2011年03月28日

【明日の世界】No.65「南方熊楠」その2

雨にけぶる神島を見て紀伊の国の
生みし南方熊楠を思ふ

昭和37年5月南紀白浜に行幸された昭和天皇は御宿所の屋上から神島を眺め33年前の熊楠を追懐した歌です。昭和天皇が個人名を入れた歌はこれ一首のみとのことです。以下上坂次郎の「縛られた巨人、南方熊楠の生涯」を参考にして;
早稲田大学のT教授の話は大変興味深いのですか何しろ相手が粘菌ですからレベルの高い早稲田大学理工学部OBの参加者もなかなかついていけない状態でした。北杜夫が巻末の対談で言っていますが自分も粘菌についてはよく分からないと。粘菌の営みが人間の営みと似ているから注目されるのでしょうかとも言っています。
明治17年熊楠は念願の東京大学予備門の試験に合格しましたが、同窓生に夏目漱石、正岡子規、秋山真之らがいました。教える先生より熊楠のほうがレベルが高いこともあって中途退学してしまいます。
諸論文が日本人で初めてネイチアーに何回も掲載されその評価も最高のものでした。
金がなくなってアルバイトに浮世絵をヨーロッパの金持ちに売りつける事もしましたが仕入れの10倍以上に売れました。ただそこには熊楠の知恵があって、それぞれの浮世絵のバックグランドの物語を現地語で丁寧に解説し、買う人はその物語を読みたいので浮世絵を買うのだと喜んで高くても買っているとのことでした。今商品にも物語をと言いますがその元祖かもしれません。
昭和天皇も初めてお会いした時強烈な印象を受けたので33年前を思い出して吟じたのでしょう。


aokijuku at 00:00│コメント(0)

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
月別の記事一覧
最新コメント