2017年09月09日

ビュッケブルグ歳時記 162

腑に落ちない事ごと  1.


 この国では9月が入学月です。学校が始まって、日に焼けた肌に産毛を金色に輝かせながら、6週間の夏休みをそれぞれに満喫したーーこの”満喫”に下印をつけますーー子ども達が話してくれる体験談は、臨場感に満ちて、私もしばし海辺に、山辺に佇まされる感じです。
 日本でも、夏休みが生徒の一番長い休みであることは同じです。両国での違いは宿題の有無です。ここで下線を付けた”満喫”を思い出していただきたいのです。
この国の学校では休みは休みで、宿題が出ないのです。ですから、生徒は6週間の休みを100%謳歌出来るわけです。


 昨年の日本の新聞で、2000年頃に始まったゆとり教育を止めるとの記事を読みました。学力低下が理由でした。
 ここで、腑に落ちない 感じを持ったのです。
 詰め込み教育といわれる、向き合い(教師と生徒の)授業の改善のために、また
いじめ、不登校、落ちこぼれ、校内暴力などに対策するために、との理由で始められたこの教育法を、成績結果が下がるという理由で止めてしまうという、文部省の意向が腑に落ちないのです。ここに示された、詰め込み教育是正と校内生活改良のためとの2つの目的には2つの思考点があるのではないでしょうか。
 授業時間数を少なくするとか、学習内容を減らすなどは、生徒に学校生活にゆとりを与える事項だと思います。ただこれは、学校の定義を知識集積地とした場合にだけ当てはまることです。詰め込み教育を是正したい理由でゆとり教育を決定したのなら、学力低下を理由に中止することに納得出来ます。だた、学力向上教育とゆとり教育の間にある矛盾に、なぜ事前に気が付かなかったのかと疑問になるのです。OECDの調査結果を上位に留めることが目的の場合は、ゆとり教育の必要は無いわけです。
 そこから学校というものの在り方を改めて考える必要があるように思えるのです。良い成績を取って、名のある大学に入る生徒を多く出すことが学校の在り方なのか。学業習得の傍ら、良い社会人となる準備基地と考えるか。
 今、文部省が唱えている脱ゆとり教育とは「確かな学力」「豊かな人間性」「健康体力」を兼ね備えた「生きる力」を育むための教育とは、素晴らしい教育目的で、学校を良い社会人となるための教育場と考えているととれます。このためにはゆとり教育が良い方法に思えます。それなのに中止ということが腑に落ちないのです。
 きちんとした、経過まで見通せる計画案を作って、教育場に指令するのが、責任のある政策ではないでしょうか。やってみて、ダメだから止めるという政策では、生徒も、教師も、保護者も戸惑うばかりのような気がします。


 ここで、例えば、時間数、学習内容量などは既存のまま、ただ、夏休み宿題無しというスローガンで、子ども達に自由な時間のゆとりを与えてみては、という案が浮かぶのです。ある一時期、学業に縛られないという開放感が、生徒の学校感にゆとりを与えるのでは、と思うのです。
 夏休みの終わった2学期には、生徒の自殺数が増えるという記事を読みました。つい最近も2件が記事として載っていたのを覚えています。

 最近、部活動云々の記事も読みました。教育活動の域を超えて、競争の世界になりつつあるとの意見を読むと、「宿題無しの夏休み案」がまた浮かびます。この案実施からは義務教育内の子ども達それぞれが何らかの感知を受けると思うのです。 
  
 学校にまつわる競争場から得ることがある子、宿題なしの解放自由から何かを得る子と、各々が違っても、得るものにそれなりの価値があるように思われるのですが。
 



aokijuku at 00:30│コメント(0)

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