2019年01月12日

ビュッケブルグ歳時記 194

素晴らしい若い人達 ! 1


 あけまして、おめでとうございます。今年も平和な年でありますように!

 新しい年の初めにはやはり明るいことを書きたいと思案していた時に、ひらめいたことがわたしの今回のブログです。

 日本のニュースは,毎朝の朝日、読売、日経新聞のデジタル版を見ることから知ります。その他には船便で送られて来る朝日新聞の朝刊があり、今は2017年の5,6月頃の版を読んでいます。
 朝日新聞に「声」という読者のオピニオンを載せる欄があります。そこに書かれている意見は、広範囲で、様々でとても興味深いので、いつもきちんと読んでいるのですが、この間から、おもわず「そうよ!そうよ!賛成!」と叫びたくなる意見があるのです。投稿者を見ると14歳から21歳という生徒、大学生のなのです。 

 新聞記事の借用は金銭に関係しない限り合法だと聞いていますので、2つの例を挙げてみます。
 「守るべきは学校の評判ですか」という題で、大学生の21歳の佑佳さんの意見は:「東京の6割の都立高校が『持毛証明書』を提出させている。私はこの証明書に大きな疑問を感じる。人は異なる遺伝子を持っているのだから、色々な髪の色の生徒が居て当たり前ではないか。髪の色一つで生徒は自分らしく生きることを阻害されるのではないか。学校側は『生徒の見た目で学校の評判が落ちては困る』と云っているそうだが、学校が本当に守るべきは『学校の評判』ではなく、生徒の『自分らしく生きる権利』ではないか」との問いかけです。

 これはわたしがかねがね思っていた個性教育と、制服規定との矛盾をきちんと形式立てて書いています。
 制服の用途もわかりますが、中高生の時代に自分の装いを育てるのも個性教育ではないでしょうか。
 独国では幼稚園から大学迄,服装は自由です。時折、制服云々の議論が起こるのですが、その起原はブランドものを着てこない、買えない級友を侮る傾向が強くなると貧富の差が瞭然となり、それがイジメになるおそれがあると杞憂することからその現象を避けるために制服規定論が出てくるのです。皆が同じものを着ていれば、較べることがないわけです。今でも提案だけで制服規定がないことは、イジメになっていないことと、やはり個人尊重の気風が行き渡っていることの証明のように思えます。
 日本のイタリアデザイナーの制服規定云々を聞くと、両国での制服に対する定義が全く違う事に気付き、驚きます。
 この国の学校は学年が上に行く程、生徒運営が多くなるように思えます。
 例えば、通学の服装に関しての校則を必要とする場合には、軍隊靴(底の厚い、ひもで結ぶ半長靴。このような靴は暴力喧嘩になった時に武器となるそうです)や開放的すぎる洋服などの着用禁止などは生徒達に決めさせるのです。上からの命令に従うより、自分たちで決めたルールの方が従い易いという見解からです。
 このようなやり方、教育法は、学校で学ぶのは知識だけではなく、社会の掟のようなものも学ばせるのではないかと思うのです。強いて云うと、将来、民主主義の政治とそこに生きる市民の生き方の訓練をしている教育という感じがするのです。                              

 投稿者の佑佳さんも、持毛証明書に不信感を持つことを通して、これからの学校の在り方を考えているように思われるのですが。そしてこのような若い人が日本の未来を担っていると思うと嬉しくなり、安心するのです。                              
                               

                                     つづく

aokijuku at 22:04│コメント(0)

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