2018年01月13日

ビュッケブルグ歳時記 170

Integration


 新年、お目出度うございます。
今年は某国の核実験問題、環境問題、エルサレム問題等々問題の多い年のようですが、世界中の人々の努力によって良い方向の解決に行き着けるよう願っています。
 今年もわたしの目でみたこの国の様子を、皆様にお伝え出来ればと思います。努力しますのでどうぞよろしくお願いいたします。


 今のドイツでは Integration (融和統合、と辞書にあります) というコトが大きな課題となっています。ご存知のように9月の選挙後ジャマイカ連党が不立となり、現在、再びの大連党が閣議されている状態です。ここで大きな問題になっているのが難民問題で、CDU・CSU(キリスト教民主同盟)の制限政策に対して、SPD(社会民主党)は無制限の難民政策を主張しているのです。両党間のこの大きな支持政策の違いを融和に統合する努力が現在話し合われているのです。この両党の譲り合いも、少し無理があるかとも思いますが、Integration と云ってよいかと思うのです。そしてその後には、難民をどのようにこの国との融合に導くかという難問題があるわけです。
 日本には難民受け入れ問題がないので、Integration という言葉を新聞で読むことがあまりありません。もしかしたら共存という言葉がこれに変わるものかとも思います。


 話が飛びますが、昨年の春にポルトガルに家族旅行をしました。家族とは、娘とその夫クレメンス、クレメンスの兄とその妻クリスタと息子、この兄弟の両親、それにクリスタの母親とわたしの計9人です。
 子ども達が、寒くも暑過ぎでもない南国での5日間に、わたしたち両親を招待してくれたのです。娘たちの結婚後、20年経ってのことです。
 これまでも、折りに触れ、向こうの両親と会う機会はあったのですが、何かを話し合うなどの時間もきっかけもないままでした。一ケ所、例えば何かの祝賀会などの出会いでは近くに座った人との会話に制限されるように思うのですが、旅という機会は、対等に誰とでも話すことが出来て、反面、個人の自由も作れるという、とても良い方法だと思いました。そして、この機会に娘の家族との融合を与えられたという、強い印象が残ったのです。そしてこの経験が先回のブログの基礎なのです。
 又よく考えてみると、このような機会を与えられたということは、クレメンスと娘、すなわち次の世代との接触がスムースであることから得られたのかもしれないと思い娘夫婦に感謝しています。融合は一方からだけでは成り立たず、双方の努力が必要だと思うからです。
 これが、わたしに与えられた個人の小さな家庭内のIntegration なのです。 


 上記の、共存という言葉は日本の新聞でよく読みます。例えば某大学のモットーが「共存を考える人物育成」などです。この考えはとても重要で大切なことだと思います。これは機構を少し大きくした Integration ではないでしょうか。共存は融合の上に建つものだと思います。
 そして没頭にあげた困難問題や、英国のEU 離脱 は機構がもっと大きくなった困難問題です。これらの難問を解決するには世界の国々の融和統合精神が必要なわけです。融合は平和の基礎だとも気づきます。
 今年が世界中で共存に力を入れる年になるように願っています。


aokijuku at 11:49│コメント(0)

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