2017年08月

2017年08月29日

【From America】「日本のお土産 キットカット」


アメリカのウインドゲイト緑です。

皆さんは楽しい夏休みを過ごされましたか? この夏休み中、沢山の外国人観光客が日本を訪れたことでしょう。旅行に行くとお土産を買うのも楽しみの一つですね。日本を訪れた外国人観光客は一体何をお土産に買って帰ったのでしょうか?

私の知り合いのフィリピン系アメリカ人は、家族5人で日本を旅行しました。先ず、日本の素晴らしいことは「清潔であること」。特に公衆トイレの清潔さにびっくりしたそうです。確かに、日本の公衆トイレにはウオシュレットが完備されており、実に清潔に掃除がされていることに気づいてくれて、日本人としてとても嬉しく思いました。次に食べ物が美味しいこと! 日本でお寿司を食べたら、その新鮮さに驚き、アメリカでお寿司は食べたくなくなった、と話していました。

kitto katto02私が「お土産は何を買ったのですか?」と聞くと、その答えはキットカット。それも抹茶味のキットカットを買ったということでした。確かに抹茶味のキットカットが人気であることは聞いていましたし、空港のお土産屋さんでもあちこちに売っていることから容易に想像できました。

すると、アメリカのTVでも日本のキットカットを取り上げていたのです。ネスレが販売するキットカットは世界各国で生産されていますが、日本のキットカットは日本独特の味、季節限定の味、袋菓子とは思えないほどに開発に力を入れていること、などを報道し、米国人レポーターが色々な味を試食し、味にこだわった前半のレポートでした。そして後半ではなんと日本の受験生にとってのお守りみたいな役割をしていることを伝え、キットカットと「きっと勝つ」という音の組み合わせまでも説明する、なかなか面白い報道でした。

kitto katto01キットカットはもう既に「日本独自のお菓子」に変化しつつあると感じるTV番組に、日本のお土産品として実にぴったりの品なのだと再確認しました。


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2017年08月26日

ビュッケブルグ歳時記 161

周りを見渡すと


 今回は同僚のアナのことをお伝えしたいと思います。
 彼女は、先回で触れた Russlanddeutsch といわれるロシアからの引揚者です。
26年前に、10歳の娘を連れて、頼る人もいないドイツに来て、幼稚園の先生になる教育を受け、いまは全日制の小学校で、午後、生徒の世話する職に就いている
56歳になる女性です。


 ここで、”引き揚げロシアドイツ人”について、大ざっぱな様相を知っていただきたいと思います。
 大昔、1200年頃からロシアではヨーロッパの発展した国から人を呼んで、自国の進展を計っていたということです。宗教の自由を認め、ドイツ語使用も可、税金免除、軍務無しなど、受け入れ条件は誘惑大で、多くの知識人が移住したということです。そして、1700年頃にペータース大王がとったこの政策の生き印として残っているのが、現在でも栄華を誇るペータースブルグ市ということです。この都市はドイツ人が造ったと云われています。
 時とともにドイツ崇拝感情が徐々にドイツ敵視となり、2百万人以上になっていた移住者の苦難の時代となるのです。昔のようにその人の持つ職業に就くことは廃止され、ボルガ河畔とか黒海付近やカザスタン地方で農業に就かされ、自分の土地を持つことも許されず、昔と反対にロシア人の下で小作人として働かされることになったのです。第一次大戦では背信者で内敵と云われながらロシア兵として参戦しなければならなかったそうです。1941年にロシアに攻め入ったナチス時代の、移住者に対する仕打ちは云うまでもないと思います。その頃のドイツ移民者の兵隊は除名され、シベリアで強制労働に就かされたということです。


 このようにロシアでは、ドイツ敵視が始まった頃から今まで、ドイツ先祖を持つ人達は、住む所の人達から敵視され続けて来たようです。アナも住む所が何処であっても、ロシアの人から好意を受けたことは一度も無かった、何時も意地悪をされたと云っています。彼女の子ども時代はキルギスタンに住んでいたそうですが、ロシアは、私たち移民を人間の壁として、責めて来る敵に対する擁壁とする気だったのだと云っています。父親からは、ロシア人とだけは結婚してはならないと云われ続けたそうです。このような世界から逃れたい一心でドイツ帰国を果たしたわけです。何処かにドイツ族の証明がある人の帰国は認められ、現在では5百万人が引き揚げて来たようです。

 引き揚げ収容所の数ヶ月の後、ミンデンにアパートを見つけ、先ず、ドイツ語を
磨き、ロシアでも、両親がドイツ種族のため家の中では使っていたそうですが、その後、幼稚園教諭資格取りの勉強をして今の職に就いたのです。その間に、両親を呼び寄せています。ロシアで働いていた両親には年金があるようです。

 このように、帰国後の26年間を自分一人で、責任を持ってやってきた人です。ただ、可哀想だと思わざるを得ないのが、今のドイツでもアクセントから直ぐロシア帰国者と判り、蔑視されると嘆いていることです。世話をしている生徒の母親の中にも心ない人が居るようです。また、教師の中にあるヒラルキー(教階)意識にも悲しい思いをすると云っています。どこに行っても差別感がつきまとってきて安堵することが出来ない。娘と二人、私たちの故郷は何処にあるのだろうと、話し合っているのよ、と云うのを聞くと慰めの言葉が見付かりません。




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2017年08月22日

【From America】「車内での携帯電話使用暦をチェック」

携帯チェック機能01アメリカのウインドゲイト緑です。

携帯電話は便利ですが、車の運転中には危険な事故の原因になることが多いのも事実です。法律で「車の運転中は携帯電話禁止」と決められていても、つい、ちょっとだけなら良いだろう、私は事故を起こすことは無いから大丈夫、と思って、携帯電話を使ってしまうことがあると思います。

中でも危険なのはメールです。電話の会話なら、ブルートゥース機能を搭載して、運転中でも会話が可能です。更に、会話をしながらでも(多少、注意力は散漫になるでしょうが)前を見て両手を使って運転が出来ます。しかし、メールとなると、どうしても目を携帯画面に落とすことになり、その間は車の前を見ることが出来ません。

携帯チェック機能02事故を起こしてしまった時に、警官から「携帯電話でメールを使っていましたか?」との質問に正直に答えない人が居ることもあるようです。そこで、警察にとってとても便利な機能が開発されました。それは、事故を起こした人の携帯電話につなぐだけで、いつ携帯電話でメールを使っていたかがひと目でわかるアプリです。警察官は持参のパッドに携帯電話をつなぐと、証拠が出てきます。

様々な便利な機能が登場する携帯電話の世界ですね。この機能導入で、メールによる交通事故が減ることを祈ります。


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2017年08月15日

【From America】「あなたのチェックイン荷物はどこ?」

アメリカのウインドゲイト緑です。

荷物追跡01皆さんは飛行機で旅行をする時に、チェックインしたスーツケースが紛失してしまった経験はお有りですか? 私自身は数回経験しましたし、友人知人に聞いても殆どの人が一回か二回は経験しているようです。

さて、そんな問題がほぼ起こらなくなる画期的な「チェックイン荷物追跡機能」がデルタ航空にお目見えしました。当然のことながら、他社も追随することになるでしょう。このシステムはチェックインをした荷物につけるタッグの中に小さなチップを埋め込むことによって、コンピューターや携帯電話で「今、あなたのチェックイン荷物がどこに居るか?」を即時に探すことができる機能を取り付けたのです。

最近は、自分のiphoneを探す、とかペットがいなくなることを防ぐために犬の首輪にチップをつける、とかGPSの機能をフルに活用したサービスが盛んに行われています。その機能を飛行機の手荷物紛失防止にいち早く役立てたのがデルタ航空というわけです。これで、荷物の紛失は殆どなくなるはずであると報道していました。

このサービスは本当に有り難いですね。私の知り合いで、出張のお土産に「明太子」をスーツケース荷物追跡02に入れたが、その荷物が紛失。なんと3ヵ月後にやっと手元に届いた時には中に入れた明太子が腐って、その臭いがスーツケース本体や中に入れていたビジネス・スーツなどに移ってしまって、どうやっても臭いが消えず、全て捨てた、という話を聞いたことがありました。このサービスのお蔭でこんな悲劇はもう起こらないのでしょう。万歳!



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2017年08月12日

ビュッケブルグ歳時記 160

周りを見渡すと


 ふと気付いたことがあります。
 この地ーー1300年頃からの歴史を持つ、君主の居城のある、田舎の小都市での私の生活にはドイツ人だけではなく外国人との接触がけっこう多いということです。見回す隣近所には、様々な国の人達が住んでいるのです。数えて見ると、お隣はポーランドからの移住者、お向かいにはつい最近引っ越してきたスペイン人家族、その向こうには、Russland-Deutschと呼ばれる、大昔にドイツからロシアへ移住した民の子孫で、大戦後、ドイツに引き上げてきた引き上げ帰国者の数軒があり、それに、これは既述のシリアとコソボからの難民フッサムさん夫婦などです。
 教えに行っている学校でも教師の数人はロシア帰国者です。トルコ人の先生も一人います。そして午後からの教育保護者の大部分はギリシャ、イタリー、トルコなどの外国人です。ただ、この職業に就いている若い年代の人達は、両親が、外国者労働力導入時代にこの地に来た人達の子孫なので、ドイツ生まれで、ドイツの学校を出ているという点が少し違っています。この人達は、一応、ドイツ語に不自由がないということです。
 

 前置きはこの辺で止め、今日はお隣のポーランド家族のことをお伝えしてみます。ご主人は35歳で、工業機械の組立が職業なので、職場が全国に渡るため、場合によっては2、3週間留守になることもあるようです。奥さんは美容師で、自己経営をしています。6歳になるアレクサンドラは、先週、小学生になりました。
 半年前に引っ越してきたのですが、とても働き者という印象を受けます。ご主人は、出張の無い時は、勤めから帰ると直ぐ庭に出て庭仕事に励むのです。えっ、又といぶかるくらい芝刈りをします。わたしが、会社での仕事の後、又働くのは大変でしょうと云うと、気分転換になる、という返事がかえってきます。 そして、前の居住者が植えたいろいろな木を、半年間でほとんど伐ってしまいました。残っているのは塀の前に並んでいる数十本のヒノキの木なのですが、これも秋には全部切伐するそうです。そしてその後には、こちらで高床畑といわれる、板で作った脚のついた台床に、土を入れたものを3台作って、野菜を栽培するとのことです。この高床畑は地上ではないので、人参や大根などの地下育ちの野菜は土の中の虫に食われることがないので、一寸羨ましくなります。
 言葉数の少ない人なのですが、とても親切で、私宅の責任の垣根刈りもいつの間にかしておいてくれるのです。昔の居住者にはなかった親切です。そして、PCや電話器などのトラブルも、あれば見てあげると云ってくれています。
 奥さんは若さに輝いている人です。ポーランドとロシアの家族では、女性が美しく着飾るのが伝統だという話は、この地では有名です。生活を上回る着飾りをするということも聞きます。お隣の奥さんは良い意味できれいに装っています。
 この間は、ポーランド製の焼きソーセージをご馳走になりました。やはりドイツのとは違って、生地に特性があるのか濃厚でしっかりした味がしました。寒い風土向けなのかもしれません。違う味を味わせてくれたことに感謝しました。


 あるポーランド人ジャーナリストの書いた本には、ポーランド人は昔からドイツの良い移住者になろうと非常な努力をして、苦労をしてきた、とあります。人前ではポーランド語も話さないような。この裏にはポーランドを差別視するドイツの眼があるように思われます。
 外国人との接触が多いということから学んだのは、差別視の非について考えさせられたことです。多くの国が居並ぶ大陸であるからこそ出来る経験から、です。



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