2016年07月23日

ビュッケブルグ歳時記 136

ニース惨事をめぐって


 1年半の間にフランスを襲った3度目のテロ衝撃がニースで起ったと知った時にはとても驚きました。ニースには古くからの友人が住んでいるからです。


 友人の彼女は、わたしがスペインからの奨学金でバルセロナの女子学生寮に住んでいたときの同僚学生で、アルジェリアからの移住フランス人、ミシュリンです。スペイン語学習のために来ていました。良い意味で特徴のある性格を持ち、当時の在寮学生間での人気者でした。子どものように何事も疑うことをしない純粋な人とでもいうのでしょうか。例えば、マッチを買いに行く前に、スペイン人の友達にマッチのスペイン語を聞くのですが、友達はマッチの代わりに”ミシン”という途方もない単語を教えるのです。そして、煙草屋に行ってミシンを買いたいというミシュリンが巻き起こす混乱劇を聞くのを楽しむというわけです。
 ある日、二人の日本人青年と知り合いました。彼等は、外貨制限があった頃のこととしては珍しかったと思われますが、ヨーロッパ散遊をしてその記事を書いていたと記憶にあります。この2人とミシュリン、わたしの4人で、近くにある極小国、アンドラにヒッチハイクをしました。その時に見た、5月頃になると麦畑の中に咲く真っ赤な芥子の花・アマポーラの美しさは今でも目の底に残っています。若き日のくったくのない小旅行でした。日本のバブル時代のずっと前のことですが、世界が平和だったからこそ出来た経験だったと思います。
 その後この時の2人の日本青年とは音信不通ですが、ミシュリンはある雪の降る寒い日、わたしの後を追うように、ドイツ語を学びたいと北国ドイツのケルンに来たのです。彼女がドイツ語を習ってくれたので、私たちの会話が成り立っているわけです。
 ベルリッツ学校でドイツ語を学んだ後、ニースに帰った彼女とは、時折、文通がありました。そして20年以上も前になると思いますが、彼女が我が家に来て、旧交を温めたのです。その時の彼女はまだ独身で、モナコの金融関係の事務所で働いていました。 そしてまたなんとなく時が経ち、数年前にメール交換が始まった時には結婚をしていました。結婚後は自由が無くなったとこぼしています。 
 ニース・テロの後、直ぐ彼女にメールをしました。ご主人共々無事であったとの返メールで大安心したわけです。


 なぜこのような私事を書いたかというと、このところの世界状勢がなんとなく戦争を感じさせるからです。英国のEU離脱、それに伴うEUの不安定さ、難民問題、
トルコでの暴動、ロシアの態度など全てが不穏に思われるのです。
 戦争の犠牲になるのは若い人達です。戦争そのものではなくても、戦後の混沌を経験している私たちは、その後の平穏な時代の貴重さをよく知っています。そして誰もが、それぞれが過ごした平和な時を次の時代に残したい希望を持っていると思います。わたしも、わたしのミシュリンとの友好のようなことを若い人達に経験して欲しいと思うのです。平和な時代にしか出来ない事です。
 日本もドイツも国内社会に格差が大きくなったと云われていますが、世界中の国々間での格差が大きくなった事に、現今の不穏の原因があるとは云えないでしょうか。格差を縮小するためには武器ではなく、代わりに必要な”相互理解のための話し合い”を、若い人達にして欲しいのです。


aokijuku at 21:35│コメント(0)

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