2015年09月12日
ビュッケブルグ歳時記 116
避難民問題
今、ヨーロッパに溢れている避難民についての状況はメデイアを通して日本にも通じていると思われますので、私からは周りで起っている市民の反応をお伝えしてみます。
9月5日にいろいろな障害を乗り越えてミュンヘンの中央駅に到着した2万人の中から約300人がビュッケブルグ駅に到着したのは8日の早朝です。シリア、
アフガニスタン、エリトレア、ガーナ、ソマリア、イラクからの避難民で、この人達の受け入れのための宿泊所準備には、消防所員や赤十字付属の救助員の他に
100人のボランテイア市民が参加したと翌日の新聞に大きく載せられていました。宿泊所となったのは前に書いた兵営舎の広間で、そこへ250の簡易ベット、移動可能なトイレ、シャワー設備などを一夜のうちに設置したのです。この他に糧食支給の準備や医療所の設備なども万端整えたということです。この宿泊所は一時的なもので、難民はいずれ決まった受け入れ施設に移って行きます。
このように避難民歓迎の側に立っている市民が多いのです。これはやはり政府の人道的にも倫理的にも受け入れを歓迎しようとの方針に従う人たちで、中でも
メルケル首相のはっきりした意志表示が強い支柱となったようです。これまで、地方に予定されていた避難民のための住居に火を放つなどの難民ヘイト行為が度々あったのですが、それに対して政府及び首相は、「このような行為はならず者のすることで、世界が信頼の出来る国と見ているドイツにはあってはならないことである。我々はドイツ人としての品位を保ち、裕福な国こそ出来ることとして難民受け入れをヨーロッパだけでなく世界中に示そう」という声明を出したのです。
反面、隣の市に住むわたしの同僚、アナのように「引っ越さなくてはならない。向かい側の、今迄空いていたアパート群に700人の男性避難民が収容されるから」と、恐ろし気に云う難民断絶を目指す人もいますし、「ギリシャに大金を貸して、又難民にお金をかけるなんて」と、歓迎に反対意見の市民も多くいることは否めません。
テーマを”避難民を受け入れることで政治面や社会面で変わるのはなにか”とする、ある社会学者のインタビューの主旨を簡単にご紹介したいと思います。「*ドイツは今年、80万人の難民を受け入れる予定だが、これには特に労働と住居関係での構成改正が必要になる。*避難民の多くは能力と素質を持っているものが多いと思われるので新しい環境になじむのも早いだろう」そして、「*人口統計面から見ると今のドイツには年間50万人の若者が必要である。世界中がそうであるように我が国も老人社会となっているので、それに対する策として若人難民を歓迎する」 この人口統計学からの見方は私の耳には新しい事柄でしたが老人社会との関連を考えると重要なことに思われます。「*宗教の違いなどから社会的な融合の面で困難があると思われるが、国が”移住国”となっていればこの問題は避けられる。以後、ドイツは時間をかけて冷静に移住法規改正をする必要があるだろう」と、難民受け入れに好意的な意見なのです。
ギリシャとの問題で特に気がついたのが政治にも寛容精神が必要ということですが、難民受け入れ問題でもこの事を再認識しました。過去の歴史から学んだものかもしれませんが、ドイツの政治にはこれがあるように思えるのです。
今、ヨーロッパに溢れている避難民についての状況はメデイアを通して日本にも通じていると思われますので、私からは周りで起っている市民の反応をお伝えしてみます。
9月5日にいろいろな障害を乗り越えてミュンヘンの中央駅に到着した2万人の中から約300人がビュッケブルグ駅に到着したのは8日の早朝です。シリア、
アフガニスタン、エリトレア、ガーナ、ソマリア、イラクからの避難民で、この人達の受け入れのための宿泊所準備には、消防所員や赤十字付属の救助員の他に
100人のボランテイア市民が参加したと翌日の新聞に大きく載せられていました。宿泊所となったのは前に書いた兵営舎の広間で、そこへ250の簡易ベット、移動可能なトイレ、シャワー設備などを一夜のうちに設置したのです。この他に糧食支給の準備や医療所の設備なども万端整えたということです。この宿泊所は一時的なもので、難民はいずれ決まった受け入れ施設に移って行きます。
このように避難民歓迎の側に立っている市民が多いのです。これはやはり政府の人道的にも倫理的にも受け入れを歓迎しようとの方針に従う人たちで、中でも
メルケル首相のはっきりした意志表示が強い支柱となったようです。これまで、地方に予定されていた避難民のための住居に火を放つなどの難民ヘイト行為が度々あったのですが、それに対して政府及び首相は、「このような行為はならず者のすることで、世界が信頼の出来る国と見ているドイツにはあってはならないことである。我々はドイツ人としての品位を保ち、裕福な国こそ出来ることとして難民受け入れをヨーロッパだけでなく世界中に示そう」という声明を出したのです。
反面、隣の市に住むわたしの同僚、アナのように「引っ越さなくてはならない。向かい側の、今迄空いていたアパート群に700人の男性避難民が収容されるから」と、恐ろし気に云う難民断絶を目指す人もいますし、「ギリシャに大金を貸して、又難民にお金をかけるなんて」と、歓迎に反対意見の市民も多くいることは否めません。
テーマを”避難民を受け入れることで政治面や社会面で変わるのはなにか”とする、ある社会学者のインタビューの主旨を簡単にご紹介したいと思います。「*ドイツは今年、80万人の難民を受け入れる予定だが、これには特に労働と住居関係での構成改正が必要になる。*避難民の多くは能力と素質を持っているものが多いと思われるので新しい環境になじむのも早いだろう」そして、「*人口統計面から見ると今のドイツには年間50万人の若者が必要である。世界中がそうであるように我が国も老人社会となっているので、それに対する策として若人難民を歓迎する」 この人口統計学からの見方は私の耳には新しい事柄でしたが老人社会との関連を考えると重要なことに思われます。「*宗教の違いなどから社会的な融合の面で困難があると思われるが、国が”移住国”となっていればこの問題は避けられる。以後、ドイツは時間をかけて冷静に移住法規改正をする必要があるだろう」と、難民受け入れに好意的な意見なのです。
ギリシャとの問題で特に気がついたのが政治にも寛容精神が必要ということですが、難民受け入れ問題でもこの事を再認識しました。過去の歴史から学んだものかもしれませんが、ドイツの政治にはこれがあるように思えるのです。
aokijuku at 00:05│コメント(0)│