2018年12月08日

ビュッケブルグ歳時記 192

首都ベルリンにまつわり・・・

 最近、ベルリンは”自由の都市”として、統合以来住民が増え続けていると同時に、世界中から多くの若者たちが観光に来るということを耳にします。その事実と自由の都といわれることに興味が湧くので、ベルリンについて、わたしの目に入る範囲の様子をお伝えしてみます。
 
 ドイツが第2次世界大戦の敗戦国となってソ連、米、英、仏国の4国に支配権を取られていたことは衆知のことですが、首都ベルリンも、東のソ連と西の3国圏に分けられて統治されていたということは余り知られていないように思えます。

 大戦を経験しなかった若い読者のために、ベルリンのおかれている地形を少し詳しく説明すると、ソ連が支配権を取った東ドイツに、まるで共産圏の海の中に孤島のように位置していたのがベルリンなのです。西のドイツ連邦共和国(西ドイツのこと)からベルリンに行くには長々とドイツ民主共和国(東ドイツのこと)を横切って行かなければならなかったのです。そしてベルリン自体も東(ソ連圏)と西(米・英・仏圏)に分けられていたのです。東から西圏に行けないように建てられたのがベルリンの壁なのです。今でも路上を市電が走っているのが旧東区だと、整備された町並みの中で昔の東西区別に戸惑う観光客の目安になっています。

 この、4国に支配権があった時代のベルリンは一つの島国だったような感じがあるのですが、実際には、わたしも最近知ったのですが、法的には国として認められることも出来ず、非常に曖昧なモノだったということです。首都としての存在もなかったのです。壁崩壊まで西ではボンが首都だったのですから。

 そして、当然かもしれませんがベルリンと旧西ドイツ間には同じ民主国としても様々な相違があったようです。例えば1956年に西ドイツでは徴兵制度が設定されたのですが西ベルリンに住む男性にはその義務がなかったということです。ですから徴兵義務を逃れようとする多くの西からの年齢相当の男性連がベルリン移住を希望したということです。これに対して西側からは、西で徴兵検査を終わった後の男性の移住は認めても、また戻って来ることは許されないなどの制約があったということです。それでもその時代には、徴兵を逃れる若い男性の移住者が多かったということです。
 
 又、統合後は学生の数が3万人と、ドイツの都市では学生に限らず若い人の数が一番多いのがベルリンということです。これ等のことが原因かもしれないと勝手に思っているのですが、ベルリンには同性者のカップルが多いとよく聞くのです。先市長も当時からアウテイングして公然のことでした。ベルリンではどんな人でも自由に振る舞える、自分の思うように行動しても文句を云う人は居ない、などと聞くと、やはり地方の、人の口を避けなければならなかった人達の逃避所であったのかとも思えます。このような事実からベルリンが”自由の都市”と思われるのかもしれません。
 
 現在のベルリンへの移住希望者の目的が「自分探し」が多いこと、皆がそれぞれ自己の構想を持って、それの達成を夢見てベルリンに集まるなどと読むと、やはりこの国の首都は、未だにある合併による混沌の中にでもエネルギーが溢れているようにも思えます。

 皇帝時代に小都市から首都となり、ナチス時代には世界を恐怖させた政治が行われ、戦後は東西に分けられたという多彩な歴史が ”自由都市”を形造り、自分を自由にしたい人達のメッカになっているのがベルリンなのかもしれません。

 このような自由都市ベルリンにも、降誕節の照明が輝やいています。


aokijuku at 00:30│コメント(0)

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