2010年07月18日
アイスの表示
先般は、飲料の甘さの表示について調べましたが今回はアイスクリームに関して調べてみました。
河辺さんが良く打ち合わせ時に買ってきてくださる高級アイスクリームに慣れていた私ですが、昨日自分で買って食べたアイスは非常に味気なく、良く見るとパッケージには「ラクトアイス」と書かれていました。
私たちが普段「アイス」と呼んでいるものは正確には「アイスクリーム類」という名称をさすそうです。そしてこれらは「乳製品を主原料として凍結させたもの」と食品衛生法で定義されていました。さらに、乳製品の含まれる割合によって大きく3種類に分けれています。
基準は乳成分が含まれる割合です。
「アイスクリーム」は乳固形分が15.0%以上(乳脂肪分が8.0%以上含まれているもの。
「アイスミルク」 は乳固形分が10.0%以上(乳脂肪分が3.0%以上含まれているもの。
「ラクトアイス」 は乳固形分が 3.0%以上入ってるもの。
と呼び、乳固形分が3.0%未満のものは「氷果」と呼ぶことになっているそうです。
購入の際には表示をご覧になって、濃い味が良いかさっぱり味が良いかの参考にしてはいかがでしょうか?
河辺さんが良く打ち合わせ時に買ってきてくださる高級アイスクリームに慣れていた私ですが、昨日自分で買って食べたアイスは非常に味気なく、良く見るとパッケージには「ラクトアイス」と書かれていました。
私たちが普段「アイス」と呼んでいるものは正確には「アイスクリーム類」という名称をさすそうです。そしてこれらは「乳製品を主原料として凍結させたもの」と食品衛生法で定義されていました。さらに、乳製品の含まれる割合によって大きく3種類に分けれています。
基準は乳成分が含まれる割合です。
「アイスクリーム」は乳固形分が15.0%以上(乳脂肪分が8.0%以上含まれているもの。
「アイスミルク」 は乳固形分が10.0%以上(乳脂肪分が3.0%以上含まれているもの。
「ラクトアイス」 は乳固形分が 3.0%以上入ってるもの。
と呼び、乳固形分が3.0%未満のものは「氷果」と呼ぶことになっているそうです。
購入の際には表示をご覧になって、濃い味が良いかさっぱり味が良いかの参考にしてはいかがでしょうか?
2010年07月17日
我が家のアイドル
こんにちは!アイエスデンタルクリニック院長 石田智子です。
小さい頃から家にはいつも可愛いわんこがいました。
雑種からはじまり、
ポメラニアン → シーズー →ミ ニチュアダックス→ シーズー
と、みんな賢い子ばかり。
トイレのしつけはもちろんのこと、”ハウス”と言えば、どんなに遊びたくてもすぐおうちに入りますし、写真を撮ろうとすると自分からカメラ目線でポージング♪
わんこを飼っているというよりは、”同居人”と思うくらい、家や家族に馴染んだ子達でした。
実家を出て一人暮らしを始めてからは、大好きなわんことの共同生活は叶わず、せいぜい近所のわんこと仲良しになってもらうくらいのことで我慢しておりました。
しかし、昨年引っ越した家では”小動物の飼育可”
1年近く悩んだ挙句、とうとう飼ってしまいました!
色々とブリーダーさんを検索して、一番ご親切にアドバイスを下さった方から、”抜け毛が無くて、とっても賢いです♪”とお墨付きの トイプードルちゃんを購入。
お得意の占いで、わんこの生年月日と字画から”ルンルン”ちゃんと命名しました (親ばかというかなんと言うか…)。
まだ生後4か月のパピーではありますが、とっても可愛くて賢い子です。
これからの彼の成長ぶりを、またお伝えしていきたいと思っております。
2010年07月16日
鎌倉の大仏様
鎌倉に来たら、やはり大仏を見ないわけにはいきません。
高徳院の大仏は、あまりにも有名ですよね
威風堂々とした佇まい。
近くで見ると、やはり迫力があります
20円を払って、大仏の中へ。
なんだかよくわからないかもしれませんが、
これが大仏様の中の様子。
下から上の丸い穴(頭の部分)に向かって撮りました。
この日は、鎌倉大仏由来記をもらいましたので、一部、ご紹介します。
『この大仏像は阿弥陀仏である。
源頼朝の侍女であったといわれる稲多野局が発起し、
僧浄光が歓進(資金集め)して造った。
零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して作ったものではない。初めは木造で暦仁元年(1238)に着工し、6年間で完成したが、
宝治元年(1247)に大風で倒れたので、再び資金を集め、
建長4年(1252)に至って、現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿を作って安置した』
ちなみに、大仏のそばには、巨大なわらじが奉納されています。
大きさが2mあるわらじで、大仏の足に合わせたものだそうです。
このわらじは、いつも座りっぱなしの大仏様に「わらじをはいて散歩に出掛けてください」と、茨城の、ある子供会が奉納したものだそうですよ
高徳院の大仏は、あまりにも有名ですよね
威風堂々とした佇まい。
近くで見ると、やはり迫力があります
20円を払って、大仏の中へ。
なんだかよくわからないかもしれませんが、
これが大仏様の中の様子。
下から上の丸い穴(頭の部分)に向かって撮りました。
この日は、鎌倉大仏由来記をもらいましたので、一部、ご紹介します。
『この大仏像は阿弥陀仏である。
源頼朝の侍女であったといわれる稲多野局が発起し、
僧浄光が歓進(資金集め)して造った。
零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して作ったものではない。初めは木造で暦仁元年(1238)に着工し、6年間で完成したが、
宝治元年(1247)に大風で倒れたので、再び資金を集め、
建長4年(1252)に至って、現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿を作って安置した』
ちなみに、大仏のそばには、巨大なわらじが奉納されています。
大きさが2mあるわらじで、大仏の足に合わせたものだそうです。
このわらじは、いつも座りっぱなしの大仏様に「わらじをはいて散歩に出掛けてください」と、茨城の、ある子供会が奉納したものだそうですよ
2010年07月15日
【青木塾便り】No.57
6月初旬に行われた水泳ジャパンオープンで背泳ぎの伊藤華英が200メートル自由形で優勝しましたがタイムは1分59秒70でした。
そこで思い出すのですがロスアンゼルスにいる時紹介されてチャーミングなシンシア・ウッドヘッドさんに会いました。名刺にはマーケティング博士〈UCLA取得)とありました。日本に行ったことあるのかと聞きましたら、ビジネスではないと微妙な返事が返ってきましたので、何で行ったのかの質問に水泳で行ったとのことでした。聞けば1978年アメリカ女性で初めて2分を切って1分58秒53の世界新記録を出して、翌年日本で又世界新記録を出したとのことです。
世界新記録を出すくらいですから毎日猛練習があったことでしょうが学業も両立させるところがアメリカ教育の素晴らしさで水泳オンリーにならないところが大したものです。お話していてもぐいぐい引きつけ、あるときその件についていい人を紹介しようとなって彼女の車について10キロぐらい離れたところに行くことになりました。日本人の感覚ではゆっくり走って後ろからついてくるのを気にしながらとなるところ、さっさと行ってしまい幸い住所を聞いていましたのでやっとたどり着きましたが、ああ来たかと言われここでも異文化の違いを知りました。
そこで思い出すのですがロスアンゼルスにいる時紹介されてチャーミングなシンシア・ウッドヘッドさんに会いました。名刺にはマーケティング博士〈UCLA取得)とありました。日本に行ったことあるのかと聞きましたら、ビジネスではないと微妙な返事が返ってきましたので、何で行ったのかの質問に水泳で行ったとのことでした。聞けば1978年アメリカ女性で初めて2分を切って1分58秒53の世界新記録を出して、翌年日本で又世界新記録を出したとのことです。
世界新記録を出すくらいですから毎日猛練習があったことでしょうが学業も両立させるところがアメリカ教育の素晴らしさで水泳オンリーにならないところが大したものです。お話していてもぐいぐい引きつけ、あるときその件についていい人を紹介しようとなって彼女の車について10キロぐらい離れたところに行くことになりました。日本人の感覚ではゆっくり走って後ろからついてくるのを気にしながらとなるところ、さっさと行ってしまい幸い住所を聞いていましたのでやっとたどり着きましたが、ああ来たかと言われここでも異文化の違いを知りました。
2010年07月14日
MIYA SHOJIのオーナー、花房さん
ニューヨークでこれほどユニークな仕事をしている人を私は知らない、といっても私の知るジャンルの世界という意味においてだが。SHOJIというのは商事会社の意味ではなく「障子」だと解釈しているのだが聞いてたしかめてみたわけではない。
チェルシー地区と言えばここ10年以上前から以前倉庫街だったのが画廊街に生まれ変わりソホー地区にあった画廊の多くがここに移転し有名画廊もほとんどが結集した地域である。
花房さんの話によれば1950年代の初め会社を設立したということだが私が彼のところを知ってからはすでにチェルシーにショールームがあった。最近17丁目から26丁目にレントが上がったということで移転されたが相変わらずその店内の雰囲気は美しい。
5メートル以上、もっと大きなテーブル、それは何百年も深い森の中で生きてきた木から作られた物、加工は最小限度におさえられて木そのものである。木をつなぐのに金属を使わず日本の昔ながらの木の差し込みで支える方法がとられている。
厳しい自然にさらされて磨かれた年輪が精霊がそこに潜んでいるように思われるのである。
ショールームに一歩足を踏み入れた人たちは必ずといっていいほどまた再び帰ってくる。美しく神秘的なテーブルを見るためにそしてオーナーの花房さんの話を聞くために。
花房さんが語る日本文化の話は当を得ていてテーブルを売ろうなどとはいつさい言わないのだけれど大きな高価なテーブルほど欲しいといって求める人がいるようである。
アメリカは広大な土地、自然も様々である。狭い日本に育ち,住んできた者には想像を超えた世界がある。自家用ジェツトを持ち飛び回っている人、高価な美術品を買う人もいる。花房さんのところで作られたテーブルをどのような人がどのような形で使っているのかいつの日か見てみたい。
浅野さんは現在渡航中のため、通信事情により写真が間に合いませんでした。
帰国しましたらすばらしい写真を掲載いただけると思います。(事務局)
チェルシー地区と言えばここ10年以上前から以前倉庫街だったのが画廊街に生まれ変わりソホー地区にあった画廊の多くがここに移転し有名画廊もほとんどが結集した地域である。
花房さんの話によれば1950年代の初め会社を設立したということだが私が彼のところを知ってからはすでにチェルシーにショールームがあった。最近17丁目から26丁目にレントが上がったということで移転されたが相変わらずその店内の雰囲気は美しい。
5メートル以上、もっと大きなテーブル、それは何百年も深い森の中で生きてきた木から作られた物、加工は最小限度におさえられて木そのものである。木をつなぐのに金属を使わず日本の昔ながらの木の差し込みで支える方法がとられている。
厳しい自然にさらされて磨かれた年輪が精霊がそこに潜んでいるように思われるのである。
ショールームに一歩足を踏み入れた人たちは必ずといっていいほどまた再び帰ってくる。美しく神秘的なテーブルを見るためにそしてオーナーの花房さんの話を聞くために。
花房さんが語る日本文化の話は当を得ていてテーブルを売ろうなどとはいつさい言わないのだけれど大きな高価なテーブルほど欲しいといって求める人がいるようである。
アメリカは広大な土地、自然も様々である。狭い日本に育ち,住んできた者には想像を超えた世界がある。自家用ジェツトを持ち飛び回っている人、高価な美術品を買う人もいる。花房さんのところで作られたテーブルをどのような人がどのような形で使っているのかいつの日か見てみたい。
浅野さんは現在渡航中のため、通信事情により写真が間に合いませんでした。
帰国しましたらすばらしい写真を掲載いただけると思います。(事務局)