2019年10月12日

ビュッケブルグ歳時記 212

壁崩壊後30年


 10月3日は、大戦後ドイツを2分していた壁が崩され、東西が統合した記念日として休日です。
 長い間ソ連の支配下にあった東ドイツ国民が、武力のない革命で自由になった喜びを、壁に登って歓喜したシーンは、世界中の人々に感動を与えたことでした。この日から30年が経った今年は、統合の結果がメデイアや歴史家の間で盛んに云々されています。この問題も範囲が大きすぎるのですが、おおよそのことを皆様にお伝えしてみたいと思います。


 まず、著名な新聞が、千人の旧東ドイツ市民に行なった質疑応答調査の中から主要なものを選んでみました。その結果は次の通りです。
 1 民主主義に対しては30歳までの若い人たちは66%、60歳以上は41%が異議なく受け入れる。 2 生活の進化については、物品が豊富になり、職場が確保されたことに88%が満足。3 政治などに参与する権利については、若者は半分以上が満足、60歳以上は大半が不満足。4 両国間のお互いへの真価を認め合う感情については、 西側は東側の業績を認めないことが多いと不満。5 外交については、80%がソ連に対する外交も米国と同等にするべきであるとの意見。etc.
 この調査結果に対して西側のコメントは、「壁崩壊後30年経った今、旧東ドイツ市民は東西結合に興ざめして失望し、惨めな感じを持つ市民が多いということは実に残念である。そして、東の58%の市民が今でも国からの専制政治から逃れたという感じを持てないということから、AfD(ドイツのための選択肢党)という右派の党の東州での圧倒的勝利となり、我が国を脅かす結果となっているのも非常に遺憾なことである。
 また、言論の自由についても、昔のシステムと殆ど変わらないし、東の意見は西の世の中では意味を認められないことが多いとの意見が、年を経るごとに多くなっている。これらの不満は、60−70%の東市民が、現在西とほぼ同じになった給料や年金に満足していて生活水準への不満が原因では無いということが、再考への重要点と思われる」と書かれています。


 もう一つの例として、東出身で有名な歴史家で、今はベルリンでジャーナリストをしている52歳の K. 氏が出刷した本、”この様な道を東市民は歩きたくない”をご紹介したいと思います。
 「東西統合革命が起きた当時、若者であった我々は将来に光明が当てられたと大喜びをした。これで好きな科目を大学で学ぶことも出来ると人生の道が拓けたと思った。しかし、時が経つにつれてこの革命は、東側の人間は西側を理解しなくてはならないという、いわば西側から煽動された挑発的革命であったことがわかってきた。この様な誤解と無理な期待に満ちた革命は、我々東市民の歩もうとした道ではないことがわかったのだが、残念ながら時が遅すぎた。このことは西側だけの責任ではなく、東の市民の責任でもあるのは自覚しているのだが」


 最後にドイツ統合日に発表されたメルケル首相の見解意見を。
「今、我々に必要なのは強い団結力と、お互いを理解しようとする精励精神と、統合を全うするための自己責任感である。困難なことや不快な事が起こったときにその根元を国、すなわち政治に押し付ける傾向が広まっている今日この頃であるが、この流末は悲惨な事になると思われる。東市民は連邦国ドイツの中で一段下の等級市民である様に思う傾向がある様だが、この様な誤解は東西の市民の統合までの異なるシステムの下での人生経験をよく話し合って、相互の理解を深める事で解消すると思われる。
自由とは自己の持つ責任と深くつながるものである」


 この3つの例から、表面上では統合を成し遂げたと思われるこの国ですが、内実はまだ困難が多いことを読み取れると思います。
 わたしたち日本人は大戦後すぐに民主国家となった祖国で、民主主義の中で育ちましたが、ドイツの東の市民は長い間共産主義の中で生きてきたわけで、二つの思想の違いがこうも同民族の統合に大きな障害になるとは思ってもみなかったことです。これを無くすには、メルケル首相の言うように、お互いにとことん話し合って理解を深め、本当に平和な統合国になるように願ってのブログです。


aokijuku at 00:30│コメント(0)

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