2015年02月28日
ビュッケブルグ歳時記 103
ドレスデン市 ーPEGIDA と 70年前のインフェルノをめぐって
先々週、国中の注目を集めたのはドレスデン市です。先回に書いた通り、IS国のテロの後、ペギダと呼ばれる排外主義者によるデモが行われ、多様な問題点を映し出した後、終戦70年記念と相成って、ドレスデン市の終焉記念日が巡って来たのです。
1945年2月13日14日にかけて、ドレスデン市は英米の大空襲によって大破されました。この規模は日本の広島、長崎と同じだと云われています。
エルベ河のフローレンスと呼ばれるドレスデン市は、バロック時代から美術品や建築物の宝庫であり、また教養の高い知識者が多く住んでいたのです。大戦時代にはナチの城塞であり、武器生産地でもあり運搬上の鉄道分岐点でもあったことから、連合国側はこの市の崩壊はドイツ側からの終戦意志に繋がるだろうという考えであったそうで、そこから犠牲者2万5千人という地獄図となったのです。
3ヶ月後の5月にドイツは降伏しました。
終戦後は衆知の通り分割され、DDRとなった東ドイツを西側の帝国主義に挑戦する犠牲の神話として受け入れる結果となり、これが今は昔のドレスデン市民としてのアイデンテイテイは何処へ行ってしまったのかという自己模索という形で表面化されました。そしてこれはドイツを脅かすと思われることは受け入れないという動きになり、特に、多くなった移民を含む外国人を排他意識の的としたのがペギダの原点だと云われています。
もう一つの原因は、旧東の市民が現在の政治に満足していないことが挙げられます。これは、NPD=ドイツ国家民主党(1964年に結成された西ドイツの右翼政党)が議席を持つようになったことや、AfDが州議会 に入ったことで、右翼系の台頭ということに現れています。
ドレスデン市は真ん中を流れるエルベ川によって2等分され、一方は洗練された買い物街、フラウエン教会やセンパオペラなどの修復されたバロック建築物が並ぶ観光客向けの町並み、片方はドオナー(トルコのインビスの一種)店、アジア食料品店が並び、行き来するのは肌の色の違う外国人が多いということです。
驚いたのは、フランス語の教師の、車のフランスナンバーを見た通交人が、中に座っていた彼女に向かって首切りの手真似をした、という経験談を読んだときです。その一方、89%の市民はペギダのデモに参加する気はないと云っているのです。この国に住む一外国人の私はどちらを信じたらよいのでしょうか。
注目された空爆記念式典でのガウク大統領の演説は、ペギダに触れることなく
和解を重要視するという内容でした。メルケル首相と同様に大統領も排他を煽るデモは恥ずべきことで、議論をするに値しないと取り扱ったわけです。また、連合党の社会党党首がある日デモに参加したのですが、その目的は、デモに参加している人達の意見、賛意を聞き、理解するためと云っていたことを書き添えます。このためか、今はペギダの影は非常に薄くなっています。
フランスでのテロ、ぺギダから空襲記念日を迎えたドレスデン市の物語から私が得たものは、「相互理解のために自分の意見を持ち、それを発表することが大切」ということです。今の政治に不満足なら、満足させてくれる(と思われる)政党を支持することは政治を国民がすることに通じるのではないでしょうか。
先々週、国中の注目を集めたのはドレスデン市です。先回に書いた通り、IS国のテロの後、ペギダと呼ばれる排外主義者によるデモが行われ、多様な問題点を映し出した後、終戦70年記念と相成って、ドレスデン市の終焉記念日が巡って来たのです。
1945年2月13日14日にかけて、ドレスデン市は英米の大空襲によって大破されました。この規模は日本の広島、長崎と同じだと云われています。
エルベ河のフローレンスと呼ばれるドレスデン市は、バロック時代から美術品や建築物の宝庫であり、また教養の高い知識者が多く住んでいたのです。大戦時代にはナチの城塞であり、武器生産地でもあり運搬上の鉄道分岐点でもあったことから、連合国側はこの市の崩壊はドイツ側からの終戦意志に繋がるだろうという考えであったそうで、そこから犠牲者2万5千人という地獄図となったのです。
3ヶ月後の5月にドイツは降伏しました。
終戦後は衆知の通り分割され、DDRとなった東ドイツを西側の帝国主義に挑戦する犠牲の神話として受け入れる結果となり、これが今は昔のドレスデン市民としてのアイデンテイテイは何処へ行ってしまったのかという自己模索という形で表面化されました。そしてこれはドイツを脅かすと思われることは受け入れないという動きになり、特に、多くなった移民を含む外国人を排他意識の的としたのがペギダの原点だと云われています。
もう一つの原因は、旧東の市民が現在の政治に満足していないことが挙げられます。これは、NPD=ドイツ国家民主党(1964年に結成された西ドイツの右翼政党)が議席を持つようになったことや、AfDが州議会 に入ったことで、右翼系の台頭ということに現れています。
ドレスデン市は真ん中を流れるエルベ川によって2等分され、一方は洗練された買い物街、フラウエン教会やセンパオペラなどの修復されたバロック建築物が並ぶ観光客向けの町並み、片方はドオナー(トルコのインビスの一種)店、アジア食料品店が並び、行き来するのは肌の色の違う外国人が多いということです。
驚いたのは、フランス語の教師の、車のフランスナンバーを見た通交人が、中に座っていた彼女に向かって首切りの手真似をした、という経験談を読んだときです。その一方、89%の市民はペギダのデモに参加する気はないと云っているのです。この国に住む一外国人の私はどちらを信じたらよいのでしょうか。
注目された空爆記念式典でのガウク大統領の演説は、ペギダに触れることなく
和解を重要視するという内容でした。メルケル首相と同様に大統領も排他を煽るデモは恥ずべきことで、議論をするに値しないと取り扱ったわけです。また、連合党の社会党党首がある日デモに参加したのですが、その目的は、デモに参加している人達の意見、賛意を聞き、理解するためと云っていたことを書き添えます。このためか、今はペギダの影は非常に薄くなっています。
フランスでのテロ、ぺギダから空襲記念日を迎えたドレスデン市の物語から私が得たものは、「相互理解のために自分の意見を持ち、それを発表することが大切」ということです。今の政治に不満足なら、満足させてくれる(と思われる)政党を支持することは政治を国民がすることに通じるのではないでしょうか。
aokijuku at 00:05│コメント(0)│