2010年04月

2010年04月25日

山本五十六氏の名言

先日、コンサルタント先の会社で話をさせていただく際に、久しぶりの山本五十六氏の言葉を引用させていただきました。いつもは、1節目だけ引用しますが今回は3節目まで引用して話をする必要があり3節全て紹介したところ、3節目までを聞いたことのある人がほとんどいないのに驚きました。有名な一節だけでは管理者としては要領だけを覚えさせる気がして、私は3節揃って名言だと思っていましたので、今一度ご紹介させていただきます。

やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ

話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず

やっている 姿を感謝で 見守って 信頼せねば 人は実らず


aokijuku at 12:38|この記事のみを表示コメント(0)

2010年04月24日

父の命日に思う

4月22日は父の命日でした。早いものでもう3年たちました。おかげさまで青木塾もますます盛況で、6月には100回目を迎えます。父の他界後も何年かぶりにご出席いただいたり、毎回新しい方も参加いただける気さくな異種異業種交流会として続けて行ければと思っております。

先日、知人に誘われてある異業種交流会に参加しましたが、名刺交換した方半数以上が資産運用関係のかたで、翌日から勧誘電話が掛かりしかも知人の紹介であったのが災いし、無碍に断ることもできず閉口しました。河辺さんと父が目指した「勧誘目的の会」とは一線を引く理想が、芸術家の方から学生の方まで参加いただける会へとなったと思っています。

河辺さんなくしては成り立たない青木塾ではありますが、父なりの功績も素直に評価し、より多くの出会いをコーディネイトできるよう努力して参りたい思います。
今後とも何とぞよろしくお願いいたします。


aokijuku at 00:05|この記事のみを表示コメント(0)

2010年04月23日

ネイル★

真穂としみここ2年近く、毎月ネイルをしています。
ネイルといっても、マニキュアではなく、”ジェルネイル”。5i3

ジェルネイルとは、マニキュアと同じような爪の化粧法で、水あめ状のジェル(合成樹脂)を爪に塗り、それにUVライトを当てて固める人工爪です。
従来のマニキュアと違ってシンナー臭がしないほか、これまで以上に透明感が高くピカピカに仕上がるのが特徴です。

大体1回つければ、1ヶ月は、何もしなくてOKなので、とても楽チンです。かお##

最近は、週刊誌などで、『UVライトが皮膚がんになるのでは?』といったこともいわれており、少しお休みしようかな〜と考えています。


蝶々今までの私のコレクションです!

ハート雪の結晶
091226_013858

ハートななめフレンチ
100306_011848

ハートホログラム縦ライン
100317_175927

ハートフレンチ
090930_232334

toshimi_maho at 21:21|この記事のみを表示コメント(0)

2010年04月22日

【青木塾便り】No.45 「ホワイトエレファント」

元同僚古川(仮名)さんから聞いたお話です。
ニューヨークにいるとき日本人が多く住むニュージャージー州フォートリーの古川さんの家の近くにF社に勤務するK高校の同窓生が転勤してきました。K高校は今話題の鳩山さん、小沢さんが出た名門高校ですが古川さんは同期の開校以来の秀才渡辺(仮名)さんがF社に入社したことを思い出して、渡辺さんご存知ですか、元気にしていますかと聞きました。渡辺さんは高校ではもちろんのこと全国模擬試験でもいつもトップで、同期生にとってはまさにまぶしいばかりの人でした。T大の化学科を出てF社に入社した事だけは知っていました。
近所に引っ越してきた彼は言いました。ハイ、知っていますよ、渡辺さんはちょっと言いにくいのですが我社ではホワイトエレファントの状態です。緊急にドイツ語、フランス語の翻訳を御願いすると直ちにやってくれますが、プロジェクトチームに入ってある開発を進めると、例えば工業高校出身の社員は失敗を恐れずに、がむしゃらに進むが、超秀才は失敗を恐れてまずリスクはとりませんので結果的にプロジェクトは成功しません。そのような経過をたどった結果今は資料課に配属されているとのことです。ゼミの先生の手前いつまでも資料課に配属させるのが良いのか人事課は頭が痛いとのことです。

kiyoshi_kawabe at 00:00|この記事のみを表示コメント(0)

2010年04月21日

ロバート、クラウダーさんのこと;その2

滅び行く日本の鳥・屏風集 008第二のラフカデイオハーンとしたわれ,五校での生活は暖かな同僚や好奇心旺盛で勤勉な学生達に囲まれ皆に、親しまれた教員生活も戦争勃発を境にして暗転した。刑務所の独房から各地の収容所を点々とさせられた捕虜生活の後交換船で帰国したが日本と日本人に愛情があつた彼にとってこのことはどれほどの悲しみでありショツクだったことだろう。
1946年に帰国しロスアンジェルスの地でインテリア会社を設立し苦労されたが時を経てやがて事業は軌道にのり成功した。
エリザベス、テーラーや後に大統領になったレーガンなど多くの有名人が顧客となった。日本でいけばなや日本画を学んだことなどを生かし日本風のインテリ、特に屏風で顧客の豪邸をずいぶん飾り喜ばれたという。
事業がうまくいくようになってそれからは経営からは手を引き人にまかせデザインしたり絵を画くことに専念できるようになったという。

美しい日本の面影を胸に秘めて、

 クラウダーさんはそれ以後日本の地を踏んではいない。
地方都市が大きな変貌を遂げている今日、クラウダーさんの脳裏には「古くて美しい日本」がそのまま残っている。苔むした神社、そぼ降る雨の中を傘をさして歩く着物の女性、川の渡し船と船頭、祭り、ちょうちんの明かり,制服制帽に高下駄の学生たち。人びとは貧しく教育もなかったけれどもこころやさしく親切だった熊本の商店の人達、学生たちは西洋文明にあこがれ関心が強く知識欲が旺盛であつたという。
 「私の人生を素晴らしいものにしてくれた日本,前世にここに住んでいたに違いないという気持ちにとらわれたことがある日本、このまま自分の記憶にある日本に想いを馳せたい」という。
 あの戦争が始まる前の熊本で日本にこのまま住みつずけたい、と思つたほどのクラウダーさんが21世紀の現在の日本を見たとき、彼はどのように感じるのだろうか。

クラウダー展実現にむかって滅び行く日本の鳥・屏風集 002
永い間消息のわからなかつたクラウダーさんの消息がわかり、五高卒業生の人たちとの交流が始まった。その中の一人が西日本新聞社の文化部の方でありその方が中心になって、クラウダー氏が制作中のトキなど絶滅の危機にある鳥たちをテーマにした屏風絵展をぜひ日本で開催したいと努力しておられた。私も協力したいと考え、美術関系の人をビバリーヒルズのクラウダー宅まで案内したりしたがこのプロジェクトは実現しなかった。
 なにしろこの手の展覧会を企画するにはお金がかかりその算段ができず挫折し少しはこのために私も動いたのでクラウダーさんに申し訳なくいまでも自身の力不足を悔やんでいる。世の中には使い切れないほどのお金をお持ちの方が沢山おられるはずなのにこのようなとき相談にのって下さる人を私は残念だが知らない。今後の課題である。


aokijuku at 00:05|この記事のみを表示コメント(3)
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