2019年03月09日

ビュッケブルグ歳時記 198

ドイツの国教にまつわる忌まわしいこと

 日本では一般にキリスト教を云々する場合、この宗教にある区分にまで話がおよぶことはほとんど無く、キリスト教とひとまとめに扱われているのが普通だと思うのですが、この国に長く住んで知ったことの一つに、カトリック(旧教)とプロテスタント(新教)がはっきり区別されていることと、この両派間の共存が理想的とは云えないのがこの国の国教だということなのです。
 明瞭な区別の身近な例を挙げてみます。この国は連邦国家で16の州で成り立っていますが、それぞれの州が旧・新教州かが決まっているのです。旧・新、約半数づつの分割です。この現象は、この国の休日の殆どがキリスト教に基ずいたものなのですが、旧教の州の休日が新教の州より2−3日程多いということによく現れていると思います。

 今回のブログ・テーマを理解していただくために、カトリック派の様子をおおざっぱに書いてみます。
 旧教の教えとは一言で云うと、1546年にマルテイン・ルターにより改革される前のキリスト教の教義、旧約聖書に書かれた教えに基ずく教派で、例えば罪人は地獄に堕ちる、布教のためには戦力も厭わないなどの規則に縛られた教えで、神の権力で信者を統率する権力信教ともいえるのではないかと思われるのです。その中には今でも離婚は認めないとか、避妊用具も基本的には認めない、同性同士の結婚も認めないなど、「認めない」ばかりのはびこる、ある意味では時代遅れの掟を信者に強制している教派であるということもできるように思われるのです。そして今回、又また問題となっているのが Zoelibat と呼ばれる神父の結婚を禁止する神父独身強制制度からくる忌まわしい犯罪なのです。

 忌まわしいこととは、神父による幼少年の子ども達への性的凌辱事件です。 
 1670年から2014年までに約3千8百人(少年が多い)の犠牲者があるということです。
 この国で数年前にも、幼年期に経験した忌まわしい事件を、成人した今になってアウテイングする被害者により刑事事件となったとの報道があったのを覚えています。が、何となくうやむやになっていました。その後、米国やポーランドでも問題が発覚し、今回またドイツの犠牲者が声を挙げることになり、今回はカトリックのフランチテイスクス教皇がヴァテイカンで会議を開き、「この問題のもみ消しは今後しない」との意向を示しました。しかし、この意向・セけでは何の解決にもならないとの不満の声が大きくなっています。
 そして、神父のあるまじき行動は子ども達だけが対象ではなく、同じ教派の女性信者修道女に対しても起こっている事件であることが明らかにされているのです。

 この問題解決には、神父の結婚問題を検討することが必要だと、たとえば新教の人達の声が大きくなっているのですが、既述のように昔の掟を守る宗派では今の所、残念ながら解決には長い時間が必要だと思われます。
 
 このように、先進国であるはずの国にも宗教というものは不可解で、問題があるのだと教えられるのです。
 そして同じキリスト教でも旧・新派の共存は円滑ではないのです。両派とも5月は子ども達の信仰確信の儀式 ,[「旧教 Kommunion ( 聖体拝領)9歳, 新教konfirmation (堅信礼) 14歳]が多く行われる月です。教え子の一人はカトリックなのですが、「仲良しの新教の友達の堅信礼に招待されて行ったのだけれど、その会ではわたしがカトリックだと知ったら、カトリックの悪口ばかり云われてとてもイヤだった」と、こぼしていました。このように子供の時からすでに差別があるのを知らされます。

 宗教の自由は、今の時代は憲法にも謳われていることですからそれぞれの責任だと思います。が、子どもを汚す宗派を許すことは出来ません。
そしてこの旧・新の区別及び両派の対立は、宗教としてあってはならぬ事と云える程大きいと思われるのです。


aokijuku at 09:33│コメント(0)

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