2011年02月19日
「銀行、今は昔の話」
久しぶりにアメリカに送金するため、取引銀行に行った。あまり好い顔をしない。「メガバンクと取引はありませんか?」と言う。聞いてみると手続きが面倒で、そのうえメガバンクに依頼をするため時間がかかるのだそうだ。「先方からのインボイスのコピーも必要です。」と、同情しつつも明らかに迷惑そうだ。自宅の住宅ローンの借り換えを熱心に薦めた隣県の地銀である。親切心に惹かれてその後設立した会社も、ここに口座を開設した。こんなに不便だとは知らなかった。以前は何の問題も無く、送金できたのにと思っていると、「テロ資金のマネーロンダリングを防ぐため、厳重になったのです。」と窓口の女性。海外送金を断って商売になるのだろうか?インターネットバンキングや新しい仕組み導入に熱心な銀行なのに。
そもそも銀行の役割とは何であろうかと改めて思う。受けた預金を他人に貸し付けて、その金利の差額が利益になっているのであろうが、金あまりの世の中では、その貸し出しもままならない。そのためリスクフリーの手数料で儲けようと考えていたはずである。その手数料を稼ぐ機会を閉じてしまっては、国際的な取り決めがあるにしてもと、哀れな感じがした。銀行の存在感も薄れていくのは当然かもしれない。
シアトルにあったR&D会社を、業態転換で販売会社に変えた際、その移転先を中西部ではなくロスアンゼルスにした、嘗ての勤務先の創業者の考え方が思い起こされる。35年前のこと。製造業の大集積地である中西部でなく、北米の南西の端であるロスアンゼルスに全米の拠点を設けた大きな理由は、取引日系銀行の存在にあった。企業にとっての命綱は、お金であり、それを貸してくれる銀行である。その銀行に近いことの大切さである。
10年ほど前に、あわや倒産の憂き目に会ったことから創業者の思いは始まったようだ。不景気からくる業績不振により30円台の株価を記録。いつ破綻してもおかしくない。それでも生き残ったのは、取引銀行のお陰だと創業者は肝に銘じた。そのため、返済を強要して去って行った関西系の銀行とは、業績が好転した後も取引の再開をせず、苦しい時の取引銀行こそが本当の銀行であると思い続けた。
そんな創業者の元で学んだことは、取引銀行は親も同然との論理。一人前になるまでは、親の側でアドバイスを受けた方が安全、かつ効率的である。資金繰りに窮した際の借金はもとより、労務や経理などの管理上の問題、それに販売や資金回収法等々、何でも判らないことは、まず始めに相談する。勿論、担当者の知識では不充分であるので、銀行の親密取引先や弁護士、会計士などを紹介してくれるだけである。とは言え、問題解決の糸口を見つけ出してくれる頼もしい存在であり続けた。
とりわけ、高額商品の販売に苦労した際設立したリース会社は、取引銀行の手助けなしには機能しなかった。スムーズな運営のため、日本より行員を派遣。レーガンの減税策と相まって、売上は大幅に向上。リース会社への銀行からの貸付金も大きく増加。事業会社の成長をあらゆる側面から手助けする。今は昔の話になったようだ。
そもそも銀行の役割とは何であろうかと改めて思う。受けた預金を他人に貸し付けて、その金利の差額が利益になっているのであろうが、金あまりの世の中では、その貸し出しもままならない。そのためリスクフリーの手数料で儲けようと考えていたはずである。その手数料を稼ぐ機会を閉じてしまっては、国際的な取り決めがあるにしてもと、哀れな感じがした。銀行の存在感も薄れていくのは当然かもしれない。
シアトルにあったR&D会社を、業態転換で販売会社に変えた際、その移転先を中西部ではなくロスアンゼルスにした、嘗ての勤務先の創業者の考え方が思い起こされる。35年前のこと。製造業の大集積地である中西部でなく、北米の南西の端であるロスアンゼルスに全米の拠点を設けた大きな理由は、取引日系銀行の存在にあった。企業にとっての命綱は、お金であり、それを貸してくれる銀行である。その銀行に近いことの大切さである。
10年ほど前に、あわや倒産の憂き目に会ったことから創業者の思いは始まったようだ。不景気からくる業績不振により30円台の株価を記録。いつ破綻してもおかしくない。それでも生き残ったのは、取引銀行のお陰だと創業者は肝に銘じた。そのため、返済を強要して去って行った関西系の銀行とは、業績が好転した後も取引の再開をせず、苦しい時の取引銀行こそが本当の銀行であると思い続けた。
そんな創業者の元で学んだことは、取引銀行は親も同然との論理。一人前になるまでは、親の側でアドバイスを受けた方が安全、かつ効率的である。資金繰りに窮した際の借金はもとより、労務や経理などの管理上の問題、それに販売や資金回収法等々、何でも判らないことは、まず始めに相談する。勿論、担当者の知識では不充分であるので、銀行の親密取引先や弁護士、会計士などを紹介してくれるだけである。とは言え、問題解決の糸口を見つけ出してくれる頼もしい存在であり続けた。
とりわけ、高額商品の販売に苦労した際設立したリース会社は、取引銀行の手助けなしには機能しなかった。スムーズな運営のため、日本より行員を派遣。レーガンの減税策と相まって、売上は大幅に向上。リース会社への銀行からの貸付金も大きく増加。事業会社の成長をあらゆる側面から手助けする。今は昔の話になったようだ。
aokijuku at 00:02│コメント(0)│