2017年08月26日

ビュッケブルグ歳時記 161

周りを見渡すと


 今回は同僚のアナのことをお伝えしたいと思います。
 彼女は、先回で触れた Russlanddeutsch といわれるロシアからの引揚者です。
26年前に、10歳の娘を連れて、頼る人もいないドイツに来て、幼稚園の先生になる教育を受け、いまは全日制の小学校で、午後、生徒の世話する職に就いている
56歳になる女性です。


 ここで、”引き揚げロシアドイツ人”について、大ざっぱな様相を知っていただきたいと思います。
 大昔、1200年頃からロシアではヨーロッパの発展した国から人を呼んで、自国の進展を計っていたということです。宗教の自由を認め、ドイツ語使用も可、税金免除、軍務無しなど、受け入れ条件は誘惑大で、多くの知識人が移住したということです。そして、1700年頃にペータース大王がとったこの政策の生き印として残っているのが、現在でも栄華を誇るペータースブルグ市ということです。この都市はドイツ人が造ったと云われています。
 時とともにドイツ崇拝感情が徐々にドイツ敵視となり、2百万人以上になっていた移住者の苦難の時代となるのです。昔のようにその人の持つ職業に就くことは廃止され、ボルガ河畔とか黒海付近やカザスタン地方で農業に就かされ、自分の土地を持つことも許されず、昔と反対にロシア人の下で小作人として働かされることになったのです。第一次大戦では背信者で内敵と云われながらロシア兵として参戦しなければならなかったそうです。1941年にロシアに攻め入ったナチス時代の、移住者に対する仕打ちは云うまでもないと思います。その頃のドイツ移民者の兵隊は除名され、シベリアで強制労働に就かされたということです。


 このようにロシアでは、ドイツ敵視が始まった頃から今まで、ドイツ先祖を持つ人達は、住む所の人達から敵視され続けて来たようです。アナも住む所が何処であっても、ロシアの人から好意を受けたことは一度も無かった、何時も意地悪をされたと云っています。彼女の子ども時代はキルギスタンに住んでいたそうですが、ロシアは、私たち移民を人間の壁として、責めて来る敵に対する擁壁とする気だったのだと云っています。父親からは、ロシア人とだけは結婚してはならないと云われ続けたそうです。このような世界から逃れたい一心でドイツ帰国を果たしたわけです。何処かにドイツ族の証明がある人の帰国は認められ、現在では5百万人が引き揚げて来たようです。

 引き揚げ収容所の数ヶ月の後、ミンデンにアパートを見つけ、先ず、ドイツ語を
磨き、ロシアでも、両親がドイツ種族のため家の中では使っていたそうですが、その後、幼稚園教諭資格取りの勉強をして今の職に就いたのです。その間に、両親を呼び寄せています。ロシアで働いていた両親には年金があるようです。

 このように、帰国後の26年間を自分一人で、責任を持ってやってきた人です。ただ、可哀想だと思わざるを得ないのが、今のドイツでもアクセントから直ぐロシア帰国者と判り、蔑視されると嘆いていることです。世話をしている生徒の母親の中にも心ない人が居るようです。また、教師の中にあるヒラルキー(教階)意識にも悲しい思いをすると云っています。どこに行っても差別感がつきまとってきて安堵することが出来ない。娘と二人、私たちの故郷は何処にあるのだろうと、話し合っているのよ、と云うのを聞くと慰めの言葉が見付かりません。




aokijuku at 10:40│コメント(0)

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