2011年06月21日

【From America】「日本のエコ給湯」

Tankless_heater湯沸かし器アメリカのウインドゲイト緑です。
東日本大震災の後、日本では節電が必要になり、今までの電気使い放題の生活が見直されています。震災以前から、私の目には「アメリカは日本やヨーロッパに比べるとエネルギーの無駄使いをしている」と映っていましたが、少しずつ改善されつつありました。しかし、本当に少しずつだったのです。ところが震災後、アメリカのTVのコマーシャルに変化を発見しました。

アメリカは大きな家を全館冷暖房するので、必要のない部屋まで暖めたり冷やしたり、ということを行っています。確かに家の中はどこへ行っても同じ温度で快適ですが、もったいないですね。日本やヨーロッパは必要な部屋だけを冷暖房する個別のユニットが普及しています。あの日本でお馴染みの壁掛け式冷暖房機(三菱の製品)のTVコマーシャルをアメリカで初めて見ました。

更に、もう一つの変化は給湯システムです。
日本ではガス給湯が当然ですが、アメリカではまだまだ重油を使って大きな給油タンクにお湯を貯め、それを台所、洗面所、シャワー、食器洗い機、洗濯機などに使っているのが普通です。或いはエネルギー源はガスであったとしても、大きな給油タンクを使うのが一般的です。

Hot_water_heaterお湯のタンクこの大きな給油タンクは、地下室があれば地下に。地下室がない場合ガレージに設置されており、お湯を使って少なくなると、自動的に水が足されて再びお湯を供給するシステムです。しかし、このシステムの難点は、先ずお湯の量に限りがあるということです。家族が多い場合、最初にシャワーを浴びた人がたくさんお湯を使うと次の人がシャワーを浴びる場合、タンクのお湯を沸かすのに時間がかかるために冷たい水が出てきてしまうことです。次には、この給油タンクの寿命はおよそ10年で、突然タンクが水漏れを起こして地下室が大洪水になったり、ガレージが洪水になったり、、、、。また タンクの中には錆も出てきますから、あまり清潔といえないなど、問題が多いのです。

そこで登場するのが、日本のリンナイに代表されるガス瞬間湯沸かし器です。アメリカではこれを「タンクレス」つまりタンクが要らない給湯システムと呼んでいます。このシステムの「売り」は、必要な時に必要なだけのお湯が使え、しかも限りなくお湯が使える、というものです。なーんだ、そんなの日本では「当たり前」じゃないか!? と思われるでしょうね。しかし、アメリカではこれが「新しい!」のです。

日本で当たり前のものが、今アメリカでは一番新しいのです。アメリカにもっともっと日本の良いものを取り入れていってもらいたいですね。

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2011年06月20日

【明日の世界】No.77 「女子高校生全国野球大会」

夏の高校野球甲子園大会に対して女子の大会もあることをご存知ですか。
場所は甲子園ではなくて福知山です。まちおこしで立派な野球場を作り、女子のプロ野球が2チームありますがやはりこの球場を使っています。
昨年その大会で優勝したK女子高校のKさんからお聞きしました。

高校にはもしドラではありませんが女子マネージャーはたくさんいますが女子選手はいません。ところが中学にはいます。、昨年の東京都の中学野球の優勝チームのキャッチャーは女子です。
K高校も昨年全国大会で優勝したら全国からK高校に入学希望者が殺到しました。それまで30名の部員だったのが今年一年生が20名参加して合計50名の大所帯になって球場や宿泊等に苦労しているそうです。k高校の方針として野球レベルが高いからきてもらうのではなくて、学業もそれなりのものをがないと入学できないそうです。女子にもソフトボールでない公式野球の市場が間違いなくあるようです。
全国大会と言ってもまだ参加高校は10校に満たないそうですが、間違いなく市場は大きなものがありようです。K高校も今年は青森を初め地方から入学希望者増加したとのことです。卒業後の進路指導もしっかりしていることが単に偏差値のみの教育からの脱皮が成功しているようです。


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2011年06月19日

ビュッケブルグ歳時記 11

かっての社交界デビューを思わせる卒業ダンスパーテイ

 ドイツでは9月に新学期が始まります。そして2期制なので、1月の末が1学期の終わりとなり、太陽が夏の熱を持ち始める6月はドイツの卒業式の時期です。今日は日本の高校に当たるギムナジウムの卒業風景をお知らせしたいと思います。

 その前に、ごく大ざっぱにこの国の学校制度をご紹介しておきます。日本の6・3・3制度とは違い、複線とよばれる制度で、生徒は小学校4学年を終了した時に、進む学校を選択しなければなりません。三選制度と呼ばれ、次の3通りの学校から選択します。成績を基準として下位の子どもは、10学年迄の義務教育後期課程学校へ、中位の子どもは,これも10学年迄の実業中等学校へ、上位の子ども達は12学年迄のギムナジウムに進みます。この学校の終わりにはアビトュアーとよばれる卒業試験が待っています。この試験の合格証は高校卒業証明と同時に,大学入学資格証明書でもある重要なものです。ギムナジウム卒業だけに限らず、ほかの方法でアビトユアーを取ることも出来ますが、ごく僅かな科目以外はこの証明書がないと大学教育を受けることは出来ません。大学入学には必至の証明書なのです。
 ここでお分かりと思いますがこの国には大学入試試験はないのです。
 現在は増える傾向にありますがこのエリートコースを全うするのは、生徒総数の約四分の一なので、合格者は新聞の地方版に名前が列挙されるほど大きく祝われるのです。

 午前中の卒業式は、アルファベット順に入場して来る卒業生を、教師も父兄も起立して拍手を持って迎えます。合格証が校長から各自に手渡されます。卒業生の服装は平常と変わりはありません。
 忘れてならないのは夜に開かれるダンスパーテイーです。これは教師、父兄、友人を招いて催されます。午前の服装とは違い正装が規定となっています。女子は肩も露なロングドレスとか、大きなデコルテのミニドレスとかです。男子もスーツにネクタイが必要です。教師もその他の参加者もこれに習います。この華やかな雰囲気からは、かってヨーロッパで行われていた上流階層の若者の社交界デビュウーが髣髴されます。これは今でも総合大学に進めるのは、アビトュアーを持っているものだけという、知識階級としての、ある種の誇りに繋がっていると思わせる卒業式行事です。

 ここで思い出していただきたいのは歳時記3ー徒弟制度です。ドイツの社会は大学教育だけではなく、他の職業を達成する制度が確立されていて、それを全うした人も大学卒業者と同じように社会が受け入れるということをここでもう一度強調しておきます。


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2011年06月18日

スペイン体験記 その10

サラマンカからマドリッドに移ってから悪夢のような半月を経てようやく銀行にお金が入金されていました。
大げさですが、難破して流されそうになっていた所を救出されたような心持ちになり
ました。 と、同時に両親の偉大さを強く感じました。

何か食べようと思ったのですが、不思議と食欲が湧かず、とりあえずカフェオレに砂
糖をたっぷり入れて飲みました。久しぶりに口にした嗜好品は犯罪的な美味しさでし
た・・・。
ようやく、一心地つきましたが、今度はあの牢獄のような宿を脱出する術を探さなけ
ればいけませんでした。また、宿探しです。

当時の部屋探しの方法としては不動産屋で物件を紹介してもらうか、自力で“空部屋
アリ”の物件を探すか、週に一回、発行される賃貸情報の新聞で情報を探すかの方法しかありませんでした。
不動産を介すと、とんでもなくお金がかかるので最もポピュラーな新聞で直接、交渉
する手段を取らざるを得ませんでした。全く、土地勘もないので値段と条件の情報を頼りにいくつかピックアップしてみました。
もちろん、下手クソな自分のスペイン語をカバーするために事前に言葉を準備して、
シュミレーションを行いました。

そして、電話をする段階まで何とか自分を鼓舞して、公衆電話の前に立ったのですが、なかなか踏ん切りがつきませんでした。ただでさえ分からないスペイン語が顔の表情が分からない電話で、しかも、自分の素状を簡潔に語り、 部屋を見せてもらえるか聞かなければいけません。
私にとってはかなり、ハードルの高い作業でした。
しかし、あの牢獄のような宿は一刻も早く、脱出したくて仕方がなかったので思い
切って受話器を手に取りました。

何件、電話をかけたか覚えていませんが、全て、縁がありませんでした。
「日本人です」と、言った途端、明らかに不快な声で対応するケースやもう既に決まってしまったケース、物件を見るのに10日ぐらいかかるケースと様々でした。
そうしてピックアップした物件に電話をし尽くすと、チャンスは次週ということに
なってしまいます。
電話に出なかった物件もあったので翌日に繰越したりと中々、思うように事は運ば
ず、不快な電話対応では精神も蝕まれ、親切に対応してくれる所は大概、もうアポがあったり、ほぼ決定していたりでした。
ちなみに、スペインの賃貸ですが、私のような貧乏学生たちは何人かでひとつのフロ
アーをシェアするという形式が一般的でした。台所、シャワー、トイレは共同です。
上手にやりくりすれば、月に5万円もあれば一カ月、充分に飲んで食べて生活するこ
とが可能でした。

今度は部屋探しで四苦八苦していると、同郷で私より1年、早くスペインにギターを
勉強しに来ていたM君が見兼ねたのか、日本人が経営している下宿を紹介してくれました。家賃として計算すると、少し、割高ではありましたが、自炊もできるとの事だったのでM君の情報に飛びつきました。
とても助かりました。
下宿には日本の漫画や雑誌、滞在者も皆、日本人。まだスペインに来て3カ月しか経っていなかったのですが、言葉が通じるという当たり前の事がこんなにも素晴らしいことだったのか再認識しました。

ここの下宿では様々な日本人の方と出会い、とても私自身、勉強させてもらった場所
になりました。
やっと、音楽院へ進むためのマドリッドの拠点を得たのでした。

aokijuku at 00:03|この記事のみを表示コメント(0)

2011年06月17日

初挑戦!!

真穂としみokいつか作ってみたいと思っていた料理の一つに『タンドリーチキン』があります。
先日、夫に子供を見てもらい、チャレンジしてみました

いざ、作ると決めたものの「やっぱり大変かなぁ〜」と思いきや、
意外や意外、これがとっても簡単

ボールの中に、「プレーンヨーグルト、カレー粉、醤油、レモン汁、塩、赤唐辛子の輪切り」にすりおろした「玉ねぎ、にんにく、しょうが」を入れてよく混ぜ合わせ、その中に鶏モモ肉を2時間以上漬け込み、後は焼くだけ。
これでお店で食べているかのような仕上がりに・・

出来上がりはこんな感じです
タンドリー

今度は何を作ろうか思案中です

toshimi_maho at 13:38|この記事のみを表示コメント(0)
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