2012年05月26日

ビュッケブルグ歳時記 35

ゆとり教育万感 1−

総合学習についてはわたしの心配が当たったように思います。「総合的な学習時間」という、霧を掴むような内容を出しただけで、日本中の学校に実行を強いたことは、この企画を作った官僚方達の不勉強を表していると思います。現場のことを考えていないことはあからさまです。先生方もどのような時間にすればよいのか戸惑うのが当然です。

 総合学習が宙に浮いている時、この時間を「話すこと」の練習時間にする絶好のチャンスだと、私は思いました。昨年も書きましたが、今の日本の学校に欠けている一番重要なことは、自分の考えを持って、それを発言し、議論する訓練だと思うからです。戦後、日本に入ってきたデモクラシーという輝くものの中の、言論の自由を訓練する場所が学校以外にあるのでしょうか。

 ただし、総合学習時間を「話すこと」の練習時間にするという案が、現場の先生方の同意を得て実行に移された場合に、果たしてそれが通ったかどうかは疑問です。国歌の起立問題が思い出されますから。

 こう考えると、日本の教育構成機関がもっと広範囲の意見が集まるムルテイ・客観団体で、そのようなテイームが考えた末のゆとり教育計画だったら、長命で、将来の教育国際化に役立ったのにと思われるのですが。    



aokijuku at 00:03│コメント(0)

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