2011年04月27日

熊谷 守一のこと

022 熊谷さんの書の展覧会が私の画廊をはじめた第1回の展覧会であった。
熊谷守一といえばお金のために絵を描かなかったひとであったため家族は貧しい生活を強いられたという。油彩作品で「焼き場の帰り」と言う作品があり今も鮮烈な印象で脳裏に残っている。
 長女をなくしたとき焼き場から骨壷を抱いてトボトボと帰る家族の顔には目も鼻も口も描かれていない。
 かえって悲しみを誘う情景だ。
60歳を過ぎてからは書や水墨画を好んで描き、私が書の展覧会をしたときはまだ健在であられたから箱書きをしていただくために豊島区のお宅にお邪魔したことがある。雑草の生い茂る小さな庭に陽の当たる気持ちのよい縁側で夫人と碁をさしておられた。作品は素朴でシンプル、独自の世界はフランスでの個展でも多くのフアンを魅了した。
 1968年、文化勲章を辞退した。1977年に97歳でなくなり自宅跡に熊谷守一美術館が何年か後建設された。今は豊島区立となり娘の榧さんが館長になられている。
 彼女自身日本山岳会会員であり画家である。今私のところに彼女の雪山を描いた大作がある。


aokijuku at 00:05│コメント(0)

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