教育を変えなければなりません。そのために、民主主義についての勉強を改めて行い、それを子ども達に教育し、この制度が身じかになるような社会作りをすることが、発展した世界社会には必要だと思います。


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