イク・リスマン

2022年09月24日

ビュッケブルグ歳時記 281

 総額 65Milliarden の「冬に向かっての市民に対する援助小包」が決議され、内容が発表されましたのでお知らせします。

* 高騰するエネルギー代金に関して・・・全ての年金生活者に対して12月1日に300ユーロが支給される。これは所得税を支払う義務がある。

* 大学生、専門学校生には200ユーロが支給される。 

* 児童手当(辞書には:ドイツでは公務員、年金生活者以外の市民に国が支給するもの、とあります)・・・2023年1月から、第1及び第2子に、18ユーロが増額された237ユーロが毎月支給される。また低収入家族への児童手当は2023年1月から、229から250ユーロへと増額される。

* 失業者には・・・新しく改名された “Buergergeld“ ( 市民金)として1月から500ユーロが支給される。この金額は今までの HaltzーIV(これまで使われていた失業者への援助金) の449ユーロよりも多額である。

* Midiーjobs(月額収入が1300ユーロまでの仕事)・・・の最高額を10月から1600ユーロに、2023年1月からは2000ユーロに格上げし、社会保険支払い義務を少なくする。

* 収入税・・・ある勤人が昇給した場合、それに合う税金を支払うと手元に残る額が少なくなりすぎる場合を考えて、収入税とインフレとの間の税額を考慮し、税金を少なくする。

* Homeoffice ・・・パンデミーの時期に施行されていた、日毎5ユーロ ー 年間600ユーロを税金から除く可能性は、今年までであったが、以後は期間制限はなしとする。

* レストランでの食事にかかる追加価値税・・・今までは7%だったが、9月の末からは無くなる。

* CO2ー価格・・・車を走らせるガソリンや暖房に使われるガスやオイルなどの販売会社に義務付けされる資金、1トンあたりにつき30ユーロを35ユーロに引き上げる計画は1年伸ばされる。同時に2025年には55ユーロとの計画も26年までと変更される。


 大雑把な援助小包(全部で65 Milliarden かかる)の内容はこのようなものです。 

 市民の反応はいろいろで、例えば「全部の年金生活者に300ユーロを支払うというのは不適当である。十分な年金をもらっている人にまで支給する必要はない」とか、「温暖化防御への支援が少なすぎる」とかの非難の言葉もあるようです。が、暖房費を節約するために暖かい Schlafsack を買ってきて長い冬の夜を楽しむ支度をしたとかの協力をしている若い世代のことも耳に入ります。

 日本の昔の国会と政治家しか知らない私には、市民に向けて国の方針を公開する連合政党に驚くと同時に、政治と市民が近い新鮮な民主主義の形が見えるように思われるのです。
 「国民から選ばれた連合政党の我々は、このような政治を国民に返す」という話し合いがあるように見えるのです。


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2022年09月10日

ビュッケブルグ歳時記 280

「ドイツ東西統一の生みの親」の死

 という見出しで、先週は、世界の西といわれる国々と、過去には東に属していた国々では、一人の夢想的改革者として高く評価されていたにもかかわらず、ロシアでは「裏切り者」と蔑まれていたゴルバチョフ氏の訃報が世界中に行き渡ったと思います。
 この訃報はドイツにとっては表題が示す通り、東西統一を可能にしてくれた政治家であったことから、彼の死を悼む気配は殊の外大きいように思われます。また、現在行われているウクライナ戦争を考えると、「平和」というものの行方が途方もなく困難になるような気がします。
 
 ドイツの一新聞に載った、ゴルバチョフ氏の志を簡単にお伝えしてみます。

 1931年に南ロシアの農村で、ロシア人と父親とウクライナ人の母親の元に生を受けた彼は、集団農場からモスクワの大学で法律を学ぶ資格を取り、同時に哲学を勉強していたライサと知り合う。以来、この二人は公私いずれの場で離れることはなかった。
 1985年に、54歳の若さで、ライサと共に、当時すでに凍結したロシアを前任者チエルチェンコから受けつぐ。米國では1981年からカーボーイ・ハットのレーガンが大統領であった。東西ベルリンの間もコミュニケーションなし。
 ソビエットのアフガニスタン攻撃をきっかけに世界は核戦争を恐れる時代となっていた。 
 そこへ Gorbi(東ドイツの国民が親しみを持って用いていた呼び名)は、Glasnost(透明 ーメデイアと公官庁に)と Perestroika ( 改築 ー思想と経済機構に)を社会に命令する。これによりソヴィエットの民主化を図ろうとしたのである。しかし、残念ながら70年間続けてきた社会主義を、特に経済機構での社会主義を立て直すことは不可能であった。
 だが彼は常に正義と自由への渇望を持っていたので、他の東ヨーロッパの国々に自由を与える結果となった。
 1989年には「ベルリンの壁」が取り除かれ、アメリカとの武器競争も中止となり、「冷たい戦争は終了」と宣言され、1990年にはノーベル平和賞を授かる。
 このように彼は祖国以外では栄誉に輝いていたが、祖国は過去にこだわって、共産主義の保存が力を強めていた。1991年にゴルバチョフの主張は音もなく消されて、党首を降りることになったのだが、命があったことは幸いであった。
 そして2005年にプーチンが大統領になったが、挨拶でソビエット連邦が崩れたことを20世紀の最大の地政学上の災害であったとして、ロシア帝国を墓穴に押し込んだ首相としての待遇が、ゴルバチョフには待っていた。
 しかし今はゴルバチョフは20世紀最大の改革者とみなされていると言っていいと思われる。
 1999年にライサが亡くなった時には、自分の人生の存在価値が無くなったとして公の場に出ることも少なくなったが。

 このような政治家がいたことに、特に今のような時代、ウクライナ戦争の真っ最中には彼の死に心からのお悔やみを送りたいと思います。

 そして「平和」ということの意味を忘れてはいけないと思います。

 随分前のことになりますが、近くの小都市の1軒の本屋にゴルバチョフ夫妻が来るとのニュースを見て、友達と二人で馳せつけたことを思い出します。彼らの笑顔を思い出す時には「平和」を思い出し、身の回りの小さな「平和」でも、忘れないようにしたいと思います。


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2022年08月27日

ビュッケブルグ歳時記 279

この国の国技 Fussball についての歴史と余談


 連日の30度を越す今夏に疲れてしまいましたので、今回は先回の続きのFussball についてのよもやま話をお伝えしたいと思います。
 女性Fussball の成り立ちが先になってしまいましたが、今回は大雑把なサッカーの成り立ちをお知らせしてみます。

 最古の記録としては紀元前3世紀に中国で Cuju という競技があり、軍人の体力育成に使われていたとの記録が残っているが、100年後にはこのスポーツはすっかり忘れられたそうです。

 次に残っている記録としては、1845年に英国の Eton College などの私立学校や大学で体を鍛える訓練としてなされていたスポーツが Fussball の前身だということです。その当時はボールを手で掴むことは許され、ボールを持っての移動は不許可という記録が、当時のラグビー・スクールの記録に残されているということと、1863年に Football Association が作られたということが Fussballの起源が英国と言われる所以ということです。

 1870年から74年の間に、ゲームの仔細、チーム団員数は11人、手の使用はゴール・キーパーのみ、ボールの大きさ、審判についての規定が決められ、2年後の1876年に夜光灯の下での試合が許可され、今のゲームの形が成り立ったということです。
 その後サッカーのヨーロッパ大陸への上陸が始まったわけですが、この先頭はスイスだったということです。
 30年後の1900年にドイツでは DFB ( ドイツFussball 連盟)が結成され、1904年に世界的スポーツと認められた、というのが大体の歴史ということです。

 よもやば話の最初はファン・クラブについてです。この国には18の Liga (一定地域のチーム)があるのですが、そのチームのファンは同じ地域の出身者であることは当然ですが、多くのファンが何らかの理由でその地域に居住していないことが多いことも当然だと思います。次の例はそのような場合の例です。
 首都ベルリンのある街角の一角に「Rossle」という名の、見栄えのしない居酒屋があります。そこは Liga Stuttgart のアジトで、約150名のファンが、一年に30ユーロを払って経営しているのです。この国では試合のTV中継は、特別料金を支払わなくてはならない場合が多いのです。
 週末には、南ドイツのStuttgart地域の出身者でベルリン居住者のファンが集まって、夏なら冷たいビールを、冬ならワインなどを片手に録画や実況を楽しむのです。
 Stuttgart のある B. W 州の総理大臣や農林大臣も時々、訪れるということです。
 最後に、キャプテンは日本人の ワタル・遠藤 さんです。「このテームは試合中につまずくと放棄してしまうという傾向があるのだが、遠藤キャプテンはそれを最後まで頑張らせる力を持っているから」がこの選抜の理由ということです。

 よもやま話の2は:今夏、7月22日に訃報が伝えられたある一人の選手についてです。Liga Hamburg の センターホワワードとして1946年から1972年までこの団にとどまって活躍した Uwe Seeler という選手が85歳の人生を閉じたのです。途中に Inter Mailannd からの莫大な契約金の誘いにも乗らず、HSVにとどまって競技をした”足が地についた人間”として、ハンブルグの名誉市民として愛されていた選手です。”彼のハンブルグの競技場” で追悼式が行われ、中継されたので全国のファンが別れを惜しむことができたのです。

 爽やかな話で、猛暑を過ごしやすくするブログでありますように・・・




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2022年08月13日

ビュッケブルグ歳時記 278

女性のサッカー競技について

 酷暑の今年の夏7月には、「ヨーロッパ女性サッカー・ナショナルチーム大会」が、英国中にあるサッカー競技場を回って行われていました。そしてその全てが中継され、太陽の残る長い夏の宵を、多くのサッカーファンがTVの前でその模様を楽しんでいた夏風情をお伝えしてみます。

 日本のプロ野球のように、ドイツではサッカー(Fussball)が国民競技で、長い間、”男性の競技”としてみなされていました。重要なリーグ戦のある日は、夜の車の交通量が少なくなるほど多くの男性が家や、ビストロなどでTV観戦しているためです。今は女性の観戦も多くなっていますが、昔はサッカーは、競技するのも、観るのも、”男性のもの”で女性の観戦は極々少数だったということです。 

 こんなことから、うっかりサッカーの発祥地はドイツだとばかり思っていたのですが、今年の”女性全国選手チーム”の中継で、英国では男性だけではなく、子供から大人の女性までがファンだと知って、調べてみたところ、英国が発祥地であることを学びました!
 既に15世紀に、村対村という広大なフィールドで戦われた、野蛮な、小さな戦争のような形で発足した競技ということも知りました。

 サッカーの歴史はさておき、時代の推移が見える”女性サッカーの成り立ち”も、とても興味深いので、今回はその過程をお伝えしてみます。 

 1930年に初めてフランクフルトに女性チームが作られ、競技をしたところ、”男みたいな女たち”と蔑まれ、石を投げられる結果となったため、女性サッカー興行は中止。
 1955年にはDFB(ドイツサッカー連盟)から公的禁止令が出る。「サッカーをする女性の姿は女性としての優美さや、端正な態度を失って、体だけではなく精神的にも、そして遂には子供を産む機能にも害がある」が理由として挙げられていたようです。ただ、禁止令が出ても私的には同好女性が集まって競技は続けられていたということです。
 1970年に禁止令が解除される。ただし、競技時間は35分間を2回、スパイクのついた靴は履かない、ボールの大きさも小にする、冬は休暇などの条件付きだったようです。
 1980年から国際試合が開始。このような経過を経て1989年にドイツ女性チームは EM(ヨーロッパ優勝) 杯を受けたのですが、そのご褒美がコーヒー・セットとアイロン台であったと、今は笑い話になっているのです。
 そして今回のEM大会中継の間の関係者の説明や懇談の折りに Sexismusという表題のもとに、女性サッカーに関するいろいろな問題が検討されていたのです。
 女性サッカーの社会的位置承認を確立しようとの意図です。

 まず報酬賃金の差として、1974年の男性世界選手権勝利には35900ユーロが支払われた。1989年の女性ヨーロッパ優勝には、上記のコーヒーセットとアイロン台の差。
 そしてサッカークラブの一員としての給料の差、男 2500ユーロ、女750ユーロ。
 このような差から、今の女性サッカー選手たちは練習、競技の他に学生として学んでいるか、何かの職に就いて生活費を得ているという差についての議論です。

 日本の「なでしこジャパン」も、最近強くなっていると聞きました。強くなった選手だけではなく、全部の女性サッカー選手の社会的位置が1日も早く確立することを願いながらのブログです。  

 最後に、今年の夏のEMではドイツは決勝戦で開催国英国に2:0で負けてしまいました!
 



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2022年07月23日

ビュッケブルグ歳時記 277

希望の見えない未来 2

 残念ながら先回のブログの続きをお知らせすることになってしまいました。 

 最近のTVニュースの先頭は、ヨーロッパの、主に南の国々で多々起きている森や草地の大きな火災についてです。この火事の元はいろいろあるようですが問題になっているのは、地球温暖化からくる自然発火であるということなのです。
 ヨーロッパの北にあるドイツの気温も高くなっていると言われている時に、昨日は、2都市で今年最高の40°cを超したのです。

 そしてこれもタイミングよく、ボン市の近郊のペータースべルグで40カ国が集まって開かれている”地球気候対話会議”に出席している外務大臣からのメッセージ「地球温暖化は人類にとって最大の危機であり、今世紀最高の災禍である」の重みが市民に伝わっているのです。
 外務大臣はこれに続いて次のような発言をしています。
 「今年の11月にはエジプトで COP27 (世界気候会議)が開かれるが、それまでに我が国は今までの2倍の努力をしなければならない。ウクライナ戦争がもたらすエネルギー問題から、石炭発電を続けることになるがこれは非常策であって続ける政策ではないことをはっきりさせる。

 また燃料用液体ガスを作るまでには8年間の期間が与えられているが、経済大国はこの事業に力を注ぎ、その間、貧しい国々への援助を忘れてはならない。これには費用がかかるのだが」
 また先回276のブログで取り上げた G7 の行方もつまずいているとの批判です。集まった資金を後進国に役立てることに疑問があるように読めるのです。    
 また排気ガスを2030年までに65%少なくすると言っていたのに今年の量はこれより多くなっている、と国の政策の不実行を明かしているのです。 

  Fridays for Future は「我が国のショルツ首相は”化石の如き時代遅れの首相だ”」とここでも厳しい批判をしています。

 このようにペタースベルグ会合では、外務大臣からのメッセージ以外は残念ながらネガテイブな批判ばかりが現在の世界環境管理方法に挙げられているのです。  

 そして次の難題は高温に対する人間の健康維持の問題です。この国でも老人が多くなっているので、その人たちの住む施設や、病院の設備が問題になっているのです。個人の家で冷房のついている家は聞いたことがないのですが、公共の施設でも暖房は完璧でも、冷房は今まで必要がなかったと言って良いと思います。

 ドイツでは2,018年から2020年までの2万人の人が、暑病で亡くなったということです。南国のフランスでは7万人と多くなっているようです。この数から85歳以上で、心臓や循環器衰弱などの病気や慢性肺症候群、糖尿病を病む人は特に要注意と言われています。
 ですからこの頃の新聞には暑い日の心得として、「水を十分に飲むように」と「直射日光を避けるように」の注意書きが毎日見られます。
 また、労働組合からの休暇時間を長くするようにとの要求も見られます。

 「地球の温暖化は人類にとって第一の存在危機を示すもの」という外務大臣の言葉を忘れずに、世界中の一人ひとりが地球の将来を思って暮らすのを願うばかりです。 


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