2010年09月26日
2010年09月25日
防災訓練
23日の木曜日には、町内会の防災訓練がありました。正直いって、役員をしているので仕方なく参加しなければいけない行事であり、今にも雨が降りそうな空に向かって降るなら早く降って欲しい(小学校のグラウンドで行われるもので、雨が降ると体育館で短縮プログラムで行うとのことでした)と思ってしまったほどです。
約300人が参加し、地元の消防署の方や水道局の方も来られて、消火器での消火作業、AEDやチェーンソーの使い方などを教わりました。
正直十何年ぶりの防災訓練参加でしたが、とても為になりました。特に感心したのは
・火災の際に一番重要なのは、まず「火事だ!」と大声で叫ぶこと。
・道端で倒れている人を救助する場合、「誰か、119番してください!」とか「誰かAEDを持ってきてください!」ではダメで、「あなた、119番してください!」「あなたはAEDを持ってきてください!」とその人の目をみて、ちゃんと伝えることだそうです。誰か?では誰もやらないそうです。
なるほど・・・。
約300人が参加し、地元の消防署の方や水道局の方も来られて、消火器での消火作業、AEDやチェーンソーの使い方などを教わりました。
正直十何年ぶりの防災訓練参加でしたが、とても為になりました。特に感心したのは
・火災の際に一番重要なのは、まず「火事だ!」と大声で叫ぶこと。
・道端で倒れている人を救助する場合、「誰か、119番してください!」とか「誰かAEDを持ってきてください!」ではダメで、「あなた、119番してください!」「あなたはAEDを持ってきてください!」とその人の目をみて、ちゃんと伝えることだそうです。誰か?では誰もやらないそうです。
なるほど・・・。
2010年09月24日
2010年09月23日
【青木塾便り】No.67「失敗に学ぶ」
青木塾メンバーのTさんについて;
Tさんは山一證券に勤務する時成績、語学ともに優秀でUCバークレーのビジネススクールに留学しました。丁度そのとき小生はベンチャーキャピタルの山一ユニベンアメリカの支店長でした。シリコンバレーの成長期で朝日新聞の記者も東京から出張し小生も取材先を案内したものです。
当時シリコンバレーのベンチャー企業も日本と手を結びたがっていました。そこに山一ユニベンの活躍する機会がありましたので小生も月一回ぐらいLAから出張しました。
あるときTさんからシリコンバレーに出張する時レンタカーの運転は私にやらせてください。訪問先から普段は聞けない貴重話が聞けるのでとなりました。UCバークレー大学の講義より実学のほうが勉強になると判断したのでしょう。それからかなりの会社を同行訪問しました。そしてビジネススクールの卒業論文は「失敗に学ぶ経営」としましたと報告がありました。
しばらくしたら「失敗に学ぶ経営」はやめましたと報告してきました。理由を聞くと小生と同行した時は正直に失敗のケースを話してくれるので、これは面白いとなったのですがさて一人で企業訪問すると誰も失敗の歴史を話してくれないので卒論にならない。小生が訪問の時は日本企業と組む気持ちがあるので、失敗も話したのでしょうが、卒論にしたいとなると話は別でしょうか。
Tさんは帰国後、退社してブックオフのチェーン店を開業して現在5件を有しています。そのうち4件が売り上げベストテンに入る優秀店で開業希望者はかなら見学するコ−スになっているそうです。留学時代の勉強が役立っていることでしょう。
成功とは99%の失敗に支えられた1%である〈私の手が語る・本田宗一郎)と言っていますね。
Tさんはその後ブックオフ以外にもあったらいいソフトを開発して確実に業績をのばしています。
Tさんは山一證券に勤務する時成績、語学ともに優秀でUCバークレーのビジネススクールに留学しました。丁度そのとき小生はベンチャーキャピタルの山一ユニベンアメリカの支店長でした。シリコンバレーの成長期で朝日新聞の記者も東京から出張し小生も取材先を案内したものです。
当時シリコンバレーのベンチャー企業も日本と手を結びたがっていました。そこに山一ユニベンの活躍する機会がありましたので小生も月一回ぐらいLAから出張しました。
あるときTさんからシリコンバレーに出張する時レンタカーの運転は私にやらせてください。訪問先から普段は聞けない貴重話が聞けるのでとなりました。UCバークレー大学の講義より実学のほうが勉強になると判断したのでしょう。それからかなりの会社を同行訪問しました。そしてビジネススクールの卒業論文は「失敗に学ぶ経営」としましたと報告がありました。
しばらくしたら「失敗に学ぶ経営」はやめましたと報告してきました。理由を聞くと小生と同行した時は正直に失敗のケースを話してくれるので、これは面白いとなったのですがさて一人で企業訪問すると誰も失敗の歴史を話してくれないので卒論にならない。小生が訪問の時は日本企業と組む気持ちがあるので、失敗も話したのでしょうが、卒論にしたいとなると話は別でしょうか。
Tさんは帰国後、退社してブックオフのチェーン店を開業して現在5件を有しています。そのうち4件が売り上げベストテンに入る優秀店で開業希望者はかなら見学するコ−スになっているそうです。留学時代の勉強が役立っていることでしょう。
成功とは99%の失敗に支えられた1%である〈私の手が語る・本田宗一郎)と言っていますね。
Tさんはその後ブックオフ以外にもあったらいいソフトを開発して確実に業績をのばしています。
2010年09月22日
荒木 経惟という写真家
人びとは彼のことを「アラーキー」と呼んでいる。トレードマークのヘアースタイルに丸い目がね、そしてヒゲ、ひとめで彼だとわかる。いまや有名な写真家でありながらとても気さくな人との印象がある。また、この人の出版書籍の多さは他に追従を許さず500冊を超えているにちがいない。
日本人写真家の写真集は世界中でコレクシオンをする人たちがいて美術市場でも写真は注目されている。日本国内ではその波がくるのが遅かったがヨーロツパやアメリカではすでに昔から写真集の市場ができていて有名オークシオンでも競って買うマニアがいる。
アラーキーは電通時代に知り合った陽子さんと1971年に結婚し、新婚旅行を撮った「センチメンタルな旅」という写真集を1000部自費出版したが当時1000円で売られたという。現在では幻の写真集としてコレクターたちの垂涎の的になっている。
私は彼の花の写真にとても興味がある。毒々しく、濃厚でときには卑猥な感じがするものもあるが彼は花を撮ることによって生と死を表現しているにちがいない。
ミスターグプタは私がニューヨークで何年かアパートを借りていたとき保証人になってくれた若い知人で当時銀行に勤務していた。チェルシーのアパートを売りいつの間にかプリンストンに大きな家を買い住むようになった。彼のコレクシオンは膨大な写真集だがアラーキーのものが300冊余もありアラーキーのことは何でもくわしかった。
日本人写真家の写真集は世界中でコレクシオンをする人たちがいて美術市場でも写真は注目されている。日本国内ではその波がくるのが遅かったがヨーロツパやアメリカではすでに昔から写真集の市場ができていて有名オークシオンでも競って買うマニアがいる。
アラーキーは電通時代に知り合った陽子さんと1971年に結婚し、新婚旅行を撮った「センチメンタルな旅」という写真集を1000部自費出版したが当時1000円で売られたという。現在では幻の写真集としてコレクターたちの垂涎の的になっている。
私は彼の花の写真にとても興味がある。毒々しく、濃厚でときには卑猥な感じがするものもあるが彼は花を撮ることによって生と死を表現しているにちがいない。
ミスターグプタは私がニューヨークで何年かアパートを借りていたとき保証人になってくれた若い知人で当時銀行に勤務していた。チェルシーのアパートを売りいつの間にかプリンストンに大きな家を買い住むようになった。彼のコレクシオンは膨大な写真集だがアラーキーのものが300冊余もありアラーキーのことは何でもくわしかった。