2013年10月26日

ビュッケブルグ歳時記 71

ある司教のスキャンダル 

 今、ドイツのメデイアを騒がせているのは国家と教会の金銭関係です。ことの起こりは、ある2万人弱の市民の町の司教区に、そこの司教が司教館を建てたのですが、3年前の計画費用は、5百5万ユーロだったのが、完成した今、3千百万ユーロが掛かったことが表面化したのです。この金額の大差に世間が驚いて、「教会は贅沢をするところか。一体、教会はどの位金持ちなのか」と問いかけの声を大きくしたのです。国家と宗教関係にまで議論が沸き立っているのです。

 以前、ドイツにはキリスト教という国教があるとお伝えしましたが、この教にはカトリックとプロテスタントといういう二つの教派があります。中世までを牛耳っていたのが旧教カトリックで、ルターが革命した後に新教プロテスタントができたのです。この2教派の関係は、数年前までのベルファーストの暴力宗教争いからもわかる通り、平和に終始しているものではないのです。ドイツでも同様で、お互いに批判を言い合っているのが現実です。日本ではキリスト教とひとまとめにしていることが多いようですが、この国では教派の区別は厳然としています。例えば、主人が通っていた小学校は、終戦数年後まで、1階が旧教、2階が新教の生徒と区切られていたそうです。
 プリースターとはカトリックの教会長で、日本では神父です。この大元がヴァテイカンの法王です。プロテスタントではパストアーかファアラーと呼ばれ、牧師です。神父と、牧師を混同することは決してありません。
 カトリックには法王という人間神があり、それを信じるカトリック信者を嘲笑するプロテスタント信者がいることなどから、両者は相容れないのです。 

 中世に栄華を誇っていた教会の遺産は、不動産など、今でも膨大なもののようです。銀行や金融、保険組織など、今でも教会が自営していて、教会組織は、”世界的なコンツエルン”にまで発展したと、皮肉をこめた批評も耳に入ります。
 そして、今度の事件が世間の注目を引いた点は、国と教会の金銭上の関係です。この国では他の国にない、教会税の制度があることは既にお伝えしましたが、
そのやり方の不透明さに、世間が目を開いたのです。教会税は国家に支払われ、国家が教会に分配するのです。その中で、例えば、司教の給料は、1803年のドイツ帝国代表者会議で教会侯国が支払うと決議されたのですが、教会侯国が無くなって以来、国が払うことになり、それを今までずっと続けて来たことがわかったのです。司教の給料は月に8千5百ユーロとすると、年にすると460万ユーロの支出となり、この支払い形が問われることになったのです。この方法では、教会脱退をした市民も司教の月給を支払っていることになるわけです。そして、フランスやアメリカのように、国と宗教がきちんと切り離されていることと比較して、ドイツでは形の上では切離されているが、実際にはそこここでの、はっきりしない繋がりが見え、まるで国家が教会の手下のように見えるなどの批判も大きくなっています。

 カトリック派の信用を台無しにした司教は、2、3日前に、法王との会見があり、「しばらくの間、職を休むこと」との、一種の判決が下りました。今までの席には戻れないわけです。新しい、ブラジル人の法王は、教会は貧しい人達を助ける所という信念の人なので、理不尽な贅沢に対して相応な処置をしたと、一応市民は
満足したようです。

 このように、福祉関係仕事に大きな役目を果たしている教会ですが、国家のやり方も含めて、難がないわけではないのです。

aokijuku at 00:05│コメント(0)

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