2011年03月13日

中東―石油の本丸サウジアラビアは?

チュニジア、エジプトの動乱と政権の変革は、いまリビアに移り、カダフィ大佐と反体制派の攻防戦が続いている。周辺諸国のアルジェリア、イエメン、ヨルダン、バーレーン、オマーンも動揺しており、イランの祭政一致体制も予断を許さない。まさにドミノ現象である。
これらは、日本にとってはまだ距離のある遠いところの出来事と思われている。しかし、ことがサウジアラビアに波及すれば、日本を襲う震度8以上の直下型大地震となる。これまでの石油ショックの比ではないであろう。
サウジでは、モロッコで療養中の86歳の国王が急遽帰国して、若年失業率の高い国内状況の改善などに緊急経済対策を講ずるなど社会不安の解消に努めている。またOPECなど石油の供給側は、中東情勢の混乱下でも実需に十分応じており、原油の供給には問題ないことを強調している。
しかし、サウジに国家の不安はないのか、大丈夫なのか。
ジッダ刑務所銃撃(2007年12月)、アブカイク石油施設襲撃(2006年2月)
ジッダ米総領事館襲撃(2004年12月)など、これまで散発的に国内テロ事件は起こっており国家体制への不平分子は存在する。
そして30年あまりも前のことであるが、メッカのアル=ハラム・モスク占拠事件(1979年11月20日)を忘れることは出来ない。巡礼者に混じって死者の棺に武器を潜ませてモスクに入った反乱者たちは、マフード(救世主)を称し、聖職者を拘束しモスクを占拠した。実はその日にモスク訪問を予定していた国王を人質にする計画であったといわれる。政府は5万人の軍隊・警察を投入して、最終的にはパキスタンの特殊部隊、フランスの治安部隊のプロの手も借り、約半月がかりで反乱を制圧した。首謀者ら67人は公開処刑されたが、彼らは外国勢力ではなくほとんどがサウジアラビア人であった。
これはサウジの国家を揺るがす大事件であり、その後、政府はイスラム過激主義者を抹殺するような強圧政策をとらずに、彼らの国外における活動をひそかに援助することで、王室への批判をそらす懐柔策をとった。それが、ウサーマ・ビン=ラーディンの活動となる。
このモスク占拠事件を生み出した風土、勢力は、一味の処分だけで果たして一掃されたのであろうか。それがなお国内に息づいて生きており、さらに海外に拡散した過激派勢力と結びつくとなると、サウジアラビアも予断をゆるさないことになる。




aokijuku at 00:03│コメント(0)

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