2016年05月14日

ビュッケブルグ歳時記 131

原発脱退の最終段階




 以下は3週間ほど前の新聞のトップ記事の大要です。


 「電力会社は核廃棄物処置から解放されることになった」が標題で、その後、具体的な政府の原発廃棄物の処理法が続きます。
「今回、国家は核廃棄処理のためのFondsを設定する。E-on社の他、3社を含めたドイツの電力会社4社はこのFondsに、2022年までにそれぞれ約230、3 億を払い込む。このFondsは核廃棄物の、中間貯蔵から最終処理までの責任を持つ。これによって電力会社の責任は消滅し、全責任はFonds に移ることになる。」「そしてこの案は、2017年夏に法規として認められる場合には、”処理協定法規”として、5年前の我が国の原発停止決定の最終の章を飾ることとなるであろう」
 「この中には原発基(所)破壊工事費は含まれない」
 「230、3億は、現在ある170、2億に追加することになる。この金額が税金を払う市民の肩にかかってくるわけだが、妥協の範囲内だと思われるので国民に理解を乞う」
 「電力会社は必要費用が高すぎるとの批判はしているが、このような組織の下での話し合いには賛意を示す態度を取っている」
  

 この政府の原発脱退計画の記事からはいろいろなことが学べるように思えます。
 先ず第一にこの国では政治がトランスパレントだということの証明に思えます。
福島災害をきっかけに原発脱退を決定して、その良否はさておき最後まで主旨を通すという終始一貫政策にも信頼感をおけます。また具体案を示し、国民への負担をコンプロミス案として示されると、国家の意図が見えるので国民としての協力にも納得がゆくように思えます。電気料金が高くなっても、核から逃れるためとの理由が判っていると我慢出来ると思うのです。期限が付いていることですし。


 原発は安いから、との意見が大きいようですが、この案は廃棄物の処理を忘れている所からの意見であって、最終処理には莫大な費用がかかるということを聞きます。それに何処に”葬る”かということも大きな問題です。何処に住むにしても、誰でも廃棄物貯蔵所の近くに住むのに抵抗があるのは当然だと思います。
 この最終処理法の考慮は日本でも行われていないと聞きます。
 そうなるとこれは電力会社という企業の問題ではなく国が責任を持つということも適切に思えます。
 一時期中、原発はドイツでも”お金を印刷する所”と云われるほど、休むことなく電気を製造し利益を得ていたのです。その間に電力会社が貯めたお金を原発所破壊工事の費用に当てよとする政府の意向にも賛成出来ます。


 このように政府が考えていることを市民に示し、市民の協力を得る努力をしながら政治を進めるというのは市民の声を聞くことでもあり、民主主義の思想に合っていると思うのは私だけではないと思うのですが。




aokijuku at 21:00│コメント(0)

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