青木叡介

2011年08月13日

「責任を取るということ」

自分の命をなげうっても、人の命を救う。嘗て、純粋な気持で多くの若者が命をなげうった。前の大戦時に、その気持を利用して体制を維持し、自己の利益や保身を図った大人たちが非難された。されど、他人のために自分の命を捨てる行為は、日本人の行動様式であると多くの日本人は今も思っている。しかし、今月9日付の米ニューヨーク・タイムズ紙の紙面を見ると、その思いは揺るぎだす。
「フクシマの情報公開が遅れ、住民らが被曝か」とする記事である。
「東京電力福島第一原発の事故をめぐり、日本政府が緊急時迅速放射能影響予測(SPEEDI)のデータを事故 直後に公表することを怠ったために、福島県浪江町など原発周辺自治体の住民らが被曝している可能性が高い。菅政権との対立で4月に内閣官房参与を辞任した東大大学院教授が、事故直後にSPEEDIのデータ公表を政府に進言したが、 避難コストがかさむことを恐れた政府が公表を避けた。原発事故の規模や健康被害のリスクを過小評価しようとする政府に対し、社会の怒りが増大している。」
確かに、政府が福島原発の事故を適切に処理できなかったことは、米紙に指摘されるまでもなく、誰の眼にも明らかであり、最高責任者である菅直人首相の責任は万死に値する。ただ、ここに載っている東大大学院教授の行動の仕方に些かの疑問を感じる。原子力学者として、当時もっとできることがあったのではと思う。ウィキぺディアの記述を見る。
「2011年4月29日、衆議院第一議員会館で参与辞意を表明する記者会見を行った。涙を浮かべた会見は『いろいろと官邸に申し入れてきたが、受け入れられなかった』と述べ、特に、原子力発電所の作業員の緊急時被曝線量限度を年250ミリシーベルトに引き上げたことについて『もぐらたたき的、場当たり的な政策決定を官邸と行政機関が取り、手続きを無視している』と主張するとともに、『SPEEDIの測定結果の公表が遅い』と指摘した。校庭利用基準である年間20ミリシーベルトに ついては、『この数値を、乳児・幼児・小学生にまで求めることは、学問上の見地からのみならず・私は受け入れることができません。参与というかたちで政府の一員として容認しながら走って(基準値引き上げを強行した)と取られたら私は学者として終わりです。それ以前に自分の子どもにそういう目に遭わせるかといったら絶対嫌です』と述べた。ただ、内閣官房参与辞任後の5月3日、それまで公開されていなかったSPEEDIの事故当時の予測値が突然理由もなく公開された。
辞任が政府を動かし、SPEEDIの公開に繋がったようだ。とは言え、事故から50日あまりを経ており、周辺自治体の住民らは既に被爆している可能性がある。その間、同氏は内閣でSPEEDの公開を主張していたのであろう。一刻を争う事態に、何故にもっと早くマスコミに訴えて、政府を動かすことが出来なかったのか?尖閣諸島中国漁船衝突事件では、政府の映像ビデオ非公開の方針に反発して、一色正春海上保安官はビデオを流出させた。法の下で許されることではなかったようであるが、日本の防衛上の問題点を国民に遍く知って貰いたかったという動機が根底にある。一連の行為を、一色保安官は職を賭して行った。それに比べ、この東大大学院教授は3月16日に参与に就任してから約50日後に、抗議の辞任をしたのである。米紙が報じるように、事故直後にSPEEDIのデータ公表を政府に進言したが、 避難コストがかさむことを恐れた政府が公表を避けたたことが事実であれば、何故4月末まで待っていたのか?直ちに、4月末よりはるか前に、大学院教授の職も辞し、ただうろたえて右往左往しているマスコミを集めて、その主張をすべきであった。命を賭けた訴えは、広く世間の感情を動かし、もっと前にSPEEDIのデータ公表を成し遂げられたに違いないのだ。
その昔アメリカで職にあったときに、現地アメリカ人の無理解により問題が発生すると、上司や部下に当たる日本人の多くが、「I told you.」としばしば言っていたのを記憶する。「I told you.」で言っただけでは責任は免責されない。己が力を最大限に行使して初めて、責任をまっとうできる。ましてや、原子力の権威と看做され、日本では最高の大学とされる東京大学大学院で教鞭をとる身である。何万人、下手をすると何十万人の命がかかっているのだ。そんな人たちを救うために、何が出来るか常に考え、時には身を捨てる覚悟をしなければならなかった。覚悟は、政治家だけに求められているのではない。それぞれの権威者に求められているのだ。


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2011年07月03日

「身の回りの東京電力」

未だ収束の見通しが見えない東京電力福島第一原子力発電所の事故。1000年に一度の地震に伴う津波に遭遇したとは言え、放射能を撒き散らし、これほど人命に影響を及ぼす可能性がある大事故の渦中にいても、原発の即時停止や撤退の声が圧倒的多数にならない。菅直人総理大臣の対応の悪さは声高に報道されるが、原子力発電の廃絶の世論は、福島からはるか離れたドイツやイタリアに比べ、遥かに盛り上りに乏しい。

原発抜きには、日本の電力供給が維持できない。電力を維持できないと、電力消費型産業の海外へ移転が加速、国内が空洞化するという懸念。水力や火力、それに風力や太陽光などの自然エネルギーによる発電ではコスト高で、産業競争力を落としてしまうという。この種の問題に素人の我々は、権威者の発言を頼りにするだけである。

こんな中で、身の回りの東電との係わりを見渡してみた。そう言えば、3年ほど前結婚を機に辞めたが、原子力発電をPRする会社に、親戚の子が就職していた。また、今扱っている機械設備用の機器を、ある代理店の郡山営業所が時々買ってくれる。郡山に営業所を置いている理由に、東電の原発絡みの事業所を販売先に持っているためであることが多い。この機器もその周辺で使われているのだろう。原発と少しは係わっていたことに、改めて気になった。そんな人間が多く存在していれば、世間は東電や原発に寛容になる。

ちなみに、日本の電力会社の従業員数は、連結で見れば去年の3月では20万人を超えている。かつて、公共事業を維持しなければいけないとの理屈に、建設業界の従業員数が700万人存在するからといわれた。当時の小泉純一郎総理は、公共事業の削減で大きな抵抗を受けた。公共事業を生業としている土建屋と政治家、そしてそれにかかわる官僚が、鉄の三角形を形成していた。それでも今は、500万人を下回ってきている。

そう言えばとの話に、東電が原発のPRに吉永小百合さんに長いことアプローチをしていたとの話を聞いた。サユリストの担当者は、執念を燃やしていたそうだが、吉永小百合さんは決してとその話を受けなかったと、今になって感心している。東電の原発に対する広報活動は、官庁・民間・マスコミを問わず、担当者が、その担当をはずれても、お歳暮、お中元の形で追いかけてきたらしい。中国に関するコンサルをしている友人は、一度知り合った中国人の官僚に対して、終生変わらずにお土産を持って訪問している。浮き沈みの激しい中国ではとても効果的であるそうだが、ローテーションが活発な日本でも、担当をはずれた人間には、例え下心が見え見えでも、東電からの自分を思いやる優しい気持として、感謝されるに違いない。

支払いが滞ると電気を切られる。鉄壁の取立てシステムを持っている独占企業である東電は、税金を滞納しても直ぐには権力を行使できない国家権力より、強い存在と言われる。電力を使う限り値段の交渉も出来ず、ただ決まった日に支払いを免れ得ない無力な大衆は、未だじっと身を潜めている。大幅な赤字を前に、余分なお金が無くなって、広告料という魔力を使えない今こそ、正義の味方と称するジャーナリストの出番であると思うのだが。


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2011年05月29日

「マスコミさん、頼みます」

震災このかた、携帯で時間ごとのNHKのニュースが判るようにしている。とりわけ、福島第一原発の進捗状況の情報は、直ぐにでも知りたいところ。水素爆発があった後、多くの外国人が帰国し、新幹線も大阪行きが大変な混雑したようだ。関東西部にある我が家にも親戚がやってきた。すべての人が不安で、東京でも放射能で汚染されてしまう恐怖にあった。その中で、計画停電とガソリン不足、車でも電車でも何処にもいけない。歩ける範囲が生活圏になったが、近くのスーパーには、開店前から中高年が長蛇の列。
あれから2ヶ月、未だに原発の問題が解決している状況には無い。原子炉格納容器に穴があるのがわかり、当初考えられていた水冠が不可能になった今は、冷やし続けるための大量の水が放射能を含んだ汚染水になり、その保管場所の確保にも苦労している。それでも、6月中にはアレバ社の高濃度汚染水の浄化装置が稼働し、汚染水の量を敷地外に流さず原子炉の冷却に再利用できる体制が確立できるようだ。
それにしても、技術大国を標榜している我が日本はどうしたことだろう。1000年に一度の地震や津波が想定外であったか否かは別にしても、高濃度汚染水浄化装置も、放射能汚染環境下のロボットも、フランスやアメリカで開発されたもの。このような事故が発生することを予想しなかったことが、その理由であると言われている。
そうであっても、汚染水浄化に関して国内で僅か一月位の間に、数々の発明がなされている。その一つに、「金沢大学の先生が秋田県の浄化剤メーカーと組んで、汚染水を効率よく浄化する粉末を開発。アレバ社の処理能力の20倍に相当。」とある。またこれ以外には、「発展途上国の水質浄化などを手掛ける日本ポリグルと大阪大学の合同研究グループは、同社製の薬剤を使って実験をおこない、福島第一原発の敷地内に溜まる高濃度の汚染水はもちろん、海に放出されたものもの放射性物質を取り除けることを実証した。」と言う話や、「創造科学研究所は、放射性物質を含む水の浄化を想定し、ヨウ素とセシウムを効率除去できる処理装置を試作。実験の結果、原子力発電所の事故で問題視される放射能汚染水の浄化に活用できることが分かった」との報道も目にした。
それにしても、技術大国日本の科学者の努力が、以上の開発の成果に出ているのであれば、なぜにマスコミはもっとフォローアップをしないのか?東電になぜ採用をしないのかを問い質さないのか?日本で独自に開発された技術である。今こそ、史上最悪の原発事故を逆手にとって、放射性汚染水浄化技術の確立を図れるチャンスなのだ。事故以来、反原発の空気は高まっているので、以前考えられていた程原発は増えないかもしれないが、今後も原発の事故は発生する可能性があるとみてよいだろう。その時に備え、事故処理技術を確立することが必要がある。それを、日本の得意技術にする。今まで実績がない技術でも、効果があれば採用する。これこそベンチャーを育成する手法そのものだ。それをマスコミが主導したらどうか。絶望のふちに、人類を救う技術を日本が先導する。安全な現在と明るい希望のある未来を作り上げるために!マスコミは今こそ存在の意味を示そう。


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2011年05月14日

「銀行で自動車税の支払いをしてみた」 

4月、5月は固定資産税、それに自動車税の納入期限の季節。僅かばかりの家屋や土地、新車には程遠いマイカー、それでも税金は忘れずにやってくる。アメリカ時代の一時期に、投資銀行並みの給与を払うと言われ現地採用に変わった時の、妻と二人分の未納国民年金保険料の追加支払分を加えると、かなりの金額になる。それでも、後の二つは口座振替のため、自動車税の支払いに納税通知書と現金を持って家を出た。
建設されたのが今から30年から20年前の間、バブルの面影を残した人口7千人の典型的なニュータウンである。建設と共に都心から移転した大学も、駅からの不便さゆえ受験生が大幅に減少、学校経営に支障をきたし、数年前都心近くに回帰した。その後幸いにも自動車会社の研究施設が移転、住環境はむしろ好転している。中心部には、スーパーマーケット、病院、歯医者、薬局、床屋、洋菓子店、郵便局に銀行の支店まである。コンビニは、20年ほど前青少年の夜遊びを助長するとPTAが反対したため、未だ見当たらない。
いつもは、1時間半の散歩の途中にある山向こうのコンビニで支払いをする。ガムや雑誌を買うほどの簡単さ。混みだした時には、さっと無人のカウンターをあけてくれる。今回は口座残高を確認する必要もあり、通帳を持って銀行に入った。CD機で記帳したあと、順番を示す番号カードを取り、記帳カウンター向かった。税金の支払いには入金伝票が必要とのこと。名前、電話番号、金額、それに申込日を書き入れる。行員が7、8名ほどの小規模な店舗ゆえ、あまり待たずにカウンターで手続きが済んだ。銀行員の丁寧な物言いは、現役を去りつつあり身には、幾らか面映く感じる。
初めての銀行での自動車税の支払いが済み、コンビニと銀行の違いはなんだろうかと考える。気楽に立ち寄れるコンビニ、併せて日用品も買える。銀行では何も買うものはない。友人のコンビニオーナーは、従業員の確保に苦労している。最低賃金に近い給与で探しているからのようだ。銀行員も嘗ての高給取りのイメージから変わっているが、それでもコンビニ店員より高い給与を貰っていると思う。そのためか、コンビニより幾らか厳粛な雰囲気が店内にあり、利用者には安心感があるが、所詮は数万円の支払いが間違いなくできれば問題ないはず。コスト/パーフォマンスから見ると、コンビニの圧勝だろう。
経営学の教科書に、「目標設定」とは「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」であり、したがってむしろ、「目指さないもの」=「切り捨てるもの」から議論すべきとある。今や税金や公共料金の支払いは、利用者にとってコンビニが便利だ。なぜ利益の極大化を目標としている銀行が、未だ取り扱っているのだろうか。ちなみに、納税通知書の添付資料には、自動車税の納付には口座振替(自動払込み)が便利です。「来年度からの口座振替等をご希望の方は、封筒に記載の自動車税コールセンター、自動車税管理事務所または各県税事務所へご連絡ください。申込書をお送りいたします。」とある。経費削減に躍起になっている県や銀行も、申込書取得のため利用者に電話を掛けさせるより、予め申込書を通知書に同封したほうが、より多くの銀行口座振替希望者を拾えるのではないかと思ったのだ。


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2011年02月19日

「銀行、今は昔の話」

久しぶりにアメリカに送金するため、取引銀行に行った。あまり好い顔をしない。「メガバンクと取引はありませんか?」と言う。聞いてみると手続きが面倒で、そのうえメガバンクに依頼をするため時間がかかるのだそうだ。「先方からのインボイスのコピーも必要です。」と、同情しつつも明らかに迷惑そうだ。自宅の住宅ローンの借り換えを熱心に薦めた隣県の地銀である。親切心に惹かれてその後設立した会社も、ここに口座を開設した。こんなに不便だとは知らなかった。以前は何の問題も無く、送金できたのにと思っていると、「テロ資金のマネーロンダリングを防ぐため、厳重になったのです。」と窓口の女性。海外送金を断って商売になるのだろうか?インターネットバンキングや新しい仕組み導入に熱心な銀行なのに。
そもそも銀行の役割とは何であろうかと改めて思う。受けた預金を他人に貸し付けて、その金利の差額が利益になっているのであろうが、金あまりの世の中では、その貸し出しもままならない。そのためリスクフリーの手数料で儲けようと考えていたはずである。その手数料を稼ぐ機会を閉じてしまっては、国際的な取り決めがあるにしてもと、哀れな感じがした。銀行の存在感も薄れていくのは当然かもしれない。
シアトルにあったR&D会社を、業態転換で販売会社に変えた際、その移転先を中西部ではなくロスアンゼルスにした、嘗ての勤務先の創業者の考え方が思い起こされる。35年前のこと。製造業の大集積地である中西部でなく、北米の南西の端であるロスアンゼルスに全米の拠点を設けた大きな理由は、取引日系銀行の存在にあった。企業にとっての命綱は、お金であり、それを貸してくれる銀行である。その銀行に近いことの大切さである。
10年ほど前に、あわや倒産の憂き目に会ったことから創業者の思いは始まったようだ。不景気からくる業績不振により30円台の株価を記録。いつ破綻してもおかしくない。それでも生き残ったのは、取引銀行のお陰だと創業者は肝に銘じた。そのため、返済を強要して去って行った関西系の銀行とは、業績が好転した後も取引の再開をせず、苦しい時の取引銀行こそが本当の銀行であると思い続けた。
そんな創業者の元で学んだことは、取引銀行は親も同然との論理。一人前になるまでは、親の側でアドバイスを受けた方が安全、かつ効率的である。資金繰りに窮した際の借金はもとより、労務や経理などの管理上の問題、それに販売や資金回収法等々、何でも判らないことは、まず始めに相談する。勿論、担当者の知識では不充分であるので、銀行の親密取引先や弁護士、会計士などを紹介してくれるだけである。とは言え、問題解決の糸口を見つけ出してくれる頼もしい存在であり続けた。
とりわけ、高額商品の販売に苦労した際設立したリース会社は、取引銀行の手助けなしには機能しなかった。スムーズな運営のため、日本より行員を派遣。レーガンの減税策と相まって、売上は大幅に向上。リース会社への銀行からの貸付金も大きく増加。事業会社の成長をあらゆる側面から手助けする。今は昔の話になったようだ。


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