2018年10月13日

ビュッケブルグ歳時記 188

「話すこと」についてーーー”Deutschland spricht”


 先先回のブログの締めくくりに、暴力の代わりになるのが「対話」であると学んだと書きましたが、このことを実証するような行事が報道されました。現在、不穏な状態に追い込まれつつあるこの国で、その緩和のための重要な策として「話すこと」がとても重要視されている現況をお知らせしたいと思います。


 9月23日に大統領官邸で、上下左右、老若男女の多数の市民を迎えてシュタインマイヤー大統領を保護者とする話し合う会が催されました。この会の標題が ”Deutschland spricht" で、上手い訳ではないかもしれませんが、”ドイツ国は話す”なのです。
 「東西合併後28年を経ても完全合併には達していないこともあって、近頃の我が国の社会は分裂してきている。そしてまた大戦での責任が影を引き難民受け入れが大きな問題点になっていることなどから、ある目に見えない壁が社会に出来てしまった。嘆いていても壁は無くならない。この壁を無くするにはどうすればよいか。考えてみるとこのような壁が出来た原因は、最近、違う考えを持った人達とは話さないという傾向が強くなっているように思われる。そこで 対話を見直す必要があるのではないか。招待に応じて集まった皆様と私共々、対談して壁を崩す方法を考えようというのがこの会の目標なのです」 と、大統領は挨拶で述べています。
 

 このように Dialog=対話を重要視する会であることから、上記のように、階級も上下にわたる、考えも左右両派の、広範囲の市民層から選ばれた多様な人たちが残夏の太陽が輝く官邸庭園に集まって対話を繰り広げたのです。「対話」ですから、意識的に、反対派の2人が支持政党政治について話し合う会だったことが報道されていました。スーツにネクタイの男性の話し相手は髪をムラサキに染めた若い女性、その隣はポロシャツに裸足の男性とはげ頭にあごひげが長い一目でネオナチスとわかる中年男性が話している情景がTVに映っていました。

 僅かでも会の模様を知っていただくために、ある記者のレポートを書いてみます。

 彼が最初に出合ったのはヤナという22歳の女子学生でした。話題が難民問題となったとき、彼女は移民受け入れに、数を制限する上限制度設置に賛成する人は全て非人間的と決めつけて譲らなかったそうです。そして自分の考えに縛られているため、相手の記者の意見を聞くことがなかったため会話が進まなかったということです。これが彼女の若さから来る熱狂症であればよいが、昨今の社会がこのようになっている可能性も見えることを考えると、それが心配だと記者は書いています。

 次の相手は44歳のスウェンで、彼は自分はネオナチスであると明言し社会からはみ出している自分の経歴を披露したあと、「さあ、話し合おう」と、対話に積極性を示し、彼の方からいろいろな質問も出してきたそうです。彼の理想とする国とは、「隣の国との領土的な問題のない(つまり戦争をしない)ヨーロッパの一国として、自分の国の国民だけを面倒見てくれる国家」だと云うので、その中には黒人、ユダヤ人、モスリムなどの人達も含まれているのかとの記者からの質問には「彼らはパス・ドイツ人(ドイツのパスポートを持つ外国人の意)だから、本当の国民の中には入らない」と、ドイツ人種尊重の意見です。ただしシリアやイラクなどの戦争国からの避難民は受け入れるべきだとの意見だということです。そして、もし自分の住んでいる村に異国人が入ってきたとき、その人を知るためのコンタクトが成立しない場合は憎悪するかもしれないが、その人の、人となりを知った場合には憎むことは出来ないだろうと云うスウェンに好感を持ち始めたと記者は書いています。


 このように対話会から得ることはいろいろあると思いますが話すことで相手の人柄を知り、そこから相手を理解することができ、それが暴力を止め、共存を可能にし、平和を保つという難事に繋がるのではないかと思いました。
 「対話」ということから、読んで下さった方々の意見が、コメントででも、聞けたらよいなあと思っています。


aokijuku at 00:30│コメント(0)

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