2011年06月18日

スペイン体験記 その10

サラマンカからマドリッドに移ってから悪夢のような半月を経てようやく銀行にお金が入金されていました。
大げさですが、難破して流されそうになっていた所を救出されたような心持ちになり
ました。 と、同時に両親の偉大さを強く感じました。

何か食べようと思ったのですが、不思議と食欲が湧かず、とりあえずカフェオレに砂
糖をたっぷり入れて飲みました。久しぶりに口にした嗜好品は犯罪的な美味しさでし
た・・・。
ようやく、一心地つきましたが、今度はあの牢獄のような宿を脱出する術を探さなけ
ればいけませんでした。また、宿探しです。

当時の部屋探しの方法としては不動産屋で物件を紹介してもらうか、自力で“空部屋
アリ”の物件を探すか、週に一回、発行される賃貸情報の新聞で情報を探すかの方法しかありませんでした。
不動産を介すと、とんでもなくお金がかかるので最もポピュラーな新聞で直接、交渉
する手段を取らざるを得ませんでした。全く、土地勘もないので値段と条件の情報を頼りにいくつかピックアップしてみました。
もちろん、下手クソな自分のスペイン語をカバーするために事前に言葉を準備して、
シュミレーションを行いました。

そして、電話をする段階まで何とか自分を鼓舞して、公衆電話の前に立ったのですが、なかなか踏ん切りがつきませんでした。ただでさえ分からないスペイン語が顔の表情が分からない電話で、しかも、自分の素状を簡潔に語り、 部屋を見せてもらえるか聞かなければいけません。
私にとってはかなり、ハードルの高い作業でした。
しかし、あの牢獄のような宿は一刻も早く、脱出したくて仕方がなかったので思い
切って受話器を手に取りました。

何件、電話をかけたか覚えていませんが、全て、縁がありませんでした。
「日本人です」と、言った途端、明らかに不快な声で対応するケースやもう既に決まってしまったケース、物件を見るのに10日ぐらいかかるケースと様々でした。
そうしてピックアップした物件に電話をし尽くすと、チャンスは次週ということに
なってしまいます。
電話に出なかった物件もあったので翌日に繰越したりと中々、思うように事は運ば
ず、不快な電話対応では精神も蝕まれ、親切に対応してくれる所は大概、もうアポがあったり、ほぼ決定していたりでした。
ちなみに、スペインの賃貸ですが、私のような貧乏学生たちは何人かでひとつのフロ
アーをシェアするという形式が一般的でした。台所、シャワー、トイレは共同です。
上手にやりくりすれば、月に5万円もあれば一カ月、充分に飲んで食べて生活するこ
とが可能でした。

今度は部屋探しで四苦八苦していると、同郷で私より1年、早くスペインにギターを
勉強しに来ていたM君が見兼ねたのか、日本人が経営している下宿を紹介してくれました。家賃として計算すると、少し、割高ではありましたが、自炊もできるとの事だったのでM君の情報に飛びつきました。
とても助かりました。
下宿には日本の漫画や雑誌、滞在者も皆、日本人。まだスペインに来て3カ月しか経っていなかったのですが、言葉が通じるという当たり前の事がこんなにも素晴らしいことだったのか再認識しました。

ここの下宿では様々な日本人の方と出会い、とても私自身、勉強させてもらった場所
になりました。
やっと、音楽院へ進むためのマドリッドの拠点を得たのでした。

aokijuku at 00:03│コメント(0)

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