2010年02月12日

バレンタインデー

真穂としみ日曜日はバレンタインデーですね。

ヨーロッパではこの日を『愛の日』として、花やケーキ、カードなどを贈る風習が生まれました。この風習をビジネスに上手として活用したのが、メリーチョコレート。昭和33年に新宿・伊勢丹で行われたチョコレートセールが始まりだといわれています。当時、3日間で売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけだったそうです。

100212_211322今年は早くも母から夫にチョコレートが贈られてきました。
白金台にあるチョコレート専門店『ショコラティエ・エリカ』。
ここのチョコレートは、見た目の上品さとほんのり甘い味が大人のお菓子と感じさせてくれるチョコレートです。いつも季節を映す数十種類の手作りチョコレートがショーケースを飾っている人気のお店。特にこの時期は連日にぎわっています。
贈り物にもお勧めですよ(^0^)/

まだチョコレートを買っていないという女性の皆さん、よろしければ足を運んでみてください。






toshimi_maho at 22:25|この記事のみを表示コメント(0)

2010年02月11日

【青木塾便り】No.35「山元雄二郎博士」その12

「幻の大日本ゼロックス」
大日本印刷の初代ニューヨーク支店長Aさんからお聞きしたお話です。
今でこそ売り上げ1兆円を越す超優良企業富士ゼロックスですが、ゼロックスが初めて日本進出を試みた時まず大日本印刷に話を持って行ったそうです。当時のK社長は重役会議にかけたところ全員反対です。コピー機が出来たら印刷産業がなくなってしまう、ライバルを育てるようなことはまったくナンセンスだと断ったそうです。ゼロックスは次に凸版印刷に話を持って行きましたら、大日本印刷が断ったのだからうちも当然お断りとあっさりNOとなりました。結局富士フィルムと組んで1962年2月に富士ゼロックスが誕生しました。
初代ニューヨーク支店長Aさんが赴任する時K社長に食事に呼ばれしみじみ言われたそうです。
ゼロックスから声がかかった時重役会議でNOとなったが自分がほんとにやりたいのならGOとなりえたが、やはり重役と同じように印刷産業がなくなってしまうことを恐れた。「A君、ニューヨークに行ったら細かい報告はいいよ、大きな流れをしっかりと把握してそれをレポートしてくれたまえ、期待しているよ」
その後のAさんの活躍は目を見張るものがあったと聞いております。
次回はカルテックの教授で湯川博士がノーベル物理学賞を受賞した時同時に受賞されたファイマン博士についてお話しましょう。

kiyoshi_kawabe at 00:00|この記事のみを表示コメント(0)

2010年02月10日

幻の画家、阿部合成

abe01今、阿部合成という画家の名前を知っておられる方たちがどれほどおられるでしょうか。ほとんど忘れ去られた阿部合成という画家に再び光があたることを願い・・・。
1点の作品に出会ったことにより、通算8回メキシコに足を運んだ。私の冒険心か、探究心のなせる業か、やむにやまれない気持ちで今まで行くはずのなかつた未知の世界に足を運ぶこととなった
その生い立ち
 阿部合成は北辺の画家である。青森県津軽郡浪岡村「今は浪岡町」の浪岡八幡宮の代々宮司の家に生まれた。父は当時衆議院議員であり、のちに合成が7歳のとき青森市長となり就任とともに青森市に移り住んだ。しかし、合成12歳のとき愛情深くやさしかつた母が亡くなり、それ以降の合成の精神に少なからぬ落胆を与え悲しみが癒えなかったという。abe03
 青森中学で太宰 治と同級生であり同人雑誌をつくるような早熟な青年であつた。太宰との交流は太宰の死後まで続く。京都絵画専門学校で日本画を学び卒業後一時帰郷し父の死後上京した反戦画家の烙印をおされる
 合成は日本画から洋画に転じた。京都の美術学校の同級生であつた日本画家の黒田猛氏によると、100号の大作で出征兵士を見送る人びとを描いた作品が1938年,二科展に入選したが画面からにじみでる寂寞間や緊迫感が退廃的で不快な印象を与えると指弾され、不興をかつたと聞き画壇の厚い壁に反発を覚え、その後はいつさいの公募展には出品せずアウトサイダーとして生涯を終えた。1972年死去。
 「 現在、この作品は兵庫県立美術館の所蔵となっている 」abe06
メキシコでの開花
1960,1964年と2度の個展により彼の画業は開花し、メキシコは彼に忘れていたえみしの血をよみがえらせた。合成は巨大な壁画を制作したリベラやオロスコの住むメキシコにあこがれていた私の手元に1960年8月9日の東奥日報がある。合成のメキシコでの個展を取り上げた地元の新聞のことが書かれている。"驚くべき芸術家” 人気呼ぶ合成の個展、わずか3ヶ月で300号の金屏風ほか50点制作それがいずれも素晴らしい、闘牛、火祭り、牛、コスモス,野火など・・・、そしてレセプシオンには400人もの名士たちがメキシコ国立美術館での個展会場に集まり合成を祝ったという。

ケーテ、コルビツツのことabe02abe05
ケーテ、コルビツツ「1867〜1945」はドイツの生んだ最も秀でた芸術家の一人である。第一次、第二次大戦のさなかにあって貧しい人びとの保険医であつた夫と共にベルリンの労働者街にすみ戦争体験を表現主義的技法により描きつづけた。彼女の作品のほとんどはモノクロームで素描や版画であり、単に画家と言う枠を超えた精神の深淵を描いた。
私は1980年代半ばヨーロツパでコルビツツの作品に出会い其の作品から強い影響を受けてきました。阿部合成の作品が、ケーテやケーテ周辺のドイツ表現派といわれる画家達と世界を同じくしていると感じてきましたのでケーテが阿部合成に引き合わせてくれたのではないかと思います。
阿部合成の作品写真を掲載できることに同意くださいました青森県立美術館に感謝をいたします。作品は青森県立美術館所蔵となっております。




aokijuku at 00:05|この記事のみを表示コメント(0)

2010年02月09日

【From America】「中国のお正月」

Chinese_New_Year_2010アメリカのウィンドゲイト緑です。
アメリカは「人種のるつぼ」です。様々な人種が入り混じって、それぞれの文化をアメリカに持ち込み、それが定着しています。アメリカのアジア人の中で一番数が多いのは、やはり中国人でしょう。アメリカには大きなチャイナ・タウンもありますが、それだけでなく、どんなに小さな町にも中華料理店があることを見ても、中国人がアメリカの隅々にまで広がってそれぞれの土地に根ざしていることがよくわかります。

中国のお正月は旧暦、つまり月の満ち欠けによって決まりますから、毎年決まった日にちではありません。今年の中国のお正月は2月14日、バレンタイン・デーにあたるそうです。

Tiger_2010先日、ラスベガスのストリップにあるベラージオ・ホテルの温室の飾り付けを見にいきました。一年に数回飾り付けのテーマが変わるこの温室は、今、中国のお正月をフィーチャーしています。今年の干支にちなんでトラが飾られ、赤いランタンが天井からつるされていました。パンダの親子はグリーンの観葉植物で作られています。

panda02このようにアメリカではどこの国の文化もすべて受け入れて皆でお祝いしましょう、という大らかなところがあります。アジア系の人を見かけると「ハッピー・ニュー・イヤー」という挨拶も交わされていて、2月になって再びお正月気分が戻ってきました。

midori_windgate at 00:00|この記事のみを表示コメント(0)

2010年02月08日

【明日の世界】その6

「モンゴル」その1
ありがたいことにモンゴル国商工会議所日本会頭ウ・ウルジ女史に出会いました。
初場所も朝青龍の優勝で終わりましたが何故モンゴル出身のお相撲さんは見事な日本語を話すのだろうかとかねて疑問に思っていましたがウルジさんは見事に答えてくれました。日本人と話をするとすぐペンとメモ用紙を取り出しますが我々にはその文化がありません。ですから初めのうちは不思議でなりませんでした。言葉を聴いてそのまま覚えるDNAがモンゴル民族の身体に染み付いています。ウルジさんが18歳の時に国費留学生として初めてレニングラードの国立大学に行った時すぐにロシア語がネイティブスピーカーと同じように出来てロシアの学生がびっくりされたそうです。もっとも国費留学するくらいですから教育レベルが高いことは言うまでもありません。
 司馬遼太郎のモンゴル紀行(朝日文庫)を読みますと日本に行ったことがない現地通訳の女性が見事な日本語を話すので、司馬さんが大学でモンゴル語を専攻していたが、少ししゃべれる程度ですからそのギャップに驚くととありました。
次回はウルジさんが何故日本に関心を持たれたかそのお話を…続く


kiyoshi_kawabe at 00:00|この記事のみを表示コメント(0)
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