2013年02月

2013年02月28日

【見たり聞いたり113】 「藤山新太郎一座に同行して」5

この回で一座同行記はひとまず終わります。
初めての土地に行くと本当にいろいろ学びます。まず歴史を知っているのとそうでないとは印象がまったく違います。今回初めに行った鳥取の以西小学校
ですが筆者ですとこの小学校何と読むのかと言ったレベルです。ところが藤山新太郎師匠のレベルになるとこの土地が歴史上、重要な場所であったと語れるのです。その落差勉強しないとだめだと痛感します。先日新聞記者から作家になった方の講演を聞きましたがある大会社の社長について、人に逢わない、歴史を知らない、本を読まないと言っていました。歴史を知らないとまともに生きていけないことを今回も痛切に感じました。手妻の素晴らしさも日本を代表する邦楽の8人の皆さんとコラボすることによって何倍にも感動を与えるのであって邦楽だけでは地方の学校どこも呼んでくれないとのことです。生徒も関心ないし。先生もわからないので手を挙げない、ところが手妻と一緒の公演を見ると素晴らしい感動を体感します。文化庁の後援があって初めて可能になる手妻公演が毎年各地を回って小中学校生徒に生涯忘れない想いでを与え続けることを心からお願いします。
ここに改めて巡業公演の皆様に感謝申し上げます。


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2013年02月27日

TPP交渉参加の日米共同声明

安倍首相は、2月22日オバマ大統領と会談し「TPPに関する日米共同声明」が発表された。
首相は「聖域なき関税撤廃は前提でないことが明確になった」と胸を張っている感がある。しかし共同声明をよく読んでみると冒頭の項が重要であり、その重みが伝わってくる。

「日米両政府は、日本が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉に参加する場合には、全ての物品が交渉の対象とされること、および、日本が他の交渉参加国とともに、2011年11月12日にTPP首脳によって表明された『TPPの輪郭(アウトライン)』において示された包括的で高い水準の協定を達成していくことになることを確認する」
キーワードは「全ての物品が対象になる」、「包括的で高い水準の協定を達成」である。

なるほど次項には、「TPP交渉参加に際し、一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する」と述べられている。この表現には日本が交渉に入る可能性を整えるための最大限の努力が伺える。しかし、「全ての関税を撤廃することを前提とはしない」と云っているわけではない。入り口を潜りやすい表現にはなっているが、入ってみたら全く様子が違っていたということもありうる。
その時に冒頭の前提条件が重みを増してくる。コメも例外扱ではなく「全ての物品が対象」である、現状のようなコメの輸入禁止的な高関税は許されない「高い水準の協定」となる。
声明の最後の項に、「自動車部門や保険部門に残された懸案事項に対処し、その他の非関税措置に対処し」とある。米側はきっちりと声明の中で自国の主張点を確保している。

日本の農業問題に触れないとTPPの議論にならないが、ここでは日米共同声明を読み解くだけとしたい。声明文だけでみると米側有利の姿勢は明らかであり、これからの交渉に際しては安倍政権には、なみなみならぬ覚悟が必要である。


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2013年02月26日

【From America】「アメリカのお墓が変わってきた?」

お墓01アメリカのウインドゲイト緑です。

アメリカには様々な宗教が混在していますから、結婚式やお葬式、そしてお墓のあり方までいろいろな形があります。その中でも多くを占めるのはカトリック系のキリスト教だと思います。

カトリック系キリスト教では今まで必ず土葬と決まっていました。ところが、最近になって友人が見せてくれたパンフレットを見て、私は「これって、日本のお墓のコピーじゃないかしら?」と思ったので、ここでご紹介させて頂きます。
それは大きな公園のような場所に建てられる予定の大きな公園墓地です。カトリック系キリスト教なのにも関わらず、火葬にされた灰が入る小さな入れ物が壁にならび、中心にはマリア像があり、噴水があり、ベンチが備え付けられています。この公園墓地の予定地はネバダ州とカリフォルニア州の境辺りになるそうですが、ここに入る人を募って募金を集めている最中だそうです。

以前は必ず土葬と決められていたカトリックが、火葬でも良くなったというのをきっかけに、海や山に散骨して欲しいという希望を持つ人も多くなったそうです。しかし、散骨して形がなくなってしまうことに抵抗がある人は、この公園墓地にどうぞ、ということらしいです。

アメリカは先祖代々の墓地というものはありませんから、個人個人がお墓を用意します。夫婦や家族が同じ墓地の隣同士にスペースを用意することが多いのですが、再婚の夫婦の場合などですと夫は前妻の隣にもう既に場所が用意されていることもあり、後妻のスペースがない、など色々な問題が生じてきます。それならば散骨してもらいたい。自然に戻してもらいたい。これもまた一理ありです。しかし、環境問題などもあり、勝手に好きな場所に散骨することもできません。そんな中で生まれたこの公園墓地なのでしょうが、なんだか日本のお墓に似ていませんか?

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2013年02月25日

【明日の世界165】 「リーダーの条件」「藤山新太郎一座に同行して」4

同行するたびにいろいろ学びます。その例を、
藤山師匠は単に手妻をみせるだけではありません。ワークショップと称して公演に回る小中学校に2ヶ月ほど前に行ってレクチャーをします。
手妻のさわりをみせますが生徒さんに宿題を出します。江戸時代の結構長い口上を生徒にやってもらいますが反応が学校によって様々です。
希望者をオーディションで募集してやるにしても、希望者がほとんどいないところ、中には3、4倍の競争率を通って晴れ舞台にでる生徒様様です。
指導する先生ももいろいろあって実に熱心に指導する学校、仕方なくやるところ、その方針が見事に分かれます。選らばえた小学校1年生が見事に
大きな声で口上をのべて終わると先生も、親も涙をださんばかりにこんな機会を持たせて下さり感謝しますと、こちらも感激してしまいます。この1月のことですが中学校の代表6人が口上の練習をするところを師匠が見てくれるのですが、二人ほど上がってしまったのかうまく行きませんでした。さぞ師匠がもっとしっかりやりなさいと言うかと思いきやいいでしょう、本番頑張ってくださいと易しく言いました。十分練習したのですが師匠の前であがってしまったことを
見抜いていました、本番では見事に皆さん堂々と口上を述べましたが、リーダーのすごさを垣間見ました。


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2013年02月23日

ビュッケブルグ歳時記 55

体罰問題をめぐって その2 

もっと大きな問題は,「若い子が自殺する」ということです。日本の若人の自殺数は,世界で最も多いということです。ドイツの例は,2011年に217件です。
 日本では人に対する暴言に「死ね」ということが使われるのをよく読みます。最近では子ども達はメデイアの害を防ぐために「氏ね」という宇を使っていることも読みました。一度失したら2度と戻って来ないものが命であることを知っていたら、そう簡単に云えない罵声言葉だと思われます。ドイツにも罵倒語はたくさんありますが、「死ね」という言葉は聞いたことがありません。ここに、生命についての考え方の違いを見るように思うのです。
 この国の底にはキリスト教が流れているということは折にふれて書きましたが、人々の死に対する考え方の違いがここにに見えるような気がします。この流れは最近どんどん薄くはなっているのですが、しかし「生命」に対する考え方には神聖なものがあり、生命の後に来る死を云々することはタブーとされている感じです。
 十誡の中の「殺すなかれ」は、他人を殺すなかれ、だけではなく、自分の生命をも殺してなならぬという意味が含まれているそうです。そこから20世紀までは自殺は罪業と見なされ、普通の墓地での埋葬は禁止されていたのです。その後、この考えは改善され、現在はこのような禁令はありません。しかし、依然として,特にカトリック派では今でも自殺は罪と考えられているようです。

 これに反して、日本では自殺はある種の「名誉の不文律」的見方があるのではないかという意見を聞きました。侍物語に出て来る切腹や、2次世界大戦で有名になった特攻隊の自主死に、この国の人々はエキゾチックな「名誉を守る作法」を見ているのです。
 この考え方から誘発されるのは、体罰が軍隊によって啓蒙され、いまでも訓練の道具として行われていると同じように、自殺ということと生命の価値との繋がりが戦後もちっとも変わっていないのではという疑問です。昔や戦争時代に考えられていた命の扱い方は、民主国家のそれとは違っているはずです。どのように自分の命を扱うかという自由を履き替えない教育が行われるべきだと思います。前に書きましたが、一度失うと決して帰って来ないものが命であると、命の尊さを子ども達に教えるべきです。どのような適切な方法があるかを考えて、一刻も早く学校教育に取り入れることが、体罰問題を底から解決する方法に思われます。
 このような教育が行き渡ったときには、体罰やいじめに遭った時に、それに反抗する声が子ども達から出るようになると思います。その声が少しずつ広まることで、体罰も自殺も少なくなる社会になると思います。そしてこのような市民の動きが大きくなった時に、日本の民衆主義が市民の声を反映した真の民主主義になったと云えると思うのです。


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