2020年10月10日

ビュッケブルグ歳時記 234

統一後、30年を迎えたドイツ


 9月3日は、DDR消滅の1990年の東西統一建国記念日として、今年はブランデンブルグ州の首都ポツダムで祝賀祭が行われました。
 TVや新聞などのメデイアは数日前から様々な方法で統合後の社会の模様とか政治家の見解や東西住人の意見とかをニュースとして取り上げ、国民の社会情勢への参加を図っていました。
 大戦後、根は同じなのに政治システムの違う二つの国に分割されてきた国を元に戻すということは、現在の旧東の州の政治の状態が示しているように簡単なことではないことがわかりますし、全貌を書くことも普通の市民には範囲も大き過ぎます。そして長短を云々するよりも、未来を考えることがこの問題解決には重要だと思っていたところに、旧東出身のメルケル首相(生まれはハンブルグですが、牧師の父親の意向で幼年時代に東に移住し、勉学はライプチッヒ大学)とのインタビュウが目に入りましたのでご紹介してみます。

 *「コロナ騒動が起こった時に行われたあなたの国民に向けてのTV演説では、ご自分の旧東出身を主題にし、強いられる自由拘束を克服するには分割されていた国で習ったことが役に立つとおっしゃったが・・・」との第一の質問には :
 「出かけることを控えることなどで人間間のコミュニケーションを拘束するとか、ホームに入っている両親を訪問してはいけない、学校休止などの、人間の持つ権利の一つ、行動自由の権利を奪う事は最低のことで、これらのことはわたしの子供の頃の東独生活で強いられていたことで、それが思い出されて、少し過激な発言になったのです」

 *「ロストックとズール地方の住民は、30年経った今でも自分たちは”二級の人間”だとのコンプレックスを持っていることで有名ですが」 :
 「我が国は、誰もが同じ権利を持ち、同じ個人の尊厳を持つとの法則の下に建てられているのです。西の社会でも差はあって、所によってはある青年の出世は難しかった。しかし西ではそれを常に即席に変更したり、変更したりする機会を作れる自由の地盤があった事は旧東に比べて幸いだったわけです。統合以降はこの機会が東にもあることになるのですから、平等なわけです」

 *「旧東地域ではデモクラシーに対する同意が少ないことと、 AfD (ドイツのための選択肢党という右翼の党)の勢いが強いのはなぜでしょうか」 :
 「旧東ではデモクラシーへの解釈が行き渡っていないことが原因だと思われます。民主主義というものは常に獲得勧誘をしなければならないものであって、そこにあってすぐ手に入るというものではないのです。もしかしたら統一直後にこの事ーーデモクラシーとは得るのに辛苦を要するとの説明と履行を徹底的にしなかった西側にも責任はあるのかも知れません」 

 *「最近になって、東からのあなたに対する批判が大きくなっている現状ですが、彼らに対する答えは?」 :
 「第一にわたしとしては東ドイツでも自由の元に生活ができて、昔のように人と違う意見を持つことに恐怖を持つ必要がないことだけでも幸せなことであると思います。そして次に必要なのは ”Dialog“  で、これは自分の意見を怒鳴ることだけではなく、他の意見を聞く耳を持つことが必要なのだが、東にはこのような耳を持つ人は残念ながら少ないのです。これからは異なる意見を聞き、それを民主的討論に持ち込むことによって差を縮めるとか、妥協するかなどの社会を目指す必要があると思われます」

 *「お聞きしたい事はまだまだあるのですが、30年たった今、これから来る30年に対して首相が国民に望む事柄をお聞きして、インタビューを終わりにしたいと思います」 :
 「第一に、我が国がこれからも平和と自由の中にあることを望みます。次の望みは、ある問題が起こった時、国全体が一体となって(東西の区別なく)解決に臨む状態であることを切に望みます。そして州による区別などを考えることなく、大きい構想で我々の持つ文明や歴史を活かす環境の国でありますように・・・」


 インタビューのほんのわずかな部分をお知らせしたわけですが、首相としての様相をわかっていただければ幸いです。
 来年の選挙には立候補をしないとの彼女の決意は行き渡っているのですが、72%の国民が彼女の政治力に賛意を示している今のドイツです。


aokijuku at 00:30│コメント(0)

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