2017年05月13日

ビュッケブルグ歳時記 154

子権


 今回のタイトルに疑問を持つ読者の方が多いと思います。ので、最初に種を明かしてしまいます。「子権」とは民主主義の中で重要な意味を持つ「人権」から、子どもの持つ権利の呼称として、わたしが勝手に作った言葉なのです。
 昨年は日本で民主主義について、どちらかと云えば批判的な論議が盛んに行われていたことを思い出したことがきっかけですが、先週のフランス大統領選挙の結果が、闇ばかりのように思われた世界状勢に一筋の希望の光を放ったように見えることなどから、やはり社会を統制するシステムには民主主義が最良なのだと改めて思わせられたのです。そこから、この国の民主主義社会で、異国人の一主婦の目に写る日本と少し違うと見える画像を折にふれ、皆様にお伝えしたいと思うのです。


 この国では、「子ども達が大人と同じ権利をもっていて、幼児期を抜けた子ども達はそれを主張する」ように見えるのです。
 例を挙げてみます。私のピアノ教室に入りたいと希望する子ども達は、保護者の同意を得て始めるのですが、しばらくの様子見期間の後、止める子は、理由を並べて保護者の同意を得て簡単に止めるのです。その理由がどうであれ、子どもの意向が重視される場合が多いのです。その後、成長とともに進学や職選選択に向き合うようになるわけですが、ここでも友達がこうだからとか、周りの目を気にするとかはとても少ないように思われます。普通の子ども達は自分を確立していて、その自分が持つ権利を主張するのです。


 この理由を考えてみるといろいろとあって難しいのですが、この国では日本と違って、早くから子どもを大人扱いしていることに気が付きます。小さな子にも
親は「こうしなさい」と云う前に、「あなたはどうしたいの」と、子どもの意向を問うことが先のように思われるのです。このように子どもの返事を促進する話し方は、結果はどうであろうと、子どもの意見作りの手助けになっているように思われるのです。
 そして10歳を過ぎると、例のSIE と DU の使い分けをしなければならなくなるのです。SIE は他人とか目上の人を対象に、DU は家族、友達などを対象にして使います。学校でも9年生から 、教師は生徒をSIE として扱うことが決められています。ここから、生徒は一人の大人として扱われることになるわけです。このことは、ドイツ人にとってはごく普通のこととなっていて、意識している生徒は少ないと思いますが、「ある歳から一人の大人として扱われる」ということは、異邦人のわたしには無意識のうちに、子ども達に自己主張の意識を植え付ける土壌となっているように思われるのです。このようなことが、子ども達の、彼らの持つ権利を主張する環境地となり、そこで子ども達が自分たちの子権を培養しているように見えるのです。


 このように、権利というものを大人だけでなく、子どもたちも持っていることがとても目につくので、それを子権と呼ぶことにして、この見出しになりました。
 勿論、「子どもの持つ人権」というのが正しいとは思うのですが、子権の育成には、人権をわきまえた大人の指導が必要ですし、また年齢の差からくる子ども等の主張が間違った方向に行ったときなどを思うと、親の持つ人権に対して、子どもの持つ権利は子権として区別した方がよいように思われるのです。この2つ、人権と子権がお互いに、お互いの領分をわきまえて寛容さを保ちつつ、問題解決に当たることは自分たちの社会だけではなく、世界の融合に大きな役目を果たすと思われるのです。そしてこのような子権の育成は、家庭だけではなく学校教育においても不可欠なことだと思います。民主主義社会では人権が尊重されるべきなのですから。




aokijuku at 01:00│コメント(0)

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