2017年02月25日

ビュッケブルグ歳時記 149

2016年の終わりに考えること 3


 間違った標題のように見えますが・・・
 ドイツの学校教育では、2月の終わりが一学期の終了期です。それと今、9月の総選挙のための選挙戦が繰り広げられていること、この2事項を機会として、「2016年の終わりに考えること 1+2」で書き足りなかったことをお伝えしたいと思うのです。


 先ず、この国の現在の政治状況を大まかにお伝えしてみます。
 トランプ大統領当選の時は、国民の多くが、メルケル首相は、起こり得る騒動を冷静に鎮める力を持っているとして彼女を支持する気配を濃くしました。しかし、その後、それまで外務大臣であった社民党のシュタインマイヤー氏がドイツ連邦大統領に就任し、社民党首のガブリエル氏が党首の席を辞任したことで、それまでEU議会長官であったシュルツ 氏が社民党の次期首相候補者として立候補したことにより事情が変わってきているのです。シュルツ 氏は、度々書いていることですが、この国の教養人の持つアビチュアーを持たず、大学勉学暦もないのですが、小市民のための公(平)政治をすることをモットーとし、国民の心をつかんだのです。その結果、世論調査では、首相を直接選挙出来る場合には国民の半々が両氏に票を入れるという意志表示がありました。しかし、この国では直接ではなく、首相の属する党を選ぶというシステムなので、実際にはメルケル氏の党、保守政党への票数がほんの僅か多いだろうという現状になっているのです。


 このような大要を書いたのは、この国では政治の状況が誰にでも判る、ということを知っていただきたいと思ったからです。多分小学生でも高学年生は、興味をもって、注意してTVや新聞を見ていれば、誰がどんな考えをもって立候補して、票を集めようとしているかがわかると思うのです。要して言うと、政治が易しいのです。そこから政治が国民の近くにあると言えると思うのです。


 「国民に政治が解る」ということはとても大事なことだと思います。
 日本での選挙権年齢低下を聞いた時には、それよりも先に、政治を市民に説明出来るような形にすることを心がけ、政治と国民の間隔を近くする政治教育をするべきではないかと思ったのです。ほとんどの若い人達が「誰に投票したらいいか判らないから、選挙には行かない」と言っていることを聞く時、するべきことがこれだと思うのです。票を入れる人が判らないということは、政治が身近ではないので、どの党がどういう政治を志しているかが明瞭ではないからだと思います。このような若い人達を選挙に往かせるためには、この点を明瞭にすることが必要です。
 選挙年齢低下を決めたお役人や、「若い人の票に期待している」という政治家のことを聞くと、党や政治家の政治方向が若い人に解らなくても、票を集めることで国情が変わるとお考えなのでしょうかと、訊きたくなります。
 これと同じように「公共」時間を必修にするとのニュースを読むと、なんとなく的が外れているように思えるのです。これでは過程を省いて、目的を急いでいるように見えます。
 選挙年齢低下は政治教育がなされた後にされるべき政策で、「公共」教育は(とても良いことだと思います)政治教育(この中では共産主義などの多々の思想主義を勉強するとともに、民主主義を奥深く思考し、学習するべきだと思うのです)の後、なされても遅くはないと思われます。もしかしたらこれは、されるべき教育ではなく、民主主義を良く知ることで、教育されなくとも、「公共」がどのような意味を持つか、自ずと解ってくるのでは、とも思えるのです。


aokijuku at 14:12│コメント(0)

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