2010年09月

2010年09月30日

【青木塾便り】その68「MS内藤」その2

『【明日の世界】No.62「MS内藤」』でMS内藤のおかげで日本から来たM社にUCバークレーのノーベル賞クラスの教授をご紹介できたことをお話しましたが今日はその続きを。
 あるときシリコンバレーで開催された新素材のセミナーに日本から多数の参加者がありました。その一人が基調講演をされ終わった時Q&Aが始まりました。講演は用意した英文を読めばよいのですが、質疑応答はそうはいきません。専門家の質問に最初こそ何とか答えていましたそのうち段々複雑になって講演者も英語での返答に限界が来て会場はなんとなくおかしな雰囲気になってきました。とうとう限界に来た折会場にいたMS内藤がたまらなくなって演台に上がって助け舟を出しました。エレクトロニクスと新素材のバックがあって、英語はネイティブしかも美人とあって会場は彼女は何者だとなりました。講演が終わった後、彼女に日本企業からラブコールが殺到したようですが彼女にその気がなくて、その後アメリカ人の研究者と結婚されたとお聞きしました。彼女のお人柄が講演会場でもにじみ出たことでしょう。


kiyoshi_kawabe at 00:00|この記事のみを表示コメント(0)

2010年09月29日

Yoshiro Suzuki 展・淡々と、、、その奥に秘められたもの

t008鈴木さんの個展を企画した。あえていえば彼は無名の画家である。
でも美術大学は出ていても絵を描くことを辞めてしまう人が多いなか彼はずーっと描きつづけている。
 4人兄弟の末っ子であり、生まれたのは新橋だったという。祖母が亡くなってから一家は洗足池の近くに引越し父親が亡くなったあと他の兄弟は独立し家を出て彼だけが今は86歳になられる母親と住んで絵を描いている。
 鈴木さんはとても大柄でヌーボーとしていて話し方も他とはテンポがちがうので絵描き特有の神経質さは感じられない。自ら「僕はスローライフ」なのです、、という。
どんな作品なのか興味があって初めて鈴木さんのアトリエを訪ねて驚いた。
 掃除の行き届かないスタジオのあちこちに埃を被った作品が沢山ありそれらの作品のなかにすばらしく魅力的なものが何点もあったのだ。私が選んだ作品はまだ発表したことがないという。そんな経過があって展覧会が実現することになった。
 私の最近の希望はもっと多くの人たちが気軽に画廊に立ち寄ってくれたらいいとおもうことである。そして気軽に画家との会話も楽しんでほしい。
たて009t011


aokijuku at 00:46|この記事のみを表示コメント(2)

2010年09月28日

【From America】「サソリが出た!」

Landscapeアメリカのウインドゲイト緑です。

日本は実に安全な国だと改めて感じる出来事がありました。それは「治安」と言う意味ではなく、日本の国土や自然が日本人にもたらす安全のことです。

日本の皆さんはサソリを見たことがありますか? 多分、動物園などでガラスの器に入っているものを恐々と見る程度しか、サソリにお目にかかることは無いでしょう。サソリは猛毒を持っているので「刺されたら死ぬ」と言う恐怖から、ガラス越しに見るのさえもちょっと怖い感じがしますね。

そのサソリの赤ちゃんが我が家にやってきました!
ラスベガスといえば砂漠の真ん中に人工的に作られた街です。人間が侵入してくる前には、がらがら蛇やサソリが我が物顔で砂漠のあちこちに巣を作って住んでいたことでしょう。しかし、突然人間がやってきて自分たちの住処を奪われ、遠くに追いやられることになったわけですから、あちらにしては非常に迷惑なことだったでしょう。

しかし、後から来たとは言うものの人間としては安全で快適な住まいを確保するために、様々な工夫を凝らして、家の外から中から殺虫剤を撒いてこれらの危険な生き物からなんとか身を守ろうとするわけです。一方、蛇やサソリにしてみればエアコンの効いた涼しい場所、水がある場所を探して生き延びようと、こちらも身を守るために必死の努力をするのです。このような人間と先住の生き物との戦い(?)がラスベガスの住宅街で毎日繰り返されていると言っても過言ではないでしょう。

毎月一回の殺虫剤の散布を常としていましたが、今年の夏はしばらく日本に行っていたために殺虫剤の散布がおろそかになっていました。アメリカの自宅に戻って2日目、少し涼しくなったので外の空気を入れようと窓を開けて網戸にしました。すると網戸の水はけ部分から、なんとサソリの赤ちゃんが侵入して来たのです!
その大きさは2センチ足らずですが、大人顔負けの毒のある尾を丸めてしっかりと上に持ち上げていましたので、見間違うはずはありません。さあ、大変! 我が家のあちこちに殺虫剤の大散布が始まりました。

刺されなくて良かった! 命拾いをした。 と胸を撫で下ろしましたが、カジノ・ホテルやきらきらするネオンの華やかさとは別のこんな部分もラスベガスにはあることを覚えておいていただきたいと思います。でも不必要に恐れることはありません。ホテルは万全の対策をしていますから、観光でラスベガスに来てサソリに出会うことは先ず無いでしょうからご安心ください。

さて、日本には命に関わるような危険な昆虫や動物が居るかしら? と考えたとき「マムシ」くらいしか頭に思い浮かびません。日本は安全で素敵な国だと改めて感じました。


midori_windgate at 00:00|この記事のみを表示コメント(0)

2010年09月27日

【明日の世界】No.39「井上四郎元アジア開発銀行総裁」

新聞によると平成22年7月11日井上四郎さんが肺炎で95歳で亡くなられたとありました。アジア開発銀行総裁をやめられたあと山一証券顧問をなされていて小生の所属した国際部にも関係していましたので、その時のお話をさせてください。
 あるとき井上さんはオーストリアからマニラに入りアジア開発銀行の総会に出席することになり、小生は奥様のかばん持ちで成田からマニラまで同行することになりました。奥様はアルゼンチン生まれの今で言う帰国子女でスペイン語、英語がネーティブでした。早めに我々がマニラ空港についたので2、3時間空港の特別室で待つことになりました。その間銀行関係の要人が次々奥様に挨拶されるのですが皆さん総裁に大変お世話になりましたと畏敬の念でお話をしていました。どの方も総裁の在職当時を懐かしむ様子を見ていますと総裁のお人柄が手に取るように伝わってきました。こんな話もあります。当時のフイリッピンの大蔵大臣がアメリカの帰りに日本に寄たのですが、時間がなくて政府要人には合わずに当時広尾にあった井上さんの私邸に寄ったそうです。
 国際金融部が徹夜で作成したプロポーザルをみて一番苦労したポイントをズバリさしてここ苦労しましたがうまく出来ましたねと言われます。こんな調子ですから誰でも尊敬してしまいます。
 城山三郎の「男子の本懐」は井上四郎さんのご尊父井上準之助の物語ですが、文中幼い四郎さんが箱根の別荘で広い庭の電球を数えるところが出て来ますが、城山さんがちゃんと取材したそうです。
ご冥福をお祈り申し上げます。


kiyoshi_kawabe at 00:00|この記事のみを表示コメント(0)

2010年09月26日

日本は17%

 今日も朝から中国と日本の今後の関係を懸念するニュースでにぎわっています。
日本は弱腰外交だの、実質的敗北だの意見は様々あるようですが・・・。

領有権の問題は基本的には当事者同士の合意だそうだが、では国連とはこういうとき何をしてくれるのでしょう?

ちなみに、国連分担金は以下の通りだそうです。(2008年)

日本   17%
中国    3%(戦勝国扱いなので、常任理事国)
ドイツ   9%
イタリア  5%
アメリカ 22%
イギリス  6%
フランス  6%



aokijuku at 08:49|この記事のみを表示コメント(0)
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