2014年11月22日

ビュッケブルグ歳時記 97

大学生となったレナ4 ー 経済環境


 このような真面目な勉強の結果、レナは自分で予想していたよりも0.3上の平均点でアビトュアーをとりました。前にも書いたことですが、未だにアビトュアーを持つことは一種のステータスで、このお祝いには初夏の一夜、両親共々、女子は
ロングドレス、男子はスーツにネクタイでのダンス・パーテイが華々しく行われます。卒業生からその折りの両親との正装した写真を見せられたことは毎年のことでした。それが、今年はなかったのです。レナは見せてくれなかったのです。しばらく経ってから写真が見たいとほのめかせてみたのですが、「あんなこと、くだらない。写真なんかとらなかった」と、冷たく拒絶されました。
  

 卒業が近くなるにつけて、その後のことが話題となりました。最初の計画では、これも前に書いたFsJ=Freiwilliges Soziales Jahr=1年間の任意ボランテイア活動* を、英国でしたいという希望でした。願書を出し、面接まで行ったのですが最後の線で落ちてしまいました。昨今、アフリカに行く生徒が多いのに、何故、英国に行きたいのかという問いには「手当がいいから」との答えでした。「あたしは大学教育は自分で払わなくてはならないから」と云っていたのです。1年間の良い手当で大学勉学費用の一部を貯めるつもりだったのです。そこで思い出したのが、彼女が置かれている家庭での経済環境です。あまりに厳しい状態に驚き、呆れたというのがわたしの正直な気持ちでした。具体的なことを少し書いてみます。
* ここ数年、この制度に参加する生徒数は増えています。理由は、アビが12年になったことから、ある年の卒業生が倍増したことになり、良い成績が取れなかった生徒は大学での希望学部の席が取れないため、空くのを待たなければならないという事情からです。大学収容範囲が少なすぎるのです。


 彼女が行っていたギムは、ミンデンで一番歴史の古い古代語ギムとして名を馳せ、医者、教師、弁護士などの高収入家庭の子どもが多いといわれるギムでした。そこで、毎日の服装が取りざたされていました。「ブランドものでないとバカにされる」などです。考えてみるとレナの着るものは地味で質素でした。時折、着て来た新しいセーターを褒めると「自分で買ったの」と云って、「ウチは冬の靴とか、どうしても必要なものは買ってくれるけれど、他の欲しい物は自分で払わなくてはならないの」と、家庭での経済状態を話してくれていたのです。悲しげだったことを思い出します。先回書いた、グランドピアノが運び込まれた時の喜びも、古いため総整備が必要で、その費用はレナが払ったということが、裏にあったのです。また、「友達みたいに、午後、町に集まって、ぶらついて、何か飲んだりすることなんて、あたしはしたことがない。ばかばかしいから、したいとも思わないけど・・」と云っていました。友達が、週末にこぞって行くデイスコも彼女はいつも不参加でした。
 レナは「1週間に15ユーロ、小遣いとしてもらうのだけれど、ほとんど全部貯金するの」とも云っていたのです。そして、「でも、あなたのご両親は共稼ぎだし、それに一人っ子だから学費が出せないわけではないでしょう」と不審がるわたしに、「大学生になったら全部自分でやれと云われているの」「自宅のローンは終わったけれど、もう1軒、買った家のローンが残っているの」と聞いても、半信半疑でした。日本では子どもの教育に親が犠牲を払う場合も多いと聞きますが、ドイツでは親は自分の権利を譲らないと聞くのが本当だという例を目の当たりに見せられた感じでした。学費の問題で親を訴訟する子どもも多いと聞くことも本当なのだと知ったわけです。 

つづく
 





aokijuku at 00:03│コメント(0)

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