2017年09月23日

ビュッケブルグ歳時記 163

腑に落ちない事ごと  2


 選挙まで後1週間となり、今、この国の社会はそれぞれの党の政策宣伝で溢れています。その中で、月始めから、先週まであったTVでの4回にわたる「市民と党首の質問討議会」は興味のある番組でした。選出された市民は、18歳から上限のない男女で、質疑応答の課題は、現在問題となっている事柄、例えば、年金問題、介護課題、格差とそこから来る貧困児童問題など、多くの人が持っていると思われるこれ等の問題に対する政策を、メルケルCDUと、SPDシュルツ党首に問いただす形式です。この2人が、それぞれ1時間45分の時間に、質問に対する党及び党首の意向を主張説明するのです。


 このような番組で一番興味を持ったのが、初めて選挙権を持つ18歳の若い人達の意見主張でした。4回とも最初に選挙を経験する人達が招待されていました。
 病院で看護士をしている一人の青年の、今のままの状態ではある日、看護体制が破壊するのは目に見えている、それに対してどのような解決策を考えているかとの問いには、満場の賛成拍手がありました。現在の看護士体制では、一人の看護士の受け持たなければならない病人、障害者、老人の数が多過ぎて仕事を全う出来ないだけではなく、投げ出して止める人が多い。これは看護人に対する待遇が少しも改良されていないことによる、など、自分の経験からの質問には真実性がありました。病院での看護と、老人ホームなどでの看護とには違いがあることも、この討論会で知ったことです。又、東ヨーロッパ人の援助をアプローチする計画も早期確立が望まれていました。 
 その他、女子大学生の「自分達が職業に就いて支払う年金が、自分達が年金者になった時、支払われる確証はあるか」などの質問がありました。 


 この国の18歳は、学生ではなく既に職業に就いている若者が多いことが、このような現実の基づいた自分の意見を持つようになる原因だと思われますが、そこに足したいのが、若者と政治の近さです。
 いつも同じことになりますが、この国では政治が市民に近いのです。政治は市民がすると云っても間違いではないのです。
 家庭、学校、社会で政治について話すことが自由だからかと思われます。


 標題の、腑に落ちない事がここにあるのです。
 まず、選挙年齢低下で18歳から選挙に行かせるという根拠は何処から来るのでしょうか。年齢低下は、政治教育が改良されて、若い人達が自由に政治を語り合えるようになってからなされるべきではないでしょうか。今の選挙年齢低下は段階違いに思えます。
 そして、文部省が政治教育をどのように考えているかも不明です。
「話し合いの技術を学校で鍛えて」「18歳選挙権に戸惑っています」「義務教育で政治を考えさせて。誰でもいいから投票するのではなく、これからの日本をきちんと考えた上で、代表を選びたい」「学校を政治を自由に語れる場にして」
 このように日本の若い人達が考えていることを知ることはとても嬉しいことです。このような教育体制が具体的になるのを若い人達は望んでいるのです。
 話し合うことと、政治教育という二つの核をきちんと整えてから、選挙年齢低下があるべきと思うのです。




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2017年09月21日

17-19

フィギュアUSクラシツクで本田真凛がシニア初戦,断トツで優勝しました。

ご承知のように来年2月の冬季オリンピックは日本人女子のわくは二人です。
彼女が16歳で一番若いのですが最近のマスコミでは露出度がとびぬけています。

実力もあるのでしようがなにかマスコミ対策があるのでしようか。

さて2人目の枠に入るでしようか。



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2017年09月19日

【From America】「DUI-E」

アメリカのウインドゲイト緑です。

DUI-E車の事故は後を絶ちません。事故の原因は様々で、勿論 避けても避けられない事故もあるでしょう。しかし、お酒を飲んで運転して事故を起こすというドライバーの責任が原因の場合も多々あります。

アメリカでは「DUI」ドライビング・アンダー・ザ・インフルーエンスと呼んで、飲酒運転を始めとして、正常な状態で運転していなかったことを示す交通事故の逮捕原因があります。ところが、これに最近は「DUI-E」という最後のEが加わりました。さて、このEとは何を示しているのでしょう? Eとはエレクトロニクスの意味で、携帯電話、特にメールをしていて、それに気をとられて正常な状態で運転していなかった、ということを示すものなのです。

アメリカでは多くの州で、運転中の携帯電話の通話、メールの送受信は禁止されています。しかし、それでも一旦道路に出てみれば、右を見ても左を見ても携帯電話をしている運転手の多いこと! 赤信号で停まれば、メールの送受信に夢中になり、青信号に変わったことにも気が付かない運転手。こんな光景は日常茶飯事です。更に悪いのは、運転中のメール送受信です。

携帯電話もブルートウースなどの搭載で、ハンズフリーの電話の会話が出来るようになったのですから、近未来の映画に登場するような、メールをハンズスリーで送受信出来る機能が誰でも使えるようになるまでは、この問題は本当に解決されることがないのでしょうか? 技術の進化で私達の生活はどんどん便利になりますが、近未来の映画のように車は全て自動運転になり、車の中でもオフィスのように仕事に専念できる状態になれば、車の事故ゼロ、ということにもなるのかも知れませんね。




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2017年09月12日

【From America】「ラッテのアート作品」

ラッテ03アメリカのウインドゲイト緑です。
前回は、コーヒーが健康に良い飲み物である、という話題をご紹介しました。
今回は、そのコーヒー好きは、その味だけでなく目でもコーヒーを楽しむことが出来るという話題です。

コーヒーの飲み方には色々あります。何も入れずにブラックで味わう。ミルクをたっぷりと入れてカフェオレ。小さなカップでカプチーノ。などなどです。
最近は、カフェ・ラッテが流行っているようですが、カップの中に色々な模様を描くことも楽しいですね。ハートの形や葉っぱの形などは、初心者でも出来るようで、友人も自宅で凝って挑戦したりしています。

ラッテ02ところが、それをアートのレベルまでに引き上げることが出来るということを証明してくれたかのような素晴らしい作品も出てきました。こんなに素晴らしいアート作品を飲んでしまうのが惜しい気がしませんか?

日本料理は目と舌と両方楽しませてくれる料理、と世界中で定評のある食事です。季節感をたっぷり盛り込んで、更にアートとも思える飾り切りやら盛り付けで食べる人を魅了します。一方で、飲み物を目と舌で楽しませてくれるのは、このカフェ・ラッテのアートではないでしょうか?



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2017年09月09日

ビュッケブルグ歳時記 162

腑に落ちない事ごと  1.


 この国では9月が入学月です。学校が始まって、日に焼けた肌に産毛を金色に輝かせながら、6週間の夏休みをそれぞれに満喫したーーこの”満喫”に下印をつけますーー子ども達が話してくれる体験談は、臨場感に満ちて、私もしばし海辺に、山辺に佇まされる感じです。
 日本でも、夏休みが生徒の一番長い休みであることは同じです。両国での違いは宿題の有無です。ここで下線を付けた”満喫”を思い出していただきたいのです。
この国の学校では休みは休みで、宿題が出ないのです。ですから、生徒は6週間の休みを100%謳歌出来るわけです。


 昨年の日本の新聞で、2000年頃に始まったゆとり教育を止めるとの記事を読みました。学力低下が理由でした。
 ここで、腑に落ちない 感じを持ったのです。
 詰め込み教育といわれる、向き合い(教師と生徒の)授業の改善のために、また
いじめ、不登校、落ちこぼれ、校内暴力などに対策するために、との理由で始められたこの教育法を、成績結果が下がるという理由で止めてしまうという、文部省の意向が腑に落ちないのです。ここに示された、詰め込み教育是正と校内生活改良のためとの2つの目的には2つの思考点があるのではないでしょうか。
 授業時間数を少なくするとか、学習内容を減らすなどは、生徒に学校生活にゆとりを与える事項だと思います。ただこれは、学校の定義を知識集積地とした場合にだけ当てはまることです。詰め込み教育を是正したい理由でゆとり教育を決定したのなら、学力低下を理由に中止することに納得出来ます。だた、学力向上教育とゆとり教育の間にある矛盾に、なぜ事前に気が付かなかったのかと疑問になるのです。OECDの調査結果を上位に留めることが目的の場合は、ゆとり教育の必要は無いわけです。
 そこから学校というものの在り方を改めて考える必要があるように思えるのです。良い成績を取って、名のある大学に入る生徒を多く出すことが学校の在り方なのか。学業習得の傍ら、良い社会人となる準備基地と考えるか。
 今、文部省が唱えている脱ゆとり教育とは「確かな学力」「豊かな人間性」「健康体力」を兼ね備えた「生きる力」を育むための教育とは、素晴らしい教育目的で、学校を良い社会人となるための教育場と考えているととれます。このためにはゆとり教育が良い方法に思えます。それなのに中止ということが腑に落ちないのです。
 きちんとした、経過まで見通せる計画案を作って、教育場に指令するのが、責任のある政策ではないでしょうか。やってみて、ダメだから止めるという政策では、生徒も、教師も、保護者も戸惑うばかりのような気がします。


 ここで、例えば、時間数、学習内容量などは既存のまま、ただ、夏休み宿題無しというスローガンで、子ども達に自由な時間のゆとりを与えてみては、という案が浮かぶのです。ある一時期、学業に縛られないという開放感が、生徒の学校感にゆとりを与えるのでは、と思うのです。
 夏休みの終わった2学期には、生徒の自殺数が増えるという記事を読みました。つい最近も2件が記事として載っていたのを覚えています。

 最近、部活動云々の記事も読みました。教育活動の域を超えて、競争の世界になりつつあるとの意見を読むと、「宿題無しの夏休み案」がまた浮かびます。この案実施からは義務教育内の子ども達それぞれが何らかの感知を受けると思うのです。 
  
 学校にまつわる競争場から得ることがある子、宿題なしの解放自由から何かを得る子と、各々が違っても、得るものにそれなりの価値があるように思われるのですが。
 



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