2017年05月27日

ビュッケブルグ歳時記 155

民主主義にまつわり・・・


 先回はわたしの目に写る子権について書きました。この国の社会には人権だけではなく子権も強く意識されていると感じたのですが、過日、「子ども達にも一声を」と題する、一教育者執筆の記事が目に入りました。内容をご紹介します。


 〔民主主義とは、ある社会に強制出来る制度ではなく、まして何処かからの贈り物として手に入るものではない。この制度を健全に維持するためには日毎の努力が必要である。ドイツだけではなく世界に右翼勢力が幅を利かせるようになった現在は特に。
 この主義社会の基礎を築くのは未来を担う子ども達である。子ども達の意識を民主主義に向かわせる最初の教育場所は家庭である。年代を超えての家庭での政治論議は両親の持つ特権で、この論議へ子ども達を参加させ、彼らの声を聞き、最後に決定が必要な場合は子ども達にも票を与える。これは、次の段階にある学校での政治教育の土台となるものである。
 学校教育は知識習得を第一とするのは勿論だが、学校を”民主主義文化小社会”として、民主主義を社会学科として学ばせる場でもある。ここで必要なのは彼らの発想、要望、に耳を傾けることで、そこから彼らは民主主義共同生活政治を知ることになろう。
 最後に学校での政治教育で重要なのは、その時施政の与党と野党、両党の党意を理解させ、それに対する要請や勧告が彼らから示される場合には、それをおろそかに取り扱うことのないような心使いが必要}


 この記事は、誇張して言った場合には日本の社会の姿と全く反対の社会を書いた記事のような感じがあるように思えます。日本では両親がどの党に票を入れるのか知らない子ども達も多い家庭環境や、学校での政治教育は「形」を学ぶ教育で、政治の「実態」教育は政府が教師に制限するという事実などからそう思うのです。


 戦後70年が経っています。とすると、民主主義も70年経っていることになります。教育も6・3・3になって同じ70年経っているわけです。ドイツの教育も同じです。何処からこの2つの国の教育に、この場合は政治教育に、このように大きな差が出て来るのかと考えてしまいます。終戦までの各国の歴史が違う事は判ります。
 考えを追ってゆくと、例えば「話すこと」を重要視するこの国の知識段階は低いが、市民は「権利」「自由」の実態を知っていて、選挙をするだけではなく、政治に口を出し参与している、と思うと、民が政治に携わっている民主主義国なのだなと思うのです。これは、言い換えれば、市民が民主主義の意図を知っているということとも言えるわけです。この国の基本法には「国は国民の自由を侵せない」との一条もあるとすると、国は教師に対して制限の度合いを守っていることにもなるわけで、教師は政治授業を自由にできるわけです。 


 戦後、「民主主義はいい主義だ」ということから、この主義の細かい研究とか,真髄探求をせずに取り入れたことが、2国の考え方の差の原因かもしれないと思うようになりました。日本も明治時代にはある種のデモクラシーがあったとは聞きますが、民主主義の発端地はギリシャで、西欧の主義であれば、東洋人には直ぐに受け入れられない点もあったかもしれないと思うのです。
 かっての政治家たちの怠慢さを非難するよりも、今、あらためて民主主義を徹底的に研究する時が来ているのかもしれません。

aokijuku at 12:47│コメント(0)

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