2017年12月23日

ビュッケブルグ歳時記 169

未だ続く・・・

 今回もコミュニケーションにまつわる一話をお伝えします。
 ある朝、メールを開けると見慣れない一通があり、よく見ると娘の夫クレメンス が差出人でした。 内容は彼の父親が息子2人に書いた、自身の持つ宗教論とも云える手紙でした。娘夫婦と時々宗教についても話し合うことから、わたしにも興味があるかもと転送してくれたのです。
 このことを知った時にわたしは内容よりも、主題が宗教に関するという事実と、それを父親が息子たちに伝えたいという伝達意志を持つということに驚かされたのです。そしてこのような時が、ここは外国だと再認識させられる時なのです。

 父親はカトリック教派に属する信者です。
 ここでキリスト教の旧教と新教派について、この国での立場を説明する必要があるのです。ドイツではこの両派は現在もその主張を相容れること無く、両派の間には厳然とした間隔があるのです。日本ではキリスト教というと両派の間に違いはないような感覚がありますが。簡単に云って旧派は規律が厳しく、中世の感覚が残っているように思えます。神父が妻帯出来ないことや、一般信者で両派のカップルが結婚した場合、生まれた子どもは旧教に属するという圧政的権力表示などが例としてあげられます。母親がプロテスタントのクレメンス兄弟もこの例に漏れずカトリックでしたが、両人とも成人とともに教会から脱して、今は無宗教者です。
 父親は手紙の始めに「自分の考えが全部の人に影響を与えるとは考えていない。そう考えるの思い上がりだから」と但し書きをしています。自分の考えを人に押し付けないわけです。 
 そして、旧訳聖書の地獄とか剣による宗教ではなく、自身は新約聖書の、言葉による、平和と愛の教えを信ずる、との考えを述べています。そして、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、仏教などが、話し合ってお互いの宗旨を知り、寄り添う態度がこれからの世界には必要だと書いています。

 父親は内務省で法的役務についていたのですが、退職後ボン大学でイスラム教について学び、その後、ボン近郊の街で、「街の、外国人(今はイスラム教徒が中心)の融合機関の水先案内人」という仕事に就いています。ボランテイアです。移民の法的手続きやその他の様々な手助け、難民児童のドイツ語学習、ムスリムとキリスト教教会との対話の実現(旧派はこの試みに最後まで参加をしなかったそうです)などの仕事をしている人なのです。
 
 このように宗教についても、政治の見方にも、調和が強調され、寛容を手段とする彼の主義は、先回の「学校での社会生活への準備」のまとめのような気さえするのです。難民問題が大きくなっているこの国にとってだけではなく、世界の共存を考えた時に参考になる考え方のように思われるのです。
 
 あっという間に今回のブログが今年最後のものになりました。
 この1年、色々書きましたが、読んで下さった読者の方々、ほんとうにありがとうございました。そして重要なことだと再認識したコミュニケーション(マスメデイアをも含めた)が行き渡り社会が明るくなってくれることを、又、皆様が良いお年を迎えられることを願いながら筆を置きます。


aokijuku at 00:30│コメント(0)

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