2016年02月13日

ビュッケブルグ歳時記 125

「選挙に行く」に関して


 二つの情景に気が付きました。
 一つは、日本では今夏の参院選から、選挙権が18歳に引き下げられたと聞きます。その理由を探った所、1. 世界190国の9割の国の選挙資格が18歳であること 2. 2014年の参院選で若者の選挙率が最低であったことが挙げられています。そしてあるお役人は、「政治に若者の声を活かそうとの主旨からの改正であるので、有権者の大人は皆選挙に行って若者に手本を示そう」と言って奨励していました。
 二つめは、有権となる18歳若者たちへのインタビューです。そこでは「選挙には行かない」との否定意見が42%で、「どの党に入れていいか判らないから」が、最も多い拒否の理由でした。


 この2つの情景の間に大きなギャップがあることに気づくのはわたし一人ではないと思います。少し飛躍するかもしれませんが、この食い違いは、政治施行者と民衆が理解し合っていないことからくる、「政治と市民が密接していない社会」にあるように思われるのです。度々書いたことですが、ドイツでは政治が生活に入り込んでいるので皆がそれぞれの意見主張をするのが普通ですが、日本では依然として政治は”政治家がするもの”として存在し、市民は選挙後は、口を出さ(せ)ないものとして、特別な集まり以外は除けて通ることが多いように感じます。ここから若い人達の政治に対する知識が不足し、関心や興味が育たないのでは、と言えないでしょうか。政治をもっと良く知ることで参加する意欲が湧くいうこともあると思うのです。
 そこからギャップを無くすためには、市民が政治に参加する社会作りが必要になりますが、そのためにはそれを作る子ども達、若者を育てることが基礎となり、終点は教育となります。


 ドイツの学校教育では、共同体系教育の一環として Politik 教科が行われます。「生徒の社会認識を形成し、市民としての生活資質を育てること」が目的で、政治体系や経済・法律秩序を学びます。政治の時間に教師が支持する方向を示すことは禁止されていますが、教師の服装(この国では教師の服装は、日本と違って自由です)からその教師の支持政党を憶測するのも容易です。
 この教科の授業に時事問題が多く取り上げられるのも特徴として揚げられます。パリ・テロの後、小学校6年生の生徒がいろいろ話をした後で、「・・でも、ドイツは武器をあの辺の国にたくさん売っているって今日の授業で習ったンだ・・」と、疑惑のある顔つきで言ったのを聞いた時には、ネガテイブな面も教えているのだと知りました。
 ポシテイブな面としての例は:M市の一高校に今学期からインターナショナル・クラスが設けられました。これは11人の難民の子ども達のためのクラスで、ドイツ語習得授業が主な目的とのことです。このクラスのために学校側からは8年生から上の在校生徒達に、Pate役(これは、子どもの洗礼の時に両親の代わりに立ち会い、子どもの成人時迄、代父(母)を努めることを約束する制度)を募集しました。わたしの教え子の14歳のエミリーも応募し、難民の子ども達がドイツに慣れる手伝いをする積もりだと云っています。
 このように学校教育で実際面での社会奉仕を体験させるのです。良い意味のsozial 風景だと思います。ここから「密接な社会と市民の関係」が育つように思えます。
 





aokijuku at 00:30│コメント(0)

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