木村 悟

2011年07月16日

スペイン体験記 その11

ようやくマドリッドでの拠点を得て、本格的に音楽院に入るための準備に取り掛かることになったのですが、ここに至るまで自分の中の価値観が目まぐるしく変化した時期でもありました。

とにかくどんなに虚勢を張っても通用しない現実が異国にはあるということをとても痛感しました。そして世界はとんでもなく広いという現実にわずかながら触れることもできました。
また、横道に逸れてしまいますが、当時はまだEU統一前だったのでビザ抜けという裏ワザが通用する時期でした。滞在が許可されている期間ギリギリまでその国にいて、他国に一度、滞在してまた、その国に戻って滞在するという方法が法的に許されていた時期でした。

私もそれで一度、モロッコに行き、ビザ抜けをしたのですが、またスペインとは異なる文化を持つ国でした。

モロッコに着くやいなや、凄いのがしつこい勧誘です。
ようするにホテルや店を紹介したり、自らガイドを買って出て、料金を請求するということなのですが、とてもウンザリするぐらいしつこい勧誘の洗礼を受けました。
同時に彼らの語学能力の高さにもとても驚きました。彼らはアラビア語は勿論、フランス語、スペイン語、英語、片言の日本語にも堪能でした。
パターンとしては日本語、英語を交えて話しかけ、少しでも反応があると食いついてなかなか離れません。
数メートル歩くごとに寄ってくるものですから中々、進むことも困難でした。色々と対応を重ねるうちに最も効果があったのが、
「ごめん、俺、ここに住んでるから」
と、返答すると皆、興味を失って去っていきました。

やっとパスポートコントロールの場所に辿り着き、スタンプをもらい、一心地ついていると、今度はパスポートコントロールでついさっきまでスタンプを押していた人間が“今日はどうするんだ?”と、話しかけてきます。“もう少しで終わるから待っててくれたらいい宿、紹介するよ”と、人懐っこいのか、少しでも異国の人間からお金を引き出そうとしているのか、とにかく逞しい人ばかりです。
ただ、この時、あらゆる勧誘を受けたのですが、直感的に今までの勧誘とは違うものを感じて彼に付き合ってみることにしました。

ホテルも食事をする場所も異様に安くて良い場所を紹介してくれました。
彼、いわく、余りにも怪しい勧誘が多すぎて観光客にモロッコという国が誤解されてしまうのは極めて遺憾であるからと、いうのが彼の言い分でした。

私にとってはとても幸運な出会いでした。

・・・ところが、彼のほうが一枚も二枚も上手だということが判明したのは翌日になってからでした・・・。



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2011年06月18日

スペイン体験記 その10

サラマンカからマドリッドに移ってから悪夢のような半月を経てようやく銀行にお金が入金されていました。
大げさですが、難破して流されそうになっていた所を救出されたような心持ちになり
ました。 と、同時に両親の偉大さを強く感じました。

何か食べようと思ったのですが、不思議と食欲が湧かず、とりあえずカフェオレに砂
糖をたっぷり入れて飲みました。久しぶりに口にした嗜好品は犯罪的な美味しさでし
た・・・。
ようやく、一心地つきましたが、今度はあの牢獄のような宿を脱出する術を探さなけ
ればいけませんでした。また、宿探しです。

当時の部屋探しの方法としては不動産屋で物件を紹介してもらうか、自力で“空部屋
アリ”の物件を探すか、週に一回、発行される賃貸情報の新聞で情報を探すかの方法しかありませんでした。
不動産を介すと、とんでもなくお金がかかるので最もポピュラーな新聞で直接、交渉
する手段を取らざるを得ませんでした。全く、土地勘もないので値段と条件の情報を頼りにいくつかピックアップしてみました。
もちろん、下手クソな自分のスペイン語をカバーするために事前に言葉を準備して、
シュミレーションを行いました。

そして、電話をする段階まで何とか自分を鼓舞して、公衆電話の前に立ったのですが、なかなか踏ん切りがつきませんでした。ただでさえ分からないスペイン語が顔の表情が分からない電話で、しかも、自分の素状を簡潔に語り、 部屋を見せてもらえるか聞かなければいけません。
私にとってはかなり、ハードルの高い作業でした。
しかし、あの牢獄のような宿は一刻も早く、脱出したくて仕方がなかったので思い
切って受話器を手に取りました。

何件、電話をかけたか覚えていませんが、全て、縁がありませんでした。
「日本人です」と、言った途端、明らかに不快な声で対応するケースやもう既に決まってしまったケース、物件を見るのに10日ぐらいかかるケースと様々でした。
そうしてピックアップした物件に電話をし尽くすと、チャンスは次週ということに
なってしまいます。
電話に出なかった物件もあったので翌日に繰越したりと中々、思うように事は運ば
ず、不快な電話対応では精神も蝕まれ、親切に対応してくれる所は大概、もうアポがあったり、ほぼ決定していたりでした。
ちなみに、スペインの賃貸ですが、私のような貧乏学生たちは何人かでひとつのフロ
アーをシェアするという形式が一般的でした。台所、シャワー、トイレは共同です。
上手にやりくりすれば、月に5万円もあれば一カ月、充分に飲んで食べて生活するこ
とが可能でした。

今度は部屋探しで四苦八苦していると、同郷で私より1年、早くスペインにギターを
勉強しに来ていたM君が見兼ねたのか、日本人が経営している下宿を紹介してくれました。家賃として計算すると、少し、割高ではありましたが、自炊もできるとの事だったのでM君の情報に飛びつきました。
とても助かりました。
下宿には日本の漫画や雑誌、滞在者も皆、日本人。まだスペインに来て3カ月しか経っていなかったのですが、言葉が通じるという当たり前の事がこんなにも素晴らしいことだったのか再認識しました。

ここの下宿では様々な日本人の方と出会い、とても私自身、勉強させてもらった場所
になりました。
やっと、音楽院へ進むためのマドリッドの拠点を得たのでした。

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2011年05月21日

スペイン体験記 その9

銀行口座が開くまでの2週間、お金がないというダメージは精神、肉体に色々な影響を与えるんだなと、身をもって感じた日々でした。

この2週間、メインの食糧はリンゴでした。
時間だけは持て余していたので一番、安くて量が多いものを市場、スーパーを巡った結果、ナンバー1がリンゴでした。当時、1キロ約30円ぐらいでした。
リンゴをメインに時々、アクセントにヨーグルトを購入したのですが、よくよく考えてみるとスプーンがありません。
すっかり、スペインという国、スペイン人に対してある種の不信感を抱いていた私には宿の親父さんにスプーンを借りるという明るさもその時は持ち合わせていませんでした。

とにかく、この自分の身に降りかかっているスムーズに事が進まない出来事に対して、なるべく人との接触を拒み、ただただ、時間が過ぎ去るのを指折り、数えていました。

今、思うと、少し病気です。ヨーグルトをどうやって食べるか悩んだあげく、あのヨーグルトのふたを折り曲げて食べるのがもっともスムーズに食べられました。
しかし、あのふたの舌触りは美味しいはずのヨーグルトの味を二段も三段も落としてしまう後味がしました。
その時、スプーンという食器を発明したひとを思うと、とてつもない大発明だと思いましたし、スプーンがあるということはもう、それだけでありがたい事なんだなぁと、スプーンに対してとても感謝の念を抱きました。

こんな食生活をしているうちにこんな事がありました。
真っ暗な部屋にいても気が滅入るので、行くあてもなく外に出ていました。前方の狭い歩道に老夫婦がものすごい、遅い速度で歩いていました。普段なら、“邪魔だなあ”と、内心、イラッとしながら追い越していました。
ところが、内心、イラッというところまでは一緒だったのですが、追い越したくても
追い越せません・・・。歩行速度のギアチェンジが出来ないというか、一瞬の追い越す力がでません。自分の体が言う事をきかないのです。

その時、初めて、お年寄りの体力とはこれぐらいなんだ、と、気付きました。今まで、道を塞いでいるお年寄り全ての人に対して、“今までイラッとしてごめんなさい”と、思わず、神様に祈りたくなりました。

そして、ついに、自分も終わってしまったと感じた事がシャワーを浴びていた時でした。10分でお湯から水に容赦なく変わる安宿のシャワーでした。最初は寒い水で洗い残しを流していましたが、すっかり洗い方の順序も10分内で確立していました。

ある日、ふとシャワーを浴びている足元を見ると真っ赤でした。どこから流れてきているのか分からず、一瞬、混乱しました。流れ続けている赤い液体の出所を探すと、自分の鼻からでした。おびただしい量の鼻血がでていたのです。

流石に、ショックでした。浴槽の壁に手をつけながら悩むポーズをつくり、何か悪い病気になってしまったか、今までの自分の行いの悪さが神の怒りに触れて罰があたってしまったのか・・・

まだ、マドリッドに来てなにも始まっていないまま、自分はダメになってしまうのか・・・

と、悲劇のヒーローに浸っていた所、お湯が水に切り替わりました。
そうなると、過去も未来も憂えることはなく、ただ目の前のことに対応するのみです。物凄いスピードで洗い流して部屋に戻りました。

いつの間にか、鼻血も止まっていました・・・。

その後、空手家の先生とお話しする機会がありました。その空手の流派では一年のうちに一カ月、断食をするそうです。ハードな練習は変わらずに続けるそうで、体が慣れるまではとても辛いと仰っていました。ところが、2週間も経つと、体の要らないものが一気に宿便という形で排泄されると、技の切れ、体の軽さなど、今までの技から見えなかった部分がより見えてきて理解も深まるそうです。
そして、4週間目に入ると空腹感、体の軽さ、技の切れは鈍くなり、その代わりに体の最大の欲求として自らの子孫を残そうという欲求に変わるそうです。

その、空手家の先生の感想だと、肉体が死ぬ最後のサインだということでした。
この話しを聞いて、自分が流した鼻血は何て小さいことだったのだろうと後で知りました。

本当に上をみると切りがないし、知らないことだらけな世の中だなあと思います。





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2011年04月10日

スペイン体験記 その8

今週の木曜日(4月14日)新宿中村屋にて開催される第105回青木塾では、当人気ブログの著者である木村さんが講演いたします。スペインでの珍騒動や本場のギター演奏を満喫いただけますのでどうぞお楽しみに!

今、思うとこの体験は、一生懸命も過ぎると、冷静に周囲を観察する視野が本当に狭められるということを自分の身を持って知ることができました。

あくる日、目が覚めて周囲を見回すと、どういう訳か部屋が真っ暗でした。自分の感覚では確実に朝の時間帯なはずなのですが、部屋は暗闇に包まれています・・・。
ひょっとして寝過ぎてもう夜中になってしまったと思い、灯りのスイッチを入れて時刻を確認しました。
時計は9:00近くを指していたので、やはり昨日の宿探しが相当、応えたのだろうと着替えをし、外に出る事にしました。ところが、部屋から外に向かう間、外界の様子が自分の感覚と一致しません・・・。

一体、何だろうと外に出てみると、夜ではなく、曇り空でしたが街の様子は朝でした。驚きました。
とても妙な感覚から立ち直り、自分の部屋を確認しにいき、ドアを開けるとやはり
真っ暗でした。
よくよく部屋を眺めてみると、ほんの申し訳程度に薄ぼんやりと磨りガラスが部屋の壁の上部に位置しており、なにやらそのガラスの向こうには何かが行きかっています。しばらくしてそれは人間の足だということが分かり、自分がいる部屋の作りがどういったものか理解できました。
空気も悪く、冷静に見るとひどい部屋でした。まあ、銀行口座を作るまでの辛抱だと思い、銀行に向かいました。自分ではすっかり夜だと思っていたのが朝だったので非常にお得な気分でした。銀行に着き、ドキドキしながらスペイン語は大丈夫であろうか、などと順番が来るまでとても不安で仕方ありませんでしたが、この口座開設をクリアーできなければ音楽院どころではなくなってしまいます。
そうして自分の番が来て口座開設を希望すると、とても豪奢なソファーに案内されて説明を受けました。
ところが、問題発生です。よく考えるもなにも、サラマンカの語学学校を終えただけの私はスペインでは学生でも何でもなく、ただの旅行者です。一番、簡単に口座を作るにはどこかの語学学校に入って学生になることだと、担当の係員が丁寧に教えてくれました。

早速、語学学校を探すべく、自分が今、取っている宿の近場を探してみると、一か所の学校が目に入りました。幸い、何の問題もなく勉強が出来ることになったのですが、授業料を支払うと手持ちのお金がほぼ、無くなってしまいました。ここでこんな出費をするとは思いませんでしたが、この時点でも、口座が開けるから大丈夫。
と、楽観していました。その日は銀行も閉まってしまい、明日で一応の解決を見込めると思っていたので、2、3日の辛抱だと、勝手に思っていました。

あくる日、また暗闇の部屋の中で目覚めて銀行に向かいました。昨日の気の良い係員さんに「どうよ?調子は?」「ありがとう。バッチリ!」
などと、マドリッドに来て2日目でこんなやり取りが出来る自分に余裕を感じていました。
係員の人も語学学校の証明書を見て、「これなら大丈夫!」と、太鼓判を押してくれて、ますます余裕を感じていると、「送金されて引き落とせるまで2週間かかるよ!」
「え?」少し、耳を疑ったのでもう一度、聞いてみると、「使えるまで2週間かかるよ。」
聞き間違いと思いたかったのですが、一気に奈落の底に落ちていく気分でした。昨日の語学学校の出費が手痛い打撃となり、本当にお金が無くなっていました・・・。

ここ、海外ではお金があるからこそ、言葉が出来なくても何とか人として扱ってもらっているというのを肌で感じていたので、お金がないと大変なことになります。
残金を整理すべく、ひどい部屋に戻ると、やはり真っ暗です・・・。こんな時にくらい部屋は非常に鬱になります。まず、お金の優先事項は宿代です。

毎日、その日ごとに支払っていたので宿代が滞ると追い出されてしまう可能性が大です。また、宿主もこちらの事情を解してくれるような人情を持ち合わせているタイプには到底、思えない外観です・・・。

数えてみるとギリギリあと2週間、払えるお金がありました。ホッとしましたが、よく考えると、食事を取らないという条件つきです・・・。仕方がないので最終日の宿代は銀行口座が使えるようになったら払おうと思い、あと2週間、約900円で過ごさざるを得なくなってしまいました・・・。





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2011年03月12日

スペイン体験記 その7

3カ月、スペインの地方都市、サラマンカで語学を学び、音楽院を目指してマドリッドに居を移しました。

サラマンカでの生活はとにかく、マドリッドでの生活のために無駄使いをしないように生活は非常に質素に過ごして過ごしました。銀行口座などもサラマンカでは作らず、とにかく“全てはマドリッドで準備しよう“と、今、思えばサラマンカで馴染めない自分は未知なるマドリッドに対して、とんでもない幻想を抱いていました。

そんな理由でお金は出国した際、持ってきた現金のみでした。
母親がジーンズの裏に隠しポケットを作ってくれていたので紙幣は全てその隠しポケットに入れてマドリッドを目指しました。私の計算では諸々の出費も見込んでマドリッドでも1カ月はどうにかなるだろうという金額を残しての出発でした。

季節は秋から冬になる肌寒い季節でした。
所持品はトランクひとつとギターのみで、まずは宿を探しました。全く訳も分からず、土地勘もない状態でしたが、気持ちの上では“さあ、ここからだ!”と、いう希望と頼るのは己のみでしたので、とにかく、歩き廻りました。

スペインは観光都市なだけあって、ホテルがたくさんあります。その他、ホテルより、ランクは下がりますが、オスタルという安宿もたくさんあります。
当然、私はオスタルを目指して探しまくりました。
3カ月とはいえ、ここで語学を学んだ成果が少し、役に立ちました。
その頃のオスタルの1つ星の値段の相場は一泊シングル、約1500円前後でシャワー共同という形を取っていました。また、交渉次第では更に安くすることも可能です。

何件も廻るうちに一泊900円、シャワーを使うごとに10分100円という格安のオスタルを見つけ、交渉して一泊900円にしてもらい、もうこれ以下の安いところは望めないという場所に決めました。流石に、ごつごつした石畳の上をトランクをガタガタいわせてギターをぶら下げての宿探しは疲れたらしく、緊張もほどけたのか、その日は泥の中で眠ったように過ごしました。

あくる日からとんでもない時間を過ごすとはこの時点では全く想像もしていませんでした・・・。



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