2011年07月14日

【見たり聞いたり】28

江戸時代にあった今は公園になっている小伝馬町の牢跡に行ったことがありますが、何か霊が漂っているのかそれとも気のせいかあたりにはなんともいえぬ雰囲気があります。ここに吉田松陰も高野長英もいたのかと思うと歴史の重みを感じます。アルシュビッツに行った人が写真を撮ったら目に見えない霊の残像がフィルムに映っていたと実際の写真を見せたもらいました。
さて、吉村昭の「三陸海岸大津波」が話題になっていますが今日は同じ吉村昭が書いた「長英逃亡」から:
時の権力者鳥居甲斐守の告発により蛮社の獄で永牢のみになった長英は放火して脱獄しお尋ねものになって全国を逃亡するのですが脱獄後二ヶ月で鳥居が失脚して町奉行の職を追われさらに罪人として流される身になりましたが主な罪状の一つが洋学研究者への苛酷な弾圧にあります。
もしも長英がそのまま小伝馬町の牢に留まっていれば鳥居の陰謀による犠牲者として直ちに釈放されたに違いありません。何しろ当時の最高の医者であり語学の権威者でしたから。あと二ヶ月辛抱できなかったものか、出来たなら時代が求めていた長英の大活躍の場が間違いなく来たと思うのですが。長英逃亡を読んで辛抱することの大切さんを改めて学びました。

aokijuku at 00:00│コメント(0)

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