【アート展望1】
2012年02月08日
言葉の持つ重さ
言葉の持つ力、、と言うことを考えてみた。
ながい人生のなか、どんなに励ましをいただいたり慰めをいただいたりしたか今日まで思いだす度に感謝せずにはいられないことがたくさんある。。ことばは言霊とも言う意味があり魂が宿っているので考えが言葉のようになりそのようにものごとは実現してゆく、、、と学んだことがある。
人はことばによって豊かにもなり深く傷つくこともある。相手の立場になって考えることが出来るようになるのは自分が傷みを知ってからだと思う。生涯かわらず人にやさしく思慮深い人もいてそんな人と出会うとどんなにかこちらの気持ちも慰められることだろう。どんなことがあってもあなたを信じているよ、と言う父親のひとことが社会から滑り落ちそうになっていた息子を更正させた話しも身近に聞いた。
私などはある意味の正義感のゆえかストレートに話しすぎて恐がられることがあると反省している。どんなときでも貴方を信じているよ、という人間関係を肉親以外に築いてゆくには並大抵のことではないと思う。
祈りについて考えてみた。
何かあると個人的なこと、仕事上のことなどきいてくれる友人はいつも最後に「そのことのために祈りましょう」と電話口でも祈ってくれる。彼女自身の言葉で本当に実に具体的に。そして彼女のことばが私のなかにもインプツトされてゆく。祈りの凄さを感じている。
ながい人生のなか、どんなに励ましをいただいたり慰めをいただいたりしたか今日まで思いだす度に感謝せずにはいられないことがたくさんある。。ことばは言霊とも言う意味があり魂が宿っているので考えが言葉のようになりそのようにものごとは実現してゆく、、、と学んだことがある。
人はことばによって豊かにもなり深く傷つくこともある。相手の立場になって考えることが出来るようになるのは自分が傷みを知ってからだと思う。生涯かわらず人にやさしく思慮深い人もいてそんな人と出会うとどんなにかこちらの気持ちも慰められることだろう。どんなことがあってもあなたを信じているよ、と言う父親のひとことが社会から滑り落ちそうになっていた息子を更正させた話しも身近に聞いた。
私などはある意味の正義感のゆえかストレートに話しすぎて恐がられることがあると反省している。どんなときでも貴方を信じているよ、という人間関係を肉親以外に築いてゆくには並大抵のことではないと思う。
祈りについて考えてみた。
何かあると個人的なこと、仕事上のことなどきいてくれる友人はいつも最後に「そのことのために祈りましょう」と電話口でも祈ってくれる。彼女自身の言葉で本当に実に具体的に。そして彼女のことばが私のなかにもインプツトされてゆく。祈りの凄さを感じている。
2012年01月25日
箱の中のちいさな不思議な世界
成田空港の5階にオープンギャラリーがありそこで小杉壯八展をみた。
小杉さんはなかなかのアイデアマンで面白いものを何点かみた。
自然の風を利用して水を浄水する機械という発想らしいがそれは水車のようでオブジエとしても美しい形であった。形だけをみせるのではなく用途としても役割を果たし、そこに置かれることにより周囲の環境を緊張感ある美的なアートとしても見られるし、実用化されたら本当に素晴らしいと思った。
そんな実験的な提案がマケツトとして木や粘土でつくられていた
日本が経済的にとても潤っていたころ、意味のない彫刻をオブジエと称してあらゆる新しく出来る建造物に付随して造られたものもたくさんあって後に彫刻公害とまでいわれた。小杉さんのものは必ず用途を必要とするものらしい。
他に、boxアートと私は勝手に名付けたのだけど20センチくらいの正方形の箱のなかにさまざまな世界がレリーフとしてあり手前にドンキホーテがいたり門番がいたり物語の主人公がネンドで作られている。そしてバツクにスリツトがはいりそこからLSDから発する光がほのかにレリーフを立体的に浮かびあがらせることにより小さな空間が大きな想像力をかきたてていた。
彼はまず100点制作することにしたという。
小杉さんはなかなかのアイデアマンで面白いものを何点かみた。
自然の風を利用して水を浄水する機械という発想らしいがそれは水車のようでオブジエとしても美しい形であった。形だけをみせるのではなく用途としても役割を果たし、そこに置かれることにより周囲の環境を緊張感ある美的なアートとしても見られるし、実用化されたら本当に素晴らしいと思った。
そんな実験的な提案がマケツトとして木や粘土でつくられていた
日本が経済的にとても潤っていたころ、意味のない彫刻をオブジエと称してあらゆる新しく出来る建造物に付随して造られたものもたくさんあって後に彫刻公害とまでいわれた。小杉さんのものは必ず用途を必要とするものらしい。
他に、boxアートと私は勝手に名付けたのだけど20センチくらいの正方形の箱のなかにさまざまな世界がレリーフとしてあり手前にドンキホーテがいたり門番がいたり物語の主人公がネンドで作られている。そしてバツクにスリツトがはいりそこからLSDから発する光がほのかにレリーフを立体的に浮かびあがらせることにより小さな空間が大きな想像力をかきたてていた。
彼はまず100点制作することにしたという。
2012年01月18日
銭湯のことなど
銀座にも金春湯と言うのがあり、銀座で夕方から働く料理人のひとたちや、お運びさんといわれる人たちがよく湯に入りにきたというがいまはどうなのだろうか。
銀座は特殊な場所だけど下町の銭湯もしばらくしたら無くなるかもしれないと思う。私もときどき行くことがあるけれど銭湯のご主人との話しでは子供が来ないので今の世代で銭湯に来ている人たちが来なくなればどうなるかわからないと話しておられた。銭湯が庶民にとって必要な場所であったころ、そこは情報のあつまる社交場であり色々な文学も生まれ、また浮世絵などの世界でも歌麿が湯上り美人を描いたり他にもいろいろな浮世絵画家達が銭湯で憩う人びとを描き当時の人びとの暮らしぶりがほほえましく描写されている。
今では夢のような時代だったように思う。しかし銭湯好きな人たちがいるらしく金春湯に時には北海道からきたひとや博多から来ましたという人がいたりするから面白い。銭湯の灯を消さないで欲しいと思うのだが。
時には中央区の区長さんや石原知事は銭湯に入りにきたらいいと思うのだが。
銀座は特殊な場所だけど下町の銭湯もしばらくしたら無くなるかもしれないと思う。私もときどき行くことがあるけれど銭湯のご主人との話しでは子供が来ないので今の世代で銭湯に来ている人たちが来なくなればどうなるかわからないと話しておられた。銭湯が庶民にとって必要な場所であったころ、そこは情報のあつまる社交場であり色々な文学も生まれ、また浮世絵などの世界でも歌麿が湯上り美人を描いたり他にもいろいろな浮世絵画家達が銭湯で憩う人びとを描き当時の人びとの暮らしぶりがほほえましく描写されている。
今では夢のような時代だったように思う。しかし銭湯好きな人たちがいるらしく金春湯に時には北海道からきたひとや博多から来ましたという人がいたりするから面白い。銭湯の灯を消さないで欲しいと思うのだが。
時には中央区の区長さんや石原知事は銭湯に入りにきたらいいと思うのだが。
2012年01月15日
美しい歯へのあこがれ
最近の若い人たちの多くは美しい歯をもっている。
私は人と話すときどうしてもその人の口元に目が行く。美しい歯並びをみるとその人がとても清潔な心の持ち主だと感じるのである。
明眸皓歯といって以前はよく使われた言葉だが、はっきりとして美しい目もとと歯が美しいことが美人の形容だった。歯の大切なことがよく表されている言葉だと思う。
私の母の時代は戦時中で食べるものにもこと欠き、子供を多く生んだ人たちは子供に栄養分をとられてしまったのだと歯の悪さを子供のせいにしたことも何となくうなずけるのであるが最近は食料事情もよく、子供のころから気をつけるからそんなにひどい状況の人は見かけなくなった。
しかし生涯、歯医者には縁がないという人がいるのだろうか、誰しも歯医者のお世話にならない人はいないように思う。
自分に合う歯医者に出会いたいと私は何度歯医者行脚をしたことだろう。海外に行く機会が多いことからNYUの大学病院にも行ったし、東京のN大学の歯学部にもお世話になった。紹介されて通うことになったN大学の女医さんは若く美しい人であったがいつも患者の耳元でインターン生を叱る声がして耳障りでもあり謝るインターン生が気の毒だった。
歯のかみ合わせで顔の表情から声の状態など全てにおいて健康上に影響があるとなんかの本に書かれていたが本当だと思う。
今は大学病院でなくオフイスの近くにある歯医者さんの良さがわかり通うことになった。個人病院で自分に納得のいく歯医者さんと出会えるのが一番だと考えている。そしてどんなことも嫌がらず話しを聞いてくれる人がいい。
私は人と話すときどうしてもその人の口元に目が行く。美しい歯並びをみるとその人がとても清潔な心の持ち主だと感じるのである。
明眸皓歯といって以前はよく使われた言葉だが、はっきりとして美しい目もとと歯が美しいことが美人の形容だった。歯の大切なことがよく表されている言葉だと思う。
私の母の時代は戦時中で食べるものにもこと欠き、子供を多く生んだ人たちは子供に栄養分をとられてしまったのだと歯の悪さを子供のせいにしたことも何となくうなずけるのであるが最近は食料事情もよく、子供のころから気をつけるからそんなにひどい状況の人は見かけなくなった。
しかし生涯、歯医者には縁がないという人がいるのだろうか、誰しも歯医者のお世話にならない人はいないように思う。
自分に合う歯医者に出会いたいと私は何度歯医者行脚をしたことだろう。海外に行く機会が多いことからNYUの大学病院にも行ったし、東京のN大学の歯学部にもお世話になった。紹介されて通うことになったN大学の女医さんは若く美しい人であったがいつも患者の耳元でインターン生を叱る声がして耳障りでもあり謝るインターン生が気の毒だった。
歯のかみ合わせで顔の表情から声の状態など全てにおいて健康上に影響があるとなんかの本に書かれていたが本当だと思う。
今は大学病院でなくオフイスの近くにある歯医者さんの良さがわかり通うことになった。個人病院で自分に納得のいく歯医者さんと出会えるのが一番だと考えている。そしてどんなことも嫌がらず話しを聞いてくれる人がいい。
2012年01月04日
光と闇を描く版画家;
為金 義勝と言う版画家がいる。
木版画家ということだが彼の制作過程は誰も言葉で説明ができないほど手をいれこんだ精密な工程だと思う。それでいて何とも美しい作品群なのである。何年か前、ニューヨーク郊外のNew Paltzのアートセンターで展覧会を私が企画した折、運悪くレセプシオンの日大雨が降りセンターに行く橋が流され会場に行くことができなかった人びとが多くいて残念だった。
アメリカではほとんどの場合展覧会の初日に人があつまるのでレセプシオンはとても大切な日なのである。
為金さんの作品は写真を見てもそのよさは充分わからず作品そのものを身近にみなければならないと私はいつも思うのである。彼は4-5年前だったか、フィラデルフィアのペンシルバジア大学から招聘されて1年間大学で版画の授業を持つ機会があったという。日本には浮世絵の伝統があり職人芸としての優れた技術があるが、現代版画はそれらのルーツを超えて西洋からの感性も取り込んだ形で日本人独自の精緻で華やかさを備えた作品を制作する人達が何人かいる。
為金さんは全ての行程を1人でこなし、彫る、摺るをしていくなかで彼自身の思いや内観を埋め込んでいくのではないだろうか。
彼の作品集が2000年に出版されているがそのなかで「絵を描く以前に旅にあこがれていましたそれは幼い日の私にとって、道なるものへの渇望であり、冒険であり、そして人生そのものであるように感じられました。26歳のときおもうことあってインド、ネパールを放浪しました。その先の人生を歩きつずけるのに必要なものを探しているかのようでした。困難な旅でしたが幸福でした。このまま日本に帰らず、生涯を旅の中で暮らしたいという衝動に何度も駆られました。」
為金さんの作品はスケールが大きく雄大で捉えることのできない不思議な世界なのです。彼の作品を今後おおいに紹介していきたいと思っています。
木版画家ということだが彼の制作過程は誰も言葉で説明ができないほど手をいれこんだ精密な工程だと思う。それでいて何とも美しい作品群なのである。何年か前、ニューヨーク郊外のNew Paltzのアートセンターで展覧会を私が企画した折、運悪くレセプシオンの日大雨が降りセンターに行く橋が流され会場に行くことができなかった人びとが多くいて残念だった。
アメリカではほとんどの場合展覧会の初日に人があつまるのでレセプシオンはとても大切な日なのである。
為金さんの作品は写真を見てもそのよさは充分わからず作品そのものを身近にみなければならないと私はいつも思うのである。彼は4-5年前だったか、フィラデルフィアのペンシルバジア大学から招聘されて1年間大学で版画の授業を持つ機会があったという。日本には浮世絵の伝統があり職人芸としての優れた技術があるが、現代版画はそれらのルーツを超えて西洋からの感性も取り込んだ形で日本人独自の精緻で華やかさを備えた作品を制作する人達が何人かいる。
為金さんは全ての行程を1人でこなし、彫る、摺るをしていくなかで彼自身の思いや内観を埋め込んでいくのではないだろうか。
彼の作品集が2000年に出版されているがそのなかで「絵を描く以前に旅にあこがれていましたそれは幼い日の私にとって、道なるものへの渇望であり、冒険であり、そして人生そのものであるように感じられました。26歳のときおもうことあってインド、ネパールを放浪しました。その先の人生を歩きつずけるのに必要なものを探しているかのようでした。困難な旅でしたが幸福でした。このまま日本に帰らず、生涯を旅の中で暮らしたいという衝動に何度も駆られました。」
為金さんの作品はスケールが大きく雄大で捉えることのできない不思議な世界なのです。彼の作品を今後おおいに紹介していきたいと思っています。