2015年10月10日

ビュッケブルグ歳時記 118

統一以来25年経った今


 崩された壁の傍ら、残る壁上で歓喜に鼓舞する旧東ドイツ国民で象徴される統一情景を記憶しておられる方は日本でも多いと思います。
 10月3日が統一記念日です。この記念祭は毎年、違う州を巡って祝われ、今年はヘッセン州で、その首都フランクフルトで行われました。
 メデイアもそれぞれ、様々に今に至る経路を報道しています。巷の様子をお伝えしてみます。


 人民議会(東)と連邦議会(西)の合意で統一はされたものの、統一費の誤算のため、その順路は決して安易な道ではなかったのです。統一当事者であったコール首相が退任して社会党の首相になってようやく改革が進められ、政治、経済、社会の全ての面に向上の兆しが見え始めたと伝えられています。そして2011年の福島核災害を契機に脱原発エネルギー改革に立ち向かったことは、国民に「皆で団結してやればできるー精神」を植え付けることになったと云われています。年金、労働賃金、雇用率の面で未だ全部が東西同等には行っていないとはいえ、このような経路を経て25年後の今、統一は成功したという結論に到達したのです。統一を成し遂げたという事実は国民だけではなく、世界にも「ドイツは信頼のおける堅実な國」という像を築く役割を果たしたわけです。国民の80%が自分の国ドイツを誇りに思っているとの調査の結果が出ています。


 私が教えている学校にも2人、旧東出身の教師が居ます。その一人の先生の話で面白いと思ったことを書いてみます。「西ドイツに来て戸惑ったことがあるか」の質問に、「東で私たちは教師として自分たちの義務をきちんと努めてきたのに、そのことを認めてくれないような感じがある。東のやり方にもいい所があると思うのに、何も聞いてくれないし、知ろうともしない」この話はいろいろな例を思い出させます。「統一は西側が一人でやったことではない。人民議会員の一人一人の力があってこそ成ったものということが忘れられている」「西の案に、いつも東が従わなければならないの」などはよく聞いた気がします。
 そして感無量になるのは25年という月日の長さです。髪を切りに行く美容院で、居合わせれば切ってくれるグレダの両親も壁崩壊後、西で生活圏を築いた人達です。18歳のグレダは西で生まれて東の生活は経験していないわけです。彼女に云わせると、「ドイツが2つに分かれていたということは、両親の話と教科書に載っていて、ある期間、現代史で勉強させられるから知っているけど、私には関係ないこと。時々、Ossi(東出身者)-Wessi(西出身者)の冗談が出るンだけど、それだけ。統一記念日なんてだんだん意味が無くなると思うわ」とあっさりしたものです。10数年前には、ベルリンで働いている娘が、「皆で議論しなければならないとき、東からの人達がのって来ないので困るのよ」と云っていたのを思い出します。自由議論に慣れていない政治の形で育った人達がいたわけです。しかし、時代は確実に進んでいるのです。


 統一を成功させたドイツ、難民問題も同じように慎重に時間をかけて成功に導くのでしょうか。

aokijuku at 10:21│コメント(0)

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